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2021年7月14日水曜日

「無常ということ」と「場所と経験」

 「無常ということ」と「場所と経験」を読み比べる。

 もちろん思考のガイドとなるのは、それぞれの文章の対比図である。

 どのように照らし合わせると、どのようなことが「わかる」のだろうか?


 「場所と経験」では、結局「感性的/均質な」という対比に重心が移って文章が閉じられることを確認した。この主要な対比を「無常ということ」の対比と比べてみる。

 個々の表現の印象の類似性もあるだろう。「意味づけ」と「解釈」が似ていることを指摘する声があちこちから聞こえたが、これこそ最も重要な対応なので、その類似性が感じ取れているのはとても好ましい状態だった。


 だが一方で解釈はいかようにでも変えられる、ということもある。「子どもらしい」という形容が肯定・否定、どちらのニュアンスでも解釈できてしまうように。小林秀雄の文章がそもそも「解釈」の不安定性を批判していた。

 だから表現の印象の類似性にも目を配りつつ、対比全体の構造を比較する。

 すると、次の「場所と経験」の対比と「無常ということ」の対比の左右がそれぞれ対応していることがわかる。

 この対比の左右が揃っていると見做せるのはなぜか?

 どちらの文章でも、左辺を否定して右辺を推しているからである。


 こうして並べてしまえば、あとはいかようにも言える。上の配置図に挙げられた表現をつかって、二つの文章をこんな風にコラージュしてみよう。

 柄谷が、自分が直接に見たものの「リアリティ・切実感」からしか「真の知識」は得られないのだというように、小林は、「心を虚しくして思い出す」ことでしか、我々を「動物的状態」から救う、美しい「常なるもの」は見い出せないのだと言っているのである。

 「新聞やテレビ」で知った「国際的」な事件は、多くの歴史家の頭を充たす、歴史についての「記憶」と同じものに過ぎない。そうした経験に我々は「意味づけ」をして、「もっともらしさを確保する」ように、現代人はそうした歴史の記憶を「解釈」してわかったつもりになるのである。

 「解釈を拒絶して動じないもの」こそ「真の知識」であり、そうした認識にいたった鷗外や宣長こそ、歴史の魂に推参した「文学」に到達したのである。柄谷が「生きた他者」からしか「人間」について知ることはできないというように、小林は「死んだ人間」こそが「まさに人間の形をしている」というのである。

 「生きた他者」=「死んだ人間」!


 小林の「生きている人間」を柄谷の「生きた他者」と結びつけてしまうと、対比の対応関係がまるで逆転してしまう。「死んだ」と「生きた」こそが対応しているのだと納得するためには、文脈の論理を捉える必要がある。

 「生きた他者」=「死んだ人間」とすると、両者の共通点は何か?

 「どちらも~」と言い出してみて、続く言葉は何か?


 両者の共通点を積極的に言うことは、実は難しい。こういう時には対比の考え方を使う。対比される側に「ではなく」を付けるのだ。斎藤環のいう「否定神学」だ。

 両者はどちらも、こちらの解釈=意味づけを拒むものだ。

 こうした意味合いは、言葉のニュアンスからも捉えられる。

 例えば評論を読む際に必須の認識として、「他者」という言葉は単なる「他人」の意味ではなく、「こちらの解釈を拒絶する存在」を意味していることを知っておく必要がある。そうした認識があれば、「死んだ人間」こそ「生きた他者」であるという奇妙にねじれた帰結をも受け容れることができる。


 柄谷を経由して初めて、小林の「解釈する」と「記憶する(だけ)」が、同じように「思い出す」の対比として並列されるわけが納得できる。

 柄谷は言う。

われわれは日々多くのことを経験しているが、そのほとんどはたんに経験したような気になっているにすぎないので、だからこそ意味づけが性急に要求される。事件が不可解だからではない。意味づけることで、もっともらしさを確保したいからにすぎない。

 これは「頭を記憶でいっぱいにしている」「多くの歴史家」こそが「歴史の新しい解釈」という罠に囚われてしまう事情を端的に述べている。

 そしてその「解釈」と「意味づけ」こそ、小林と柄谷が厳しく拒否しようとしているものである。


 こうした対比によって、「無常ということ」でも最大の謎といっていい「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」について、ようやく考えることができる。

過去から未来に向かって飴のように延びた時間

を柄谷の文章で翻訳すれば

ここからあそこに向かって地図のように伸び拡がった空間

とでもいうことになる。

 これは端的に柄谷「均質な空間」にならって「均質な時間」のことなのだ。

 数直線上に均等に配置される史実によって成立する歴史、というイメージこそ、柄谷の言う「地図のように均質な空間」でさまざまな出来事が起こるこの世界、というイメージに重なり合う。

 つまり、「場所と経験」の「場所=空間」を「時間」に置き換えたものが「無常ということ」なのである。


 結局これらの文章は何が言いたいのか?


 柄谷は、世界を「均質な空間」だと捉えているだけでは、そこでの経験を擬似的なものとしてしか受け取れないといい、小林は、数直線上に並んだ歴史を「記憶するだけ」では、「常なるもの」を見失った「動物的状態」から逃れることはできない、と言っているのだ。

 あるいは、柄谷は、出来事を「意味づけ」をしてわかったつもりにならずに「生きた他者」を見ることでしか「真の知識」を得ることはできないと言い、小林は、歴史を「解釈」してわかったつもりにならずに、ただ「心を虚しくして思い出す」ことでしか「常なるもの」は見い出せない、と言っているのである。

 こうしたまとめも、基本的には先ほどのコラージュの変奏だ。


 ただしこれをきいて「ああなるほど」と思うことはまるで無駄だとは言わないがそれほど意味のあることではない。

 それよりも自分でやってみることだ。それをやってみることによって、これらの文章の言っていること、筆者の考えていることが血肉化される。


2021年7月9日金曜日

無常ということ 5 本文の主旨

 全体の対比をとり、考察の必要な受け取りにくい「部分」に考察を加え、さてでは小林秀雄はこの文章で何を主張しているのだろうか?

 それは明らかになったのだろうか?


 対比を整理することは、文章の、思考の論理を整理することだ。

 対比構造を対立項毎に左右に振り分けて、その差違線から輪郭を明確にするとともに、左右それぞれの領域を通観することで、そのまとまりも意識しよう。

 縦に並んだ両辺のグループをひとつなぎに関係づけられるだろうか?







 それぞれをつなげてみる。

左辺

現代人は、多くの歴史家のように頭を記憶でいっぱいにして、歴史を新しく解釈することに汲々とした挙げ句に常なるものを見失って、一種の動物にとどまっている。

右辺

鷗外や宣長のように、心を虚しくして巧みに思い出すことによってしか、解釈を拒絶して動じない常なるものを見出すことはできない。

 つまりこれは全体の趣旨を要約しているわけだ。

 これでかなり全体を俯瞰することができた。だがこれでもまだ、必ずしも「わかった」という実感、いわゆる腑に落ちるという感じに繋がるとは限らない。

 例えば「思い出す」とはどういうことか?

 それが小林によって推されていることはわかるが、それがどのようなことであるのかは自明とは言い難い。言葉としてあまりに日常に埋没しているがゆえに、ここで特別な意味を担わされているらしいこの言葉の意味をうけとりかねるのだ。

 一方で「思い出す」の対比として「解釈する」と「記憶する」が並置されているのはどういうわけか?

 一般に、「解釈する」とは対象への主体的な対峙であり、「記憶するだけ」にはそうした主体性を抑制した客観的な態度である(ような感じがする)。むしろ「解釈する」と「記憶するだけ」こそ、対立した概念ではないのか。にもかかわらずどうしてこれらが同じく「思い出す」に対置されるのか?


 こうしたことを考えるのは、もう「無常ということ」の内部では限界である。内部の論理の整序による読解だけではこれ以上は先に進めない。自家中毒的な「迷路」に迷い込むばかりだ(「美学」の意味がこの文章内では決定できなかったように)。

 文章内の構造分析は、必ずしも「わかった」という実感を保証しはしないのだ。

 いや、むろんあるレベルでは、こうした対比構造の把握をする前よりもよほど「わかった」という実感はあるはずだ。「わかる」という感覚は常にある段階での、その前の段階との差異によって訪れる感覚だ。「場所と経験」を「幻想的/感性的/均質な」という構造に整理することも、「無常ということ」を「記憶・解釈する/思い出す」という構造に整理することも、あるレベルでの枠組みに情報を当てはめる=理解することに成功しているのだとは言える。

 だからその先、である。


 授業者にとって、次の段階の「わかる」という感覚が訪れたのは、「無常ということ」と「場所と経験」、二つの文章が同時に意識に上ったときである。あるとき、二つの文章が主張していることは同じだ、と突然気付いたのだ。その途端、両者が「言いたいこと」の感触がにわかにはっきりしたものになった。これは、後で考えたところによれば、二つの文章が、互いに枠組みとして機能したのである。

 この感触は一瞬にして訪れたのであり、それを自覚的に跡付けることも、他人に説明することも、その一瞬の正確な再現ではない。しかし、それを他人向けに図式化して言語化することが、自分自身にとってもそれ以上の考察を可能にする。

 授業という、一人で思考するのとは違う「場」が、こうした考察を可能にする。


2021年7月8日木曜日

無常ということ 4 「美学」2

 この部分の解釈には個人的な思い出がからんでいる。

 「無常ということ」が長らく教科書に載り続けている文章で、前述の通り授業者もまた高校生のときにこれを授業で読んだ。この部分の解釈にまつわる不一致は、実は高校生の時の授業者の体験に基づくのである。

 どこまでも神妙に授業を受けていたとは言わないが(しばしば授業とは別の本をこっそり読んでいた。国語以外の教科の授業はむしろ寝ていた)、国語の授業の内容は比較的追っていたと思う(起きていたので)。

 そして、この部分について先生が語る解説に違和感を覚えたのだった。

 何がどう違っているかはわからないが、その違和感は看過しがたく、遠慮がちにそのことを表明してやりとりするうち、かろうじて先生の説明と自分の解釈が食い違っているらしいことがわかってきたのが問③のEFだった。

 授業1時限費やしてもこの議論は決着をみなかった。そうして、授業担当の先生も当時の授業者も、意見を変えることなく終わるしかなかった。

 この理由は、つまりこの問題に「正解」がない、つまりどちらかを「正解」とする根拠が、この文章からは導けないということだと現在の授業者は考えている。

 最初から「正解」はない、と言っているのはそのためだ。

 ただ、この授業の担当教師は、年度末の最後の授業でこの事件に触れて、授業の内容に質問を投げかけてくることさえ稀なのに、まして先生の言うことは違っているなどと言ってくる生徒は本当に珍しく、面白かったと言った。その柔軟な姿勢に心を打たれた本授業の担当者もまた、生徒からの異論反論を心から歓迎するものである。どうか曖昧に飲み込むことをせず、授業で感じた違和感を表明してほしい(その異論を容赦なく叩き潰してしまうようなことは控えるよう心がけよう)。


 それ以来、自分で授業をする中で生徒と考えているうち、問①②についても、排他的な選択肢の形で示される解釈のバリエーションがあることに気づいて、論点としてとりあげてきた。

 長い議論に寄り添った経験からすると、これらの選択肢はいずれも、それ自体では、明確な根拠を挙げてどちらかを否定することができない。それをただ否定しようとする議論は拙速に終わる。思い込みを排して考え直してみると、決定的な否定の根拠は驚くほど存在しないのだ。したがって、全体として整合的な解釈を提示することで個々の選択肢の妥当性を支持する、という形でしか議論できない。


 議論をすればするほど、ある意味では理解が深まる。同時に議論すればするほど、結局わからなくなる、とも言える。

 それほどに、この部分の解釈はすっきりと腑に落ちることがない。

 ただ、選択肢にした問いのうち、③だけは結論を決定できる。

 だがそれは、この文章内の情報では不可能である。その意味では①②と変わらない。

 ③についての結論はEである。だがそうだと言いうる根拠はこの文章の論理にあるわけではなく、例えば「無常ということ」という連作の別の文章、「当麻」の次の一節に拠る。

僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何の疑はしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」 美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩す現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遙かに微妙で深淵だから、彼はさう言ってゐるのだ。

 この中の〈美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。〉はとりわけ人口に膾炙した一節で、よく引用される。

 ここからは次の対比が抽出できる。

「花」の美しさ/美しい「花」

     観念/肉体

 そしてここに書かれていることは「無常ということ」にそのまま通じている。「解釈する/思い出す」の対比である。

 つまり、「美学者」はありもしない「観念の曖昧さに就いて頭を悩ま」していて、それは「化かされている」ということなのだ。「無常ということ」の「多くの歴史家」である。

 とすれば、小林が「美学には行きつかない」というのは、E「行くつもりがない」ということなのだ。

 30数年前の先生はこのことを知っていたのだ。だがF「行き着けない」という意味で解釈していた授業者には、その説明は受け容れ難いものだった。

 だが今ではEの解釈の妥当性を認める気になっている。

 これはつまり他の文章を読むことによって得た小林の「美学」に対する見解が枠組みとしてはたらくことではじめてEの解釈の確からしさが保証されるということだ。だからFの解釈に整合性を持たせる①②の解釈は、それはそれで可能なのである。筋が通ってさえいれば、それを不正解などとは言えない。


 その上で③をEとして、そこへ向かっていく論理を構築する。

 現在の授業者の納得はBCEである(この支持者はどこのクラスでも少数派もしくは皆無だった)。

 「子どもらしい疑問」がB「幼稚で取るに足りない下らない疑問」だから、自分は「迷路」に押しやられる。ただ、その疑問の元になっている「美学の萌芽とも呼ぶべき状態」=C「美しさをつかむに適した心身のある状態」には「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」。だから「押されるままに、別段反抗しない」。

 つまりCで解釈する「美学の萌芽」こそ「上手に思い出す」ことができている「状態」である。

 だが、「美学の萌芽」とも呼ぶべき状態への信頼と、「美学」という行為は別なのだ。「美学」は、そうした「状態」を観念によって分析しようとする。それが「迷路」だ。そんな「化かされている」ような連中に筆者は与するつもりはない、と宣言しているのがE「美学に行きつくつもりはない」というわけだ。

 となると「美学/美学の萌芽」という対立は「解釈する/思い出す」の対立に連なっているということになる。


 この部分はまだ小林自身が手探りで論を進めているところで、対比すら明確ではないから、唯一の正しい解釈には「行きつかない」し、それは全体の解釈にとってどの程度重要かもわからない。

 だがこの授業展開は毎度盛り上がる。

 それは決して無駄なエネルギーの浪費というようなことではない。

 学習とは議論の過程そのものであり、結論を知ることではないのだから、議論によって思考が活性化している状態でありさえすればいいのだ。


2021年7月6日火曜日

無常ということ 3 「美学」1

 さて、「部分」の解釈をもう一箇所。

 本文第三段落後半は、全体として「わからない」この文章中でも、最もモヤモヤが集中する部分だ。

あれほど自分を動かした美しさはどこに消えてしまったのか。消えたのではなく現に目の前にあるのかもしれぬ。それをつかむに適したこちらの心身のある状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかもしれない。こんな子どもらしい疑問が、すでに僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見つけ出すことができないからである。だが、僕は決して美学には行きつかない。

 ここに感ずるモヤモヤを分析し、解決ができそうか検討してみる(先回りして言ってしまうと、実は結局解決しない。それでも構わない。解決が目的なのではなく、そこを目指した考察と議論が目的だからだ)。


 問題点を抽出し、分析し、妥当性を検討する考察にはいくら時間があっても足りない。

 なおかつ解決できる見通しがあるわけでもないので、議論は時間的に限界を決め、まず論点を整理して提示する。

 この部分からは「子供らしい疑問」「途方もない迷路」「美学の萌芽」あるいは、なぜ「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」のか、なぜ「できない」ことが「別段反抗はしない」の理由になるのか、といった数々の疑問が浮かぶ。

 重要なことは、これら一つ一つの問題箇所を個別に説明しようとする問いは有効ではないということだ。例えば「美学の萌芽」とはどういうことか? といった形で問いを立てても、結局決着点が曖昧だから思考を集中しにくい。

 「どういうこと?」という問いは基本的に「正解」をもたない。説明という行為自体が本来、問う側と答える側のコミュニケーションでしかないからだ。

 だからここではむしろ排他的な選択肢のある問いの形が思考を活性化させる。もちろん、答えがどちらであるかが重要なのではないことを常に思い出しながら、とりあえず結論に向けて目も耳も口も頭も総動員するのである。

 そしてその選択肢のどちらを選ぶかが、上記の疑問についての考察を押し進める強制力になればいい。


問①「子どもらしい疑問」とは次のどちらのニュアンスに近いか。

 A 「純粋で無垢な疑問」という肯定的ニュアンス

 B 「幼稚でとるに足りない下らない疑問」という否定的ニュアンス


問②「そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態」とは次のどちらを指しているか。

 C 美しさをつかむに適したこちらの心身のある状態

 D 「子どもらしい疑問」によって迷路に押しやられている状態


問③ 末尾「だが、ぼくは決して美学には行きつかない」とは次のどちらのニュアンスに近いか。

 E 美学に行きつくつもりはない

 F 美学には(行きつきたいけれど)行きつけない


 これらは問うてみると、必ず見解が分かれる選択肢だ。その組み合わせを考えると、単純には2の3乗で8通りだ。教室の雰囲気が付和雷同に流れなければ、本当に皆の立場は8通りに分かれる。

 そしてそれぞれが納得のできないわけではない、といった解釈を成立させているのである。


 問①「子どもらしい疑問」ではまず「こんな」と指示されている部分がどこなのかも問題になるが、これはまあ前の4行全体を指していると考えればいいか。

 その上で筆者を「途方もない迷路」に「押しや」る「子どもらしい疑問」は肯定的なのか否定的なのか?

 例えばA肯定的と考える根拠は「押されるままに別段反抗しない」からだ。

 だがそうして押しやられる先は「迷路」だ。これが否定的な比喩であるとすれば、そこに自分を押しやる疑問も悪いものに違いない。とすればBだ。

 つまりAであることもBであることも、それなりに妥当性の根拠は挙がる。

 となれば、後に続く論理をどう構築できるかという問題だ。


 問②の「そういう」は「美学」にかかっているわけではない。前の部分で「美学」が何を指しているかがわからないからだ。したがって「そういう」は「状態」にかかっていると考えるべきだろう。

 つまり「そういう『美学の萌芽』とも呼ぶべき状態」だと読めるのだが、では何を指して「美学の萌芽」と呼んでいるのか?

 「そういう」という指示語が、直近の文脈を受けていると考えるのはごく自然な読解作法だから、まずはDの解釈が発想されるはずだ。

 Cの解釈は、もう少し文脈を広く把握しようとしたときに「状態」という語の共通性から発想される解釈の可能性だ。

 ここでも既に両説の妥当性の根拠が挙がる。

 となればどちらが「美学の萌芽」と呼ぶべき状態なのかを論理づける解釈が必要だということになる。

 ある解説書では「美学の萌芽」を次のように説明している。

自分の美的経験に関する素朴な疑問と考察は、哲学的体系との整合性に配慮しつつ論理化された学問としての美学ではないが、美学とその出発点は同じくしているということ。

 何を言っているかよくわからないが、「素朴な疑問と考察は」とあるのは、Dと解釈しているということだろう。

 「ぼくは(迷路に)押されるままに、別段反抗はしない。」ことの理由として「美学の萌芽」に「疑わしい性質を見つけ出すことができない」と述べられているわけだが、Cに「見つけ出すことができない」のと、Dに「見つけ出すことができない」では、どちらが「反抗しない」ことの理由として納得できる論理を形成するか?


 問③のEでは「美学」が否定的なものとして捉えられ、Fでは逆に肯定的なものとして捉えられている。

 「美学の萌芽」が「疑わし」くないから「美学」も信用されるべきなのか、「萌芽」は「疑わし」くないが、「美学」は「疑わしい」のか。論理的にはどちらも可能だ。したがって、まだEともFともわからない。


無常ということ 2 考証家に堕す

 全体の構図が見えてきたところで「部分」の解釈をする。


 「鷗外・宣長/多くの歴史家」という対比は意識的に並べなければ、文中では対比的に配置されているわけではない。むしろその近辺では「考証家」がどちらであるかをめぐって議論が繰り広げられたりする。

 そこでその一節について「部分」的な読解をする。

歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映ってくるばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられるような脆弱なものではない、そういうことをいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鷗外が考証家に堕したというような説は取るに足らぬ。あの膨大な考証を始めるに至って、彼はおそらくやっと歴史の魂に推参したのである。

 上記の「晩年の鷗外が考証家に堕したというような説は取るに足らぬ。」とはどういうことか?


 まずは「考証家」の意味を確認したくなるだろうし、「堕した」と「取るに足らぬ」で表現された論理をたどる必要はある。

 誰かが晩年の鷗外を「考証家」と呼び、それは「堕落」だと言っているのだ。そして小林はそれを「取るに足らぬ」と切って捨てる。

 すると、明らかにすべきなのは次の2点だ。

 「考証家に堕した」と評されるような鷗外の晩年の活動がどのようなものであるか?

 「晩年の鷗外が考証家に堕したというような説」を唱えているのは誰か? またそれはどんな意図によるものか?


 晩年の鷗外が歴史小説に傾斜していったことは、外部的な知識として補う必要はある。それは「場所と経験」にとっての「共同幻想」などと同じく、この文章の当時の読者にとって常識だが、現在の高校生にとっては知っている方が特殊であるような知識だ

 だがそれがどのような小説なのかは、この文章の論理から明らかにされなければならない。


 「誰か」については二つの可能性が考えられる。

  1. 小説家や文芸批評家や小説読者など、「文学」畑の人
  2. 歴史学者や歴史愛好家など、「歴史」畑の人


 文学畑の人だとするとその潜在的な対立項は「考証家/小説家」だろうし、歴史畑の人だとすると「考証家/歴史家」だろう。授業者は1を想起していたが、かつての生徒から提起された2の案でも論理は成り立つ。両方考えてみよう。


 ここでも、「部分」の解釈は「全体」の把握と相補的だ。「記憶・解釈する/思い出す」という対比に基づいてここを解釈するのだ(だが、この対比が既にこの「部分」の解釈の結果として抽出されたという側面もある)。

 少なくとも鷗外の歴史小説がどのようなものであるか、この対比からすれば、「解釈」をしない、史料を淡々と書き写したようなものだということになる。そうした歴史小説を書く鷗外を「考証家に堕した」と評するのはなぜか?

 文学畑の人だとすれば、虚構を創造することこそ文芸の営みだと考え、創作的な要素のない鷗外の歴史小説はつまらないものに感じられる。鷗外氏は「考証家に堕した」のだ。

 この場合は自分たちの文学という営みの方が高尚なものであると捉えられているわけだ。

 一方歴史畑の人が唱えている説だとすると?

 彼らからすれば素人の鷗外氏が、自分たちの畑に入ってきて、やっていることといえばただ史料を書き写してそれを「小説」と称して発表する。そんなものは、自分たちのやっている歴史学からすれば、単なる考証に過ぎないように映る。

 むろんこの人たちにとって「歴史の新しい解釈」こそが高尚な歴史学だということになる。

 いずれにせよ、これらの説は小林にとっては「取るに足らぬ」ものでしかない。史料をただ淡々と書き写しただけに見える鷗外こそ、「歴史の魂に推参した」者が初めてたどり着ける境地なのだ。

無常ということ 1 対比

 「場所と経験」について、対比図を画いて全体の論理構造を捉えても、結局のところ、柄谷がこの文章で言いたいことは何か、というあたりはまだ曖昧である。「腑に落ちた」という状態にはほど遠い。

 これは、先の宿題である「理念」「意味づけ」が「均質」に、「生きた他者」「見たものだけを見たということ」が「感性的」に属するという認識に実感がともなわないからだ。

 作者が何を言いたかったのか、といえば「視たものだけを視たということでしか真の知識は得られない」などということになるが、こんなふうにまとめても、柄谷が何を主張したいのか、さっぱりわからない。

 だが、これ以上「場所と経験」だけを読んでいても、それがわかるようになったりはしない。

 それは、こうした論理構造を当てはめるべき「枠組み・型」が何なのかがわからないからである。


 一方の「無常ということ」は先に一度考察したとおり、そこらじゅうが「わからない」文章だ。

 それをいささかなりと「わかる」に変えるためにできることは、文章内の論理の整理整頓と、外部的な「枠組み・型」へのあてはめである。

 そこでまずは「対比」である。

 だが、いわゆる「論文」の体をなしていないこうした随筆から、明確な対比構造を抽出するのは容易ではない。その困難は「場所と経験」の比ではない(だからこそこの文章が「難解」に感じられるのだし、授業で扱う価値があるのだ)。

 この文章では、文中に明示されている対比をラベルとして設定し、そこにそれ以外の要素をはめこんでいく、というような手順はとれない。

 それでも、人間の思考が何事かの輪郭をそれ以外のものとの差異線に沿って描くことでしか成立しない以上、明示的であれ暗示的であれ、対比構造のない思考はない。

 ここでも粘り強く、文中の対比を捉えてみよう。


 文中の対比は、語義的な解釈で対比であることが判断できることもある。

 例えば「死んだ人間/生きている人間」は語義的に対立している。

 また、「無常/常なるもの」も語義的な対立から対比として抽出できる。

 それだけではなく、「場所と経験」で考察したように、文脈の論理から、対比項目であることを判断できる(しなければならない)こともある。

 例えば「一種の動物」は「生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」という一節からすると、上の対比の右辺に配置される。

 一方、「この世は無常とは決して仏説というようなものではあるまい。それはいついかなる時代でも、人間のおかれる一種の動物的状態である。」という一節からすると、「動物」側に「無常」がこなければならない。

 したがって、何気なく挙げた上記二つの対比は、次のように整列されなければならない。

生きている人間/死んだ人間

  一種の動物/

     無常/常なるもの

 ここにはさらにいくつかの対照的な形容が付されている。

       /動じない・動かしがたい

     脆弱/はっきりしっかり

 しかたがない/のっぴきならぬ

鑑賞に堪えない/美しい

 これらの形容は、はっきりと筆者の姿勢・評価を示している。この文章の主張を探る上で重要な形容だ。


 さて授業では、対比を抽出するにあたって、二つの系列の対比がある、と言った。この二つの系列はもちろん関連しているが、最初から同じ対比軸上に並べていいわけでもない。

 比較的皆が見つけるもう一つの系列の対比として、挙がりやすかったのは次の組合わせだ。

歴史/解釈

 「歴史」がこのように対比的に読めるのはわからないでもない。

 だが「解釈」は「解釈する」という動詞になる、つまり行為だが、「歴史」はその対象となる観念だ。これを対比として並べるのは不全感がある。

 したがって「歴史」を現段階で対比のどちらかに置くのは控える。


 ではもう一つの系列の対比とは?

 比較的挙げられていたのは次の対比。

記憶する/思い出す

 これは文脈上は対立であることが容易に見てとれる。ただし語義的には共通性が意識されやすく、対立要素がないから、どういう対比なのかはにわかには腑に落ちない。考察する必要がある。


 この対比にはそれぞれに対応する具体例が挙げられる。

 文末から挙げられるのは次の対比。

現代人/なま女房

 そして「記憶する」のは「多くの歴史家」だ。この「具体例」には対応する例が文中から指摘できる。「鷗外・宣長」である。

多くの歴史家/鷗外・宣長


 この対比が取り出せた人は広い視野と強い論理把握力がある。

 鷗外も宣長も「歴史の解釈」をしなかった人たちだ。したがって、対比の左辺に「解釈する」が配置されることになる。

 すると「思い出す」に対して「記憶する」と「解釈する」が並列的に対比されることになってしまう。

  記憶する=解釈する?


 これを納得するためにはどう「解釈」したらいいのだろうか?

 これが「無常ということ」を読解する一番のポイントである。


 さて、「解釈」が配置されたことで先ほどの「歴史」をどう考えるか?

 つまり次のような対比になっているのである。

歴史を解釈する/歴史を思い出す

 したがって「歴史」それ自体はニュートラルな語句としてもまずは捉えておこう。

 「歴史」は、「場所と経験」の「経験」「人間」「知識」のように、対比軸の一方にのみ属するのではなく、それを軸のどちらかに置く条件や形容が対比的なのだと考えよう。

 もちろん、こうした対比図が完成した後では、「歴史」を、その本質において右辺に属するものとして小林が捉えているのだと考えてもいい。六段落における「歴史」などはほとんどそうした意味で使われている。そこだけを見ると確かに「歴史」を右辺に属するものとして主張したくなる。

 だが「歴史」は、さしあたってそれをどう捉えるかという問題意識の対象となっていると考えるべきである。

 柄谷の「知識」も「人間」も、対比が明らかになった後には、柄谷がどちら側に置きたいかは明らかになっている。小林の「歴史」もそうなのだ。


 次の一節は明らかな「ではなく」型の対比を示しているにもかかわらず、どのクラスでも挙がらなかった。

思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんながまちがえている。僕らが過去を飾りがちなのではない。過去のほうで僕らによけいな思いをさせないだけなのである。

 ここが挙がらないのは、「ではない」の前後が揃っていないからだ。対比させるには、両辺を揃えなくてはならない。「歴史/解釈」を、そのままでは対比に取り上げられないのも、概念の位相が揃っていないからだ。「解釈」は「解釈する」という動詞=行為であり、「歴史」はその対象だ。

 上の一節では「ではない」の前後で、主語と目的語が入れ替わっている。これをどちらかに統一して、その述語をとりだしてみる。主語は「僕ら」と「過去」とどちらがいいか?

 これは、全体の対比の構図を想定すればいい。「記憶する・解釈する/思い出す」の系統である。つまり「僕ら」である。

 それでも単に受身形にして「飾りがちなのではない/よけいな思いをさせられない」と並べれば良いというわけではない。まだどのように「対立」しているかがわからない。

 「対立」型の対比は、一方の項に「ではなく」が付加されることが前提されている。「解釈する〈のではなく〉思い出す」のように。

 さらに「よけいなこと」の連想で次の一節が思い浮かべば、それを言い換えに使おう。

 よけいなことは何一つ考えなかったのである。

 ここまで考えれば、上記の対比的一節から「飾る/余計なことを考えない」の対比が抽出できる。

 これは「解釈する/思い出す」の言い換えのバリエーションである。


 さて、これらの二つの系統の対比はどういう関係になっているか?


 左右は意識して揃うように並べてあるが、といって一つの対立軸だとは言えない。それぞれ別の系統だと感じられる。

 しばらく考えていると、これらの関係がわかってくる。後者が前者に対する姿勢・スタンスを表わしていて、前者はその対象の捉えられ方の違いを表わしているのである。

 そしてその接点に「歴史」がある(というとD組K君は、上は「歴史」が主語になり、下は「歴史」が目的語になる対比だ、と表現した。秀逸である)。


2021年6月7日月曜日

「無常ということ」と「場所と経験」

 第1回の定期考査から第2回の定期考査まで、またいくつかの評論を数珠つなぎに読み比べていく。そしてその数珠は、ここまでの「自己論」ともまた無縁ではない(そして尚且つそれは後期に読む「舞姫」にもつながってくる!)。


 まずは教科書所収の、小林秀雄「無常ということ」を読む。

 さほど長くはない。といって長い文章の一部というわけではなく、これだけで完結している。

 戦時下の1942年に書かれ、長らく高校教科書に載り続けてきた文章で、授業者もまた高校時代にこれを教科書で読んだ。いわゆる「人口に膾炙(かいしゃ)した」文章である。


 とりあえず読む。

 おそらく、何のことやらわからないと感じるはずだ。

 少なくとも高校生の時の授業者はそう感じていたし、後に教壇に立ってこの文章を扱うようになっても、相変わらずよくわからない、と感じ続けていた。今も考えるたびに、こうかも、と思ったり、やはりよくわからない、と思い直したりし続けている。

 2013年のセンター試験の大問1に小林秀雄の文章が出題され、国語の平均点が過去最低になった。あまりに「わからない」文章を出題したことで世間からの批判も多かった。


 そもそも「完全な理解」などありえないのだし、「完全な無理解」もない(とりあえず日本語としては読める)。

 そうはいっても実際に「わかる」とか「わからない」とかいう感覚はある。その手応えを素朴に言えば、やはりこの文章は、高校の教科書などで読む文章としては相対的に「わからない」と感じる部類の文章に違いない。


 「わかる」とは、入ってきた情報が既存の認識構造に位置付けられるときに起こる感覚だ、というのが授業者の定義だ。

 予めある枠組み・型に、今わかろうとする情報をはめこむ。それに成功すると「わかった」という感覚がおとずれる。

 それは感覚だから、他人からはその位置付け・はめこみが不適切だと思われても、本人は「わかった」と感ずることもある。いわゆる勘違い・誤解だ。

 また、それは「わからない」状態に対する相対的な変化によって起こる感覚でしかない。「完全な理解」などないのだ。

 だから、「わかる」ことは必ずしも「正しい」ことを意味しない。充分であることも意味しない。

 ともあれ我々は、とりあえずは「わかる」ためにテキストを読む。その際、認識構造・枠組み・型が豊富に用意されていることと、情報の整理によってその型にはめこむ技術の総合力が、いわゆる読解力だということになる。


 小林秀雄の文章は総じてどれもわかりにくい。これは上の「型」が、にわかには見当つかないことと、文章中の情報の整理が困難なことによる。

 まず文章内の論理が追えない。あちこちに飛躍があって、どうつながっているのか、どういう関係になっているのかが掴めない。

 同時に、それを位置付けるべき枠組みが見当たらない。

 それは当然かもしれない。小林秀雄に言わせれば、既に読者がわかっていることを言っても意味はないのだから、自分が言っていることは読者が初めて出会うような認識なのだ、ということかもしれない。そうならば「わからない」のは当然だ。

 だが上にも言ったとおり「完全な理解」がないように「完全な無理解」もない。わかるとかわからないというのは程度問題であり、それはそこにかける思考の時間によって変化する相対的な感覚だ。

 可能な範囲で情報の整理を進め、同時にこの文章が位置付けられるべき枠組みが何なのかを探る。

 この、情報の整理と枠組みへの位置付けは相補的に機能するもので、それはよく言っている「全体」と「部分」の理解が相補的であることと類比的・相似形だ(ここでもそのモデルは入れ子状のフラクタル図形的イメージ)。

 文章内の情報の整理は毎度の「対比」などのテクニックを駆使して行う。

 そして枠組みを充実させるのが、読み比べである。


 授業者にとって、長らく「わからない」と感じられていた「無常ということ」が、いささかなりと「わかった」と感じられたのは、授業で別の、ある文章を読んでいた時だ。不意に、ここで言っていることは小林が「無常ということ」で言っていることと同じだ、と思ったのだった。そのいわゆる「腑に落ちた」感覚は、鮮烈な体験として記憶されている。

 その文章が柄谷行人の「場所と経験」である。


 戦前戦後を通じて小林秀雄が思想界に対して強い影響力をもっていたように、1980年代における柄谷行人はカリスマだった。後に東大総長となる蓮実重彦とともに、何か「別格」的な扱いだった。

 ただその文章は、文章の外部に対する参照事項が多く、同時に小林秀雄の文章に通ずるわからなさがあって、高校の教科書には載りにくいし、大学入試にも出題されにくい。正解・不正解が言えないからだ。ただ、時々「わかった」と思えたときの爽快感と、全体として「何だかこの人はすごいことを言っている」感がカリスマ性の源泉だった。

 「場所と経験」は、全体として文章の外部に対する参照事項が少なく、短く完結した、高校生にも読めなくはない、と感じられる文章であり、柄谷にしては数少ない、教科書に収録された文章だ。

 だが同時に、議論が抽象的に過ぎて結局のところ何が言いたいのかはわかりにくい文章でもある。

 この言い方は正確ではない。「わかりにくい」と感じていたわけではないのだ。ただ、振り返れば「それがどうした」という感じでもあったのだ。「わかった」という感じがおとずれた後になってみると。

 その感じは、「無常ということ」が「わかった」と感じたのと同時だった。

 つまり二つの文章は、互いに相手を、それぞれを理解させるための「枠組み」だったのだ。

 それは同時にまた、よりも大きな「枠組み」として、それ以外の文章を理解することに有効な「枠組み」でもある。