まずはそれぞれの文章の主要な対比を明確にしよう。
- 「である」ことと「する」こと
全編対比によって論が進んでいる文章だ。とりあえずラベルは言うまでもなく「である/する」だが、言い換えのバリエーションも十数語は既に挙がっている。以下の対応に最適な語をここから選んだり、必要に応じて変形したりする。
- 不均等な時間
明らかな具体例として「上野村/隣村」という対比がある。これがどのような対比かも、比較的すぐにわかる。それを「伝統的な農業/農業経営・商品の生産としての農業」などと抽出するのにはもう一つ、ハードルがないわけではないが、できないことでもなかろう。
だが文中に頻出する重要なキーワードは明らかに「時間」だ。これがどのような対比を形成するか?
それは上の対比とどう対応しているか?
- この村が日本で一番
対比はわかりにくい。対比がわかりにくいことが内山節の文章のわかりにくさだ。それでも読み進めていくと「ローカル/グローバル」という対比が見つかる。
これはどのような対比なのか?
- 南の貧困/北の貧困
対比は題名に示されているように「南/北」だろうか? もちろん違う。「南/北」は類比・並列であって、上の三つの文章の対比のように「対立」ではない。重ねることはできない。「本来的な必要/新しい必要」「必要/需要」などの既に授業で考察した対比も、結論から言えば、上の問題とは重ならない。もちろん「相対/絶対」でも「主観/客観」でもない。これらはそれぞれ別な問題を論ずる上で設定された対比である。
今回の比較読みで問題にしたい対比は「貧困にならない/貧困になる」である。
これは言われてみれば当然だろう。この文章全体の「問い」は「なぜ貧困は生ずるのか?」だったのだから。だが、盲点に入っている可能性が高い。本文中では目立つ形で対比的には表現されていないからだ。
これはどのような対比なのか?
これは「富裕/貧困」という対比ではない。
「貧困」は「二重の疎外」によって起こる。どちらの「疎外」が問題なのか?
もちろん「貨幣への疎外」だ。「富裕/貧困」という対比は「貨幣からの疎外」を問題としている。「への疎外」が起こっているか否かが対比されるべきなのだ。
実は上の四つの文章の対比は左右の向きを揃えてある。
それぞれの対比がどのように同じ「問題」を論ずるための対比なのかを考えることでとりあえず思考は進む。
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