「檸檬」と「舞姫」には、対比的な心理状態によって区切られる、時期の対比がある。
以前/その頃
(以前)/3年経って
エリート/落魄・頽廃
この対比構造に、さらに作品中の要素を対比させて書き加えていこう。
実は「檸檬」と「舞姫」を比べよ、と指示した段階で、気づいた者もいた。「檸檬」の時間的な対比構造は、「山月記」との比較の際に考察した「舞姫」の空間的な対比構造と、対立軸を同じくするのである。
ウンテル・デン・リンデン/クロステル巷
ホテル・カイゼルホウフ/エリスの家
ということは「檸檬」にも同じような空間的対比があるのだろうか?
わかりやすいのは「ホテル・カイゼルホウフ/エリスの家」という対比に対応するものとして「丸善/果物屋」という対比が見つかることだ。
そしてもうちょっと大きな空間として「ウンテル…/クロステル」の対比に「表通り/裏通り」という対比が重なることがわかる。ウンテル・デン・リンデンはベルリンの目抜き通り、中心的な表通りである。
そしてクロステル巷が裏通りに対応していることは、何よりその描写の印象から感じ取れることだ。
実際に本文で該当箇所を読み比べてみよう。
なぜだかそのころ私はみすぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋がのぞいていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、といったような趣のある街で、土塀が崩れていたり家並みが傾きかかっていたり…
クロステル巷の古寺の前に来ぬ。余はかの灯火の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷に入り、楼上の木欄に干したる敷布、襦袢などまだ取り入れぬ人家、頰髭長き猶太教徒の翁が戸前にたたずみたる居酒屋、一つの梯は直ちに楼に達し、他の梯は穴蔵住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向かひて、凹字の形に引き込みて立てられたる、この三百年前の遺跡を望むごとに、心の恍惚となりてしばしたたずみしこと幾度なるを知らず。
寺の筋向かひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯あり。これを上りて、四階目に腰を折りて潜るべきほどの戸あり。
双方に洗濯物が登場するのは偶然とは言え、崩れかかった街のイメージは,驚くほど似ている。
また「丸善」と「カイゼルホオフ」及びロシアの宮殿の描写を読み比べる。
生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、例えば丸善であった。赤や黄のオードコロンやオードキニン。しゃれた切り子細工や典雅なロココ趣味の浮き模様を持った琥珀色や翡翠色の香水瓶。煙管(きせる)、小刀、石鹼、たばこ。私はそんなものを見るのに小一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
余が車を下りしはカイゼルホオフの入り口なり。…久しく踏み慣れぬ大理石の階を上り、中央の柱にプリユツシユを被へるゾフアを据ゑつけ、正面には鏡を立てたる前房に入りぬ。
ペエテルブルクに在りし間に余を囲繞せしは、巴里絶頂の驕奢を、氷雪のうちに移したる王城の粧飾、ことさらに黄蠟の燭を幾つともなく点したるに、幾星の勲章、幾枝のエポレツトが映射する光、彫鏤の工を尽くしたるカミンの火に寒さを忘れて使ふ宮女の扇の閃きなど…
印象が似ていることに驚いてほしい(授業者は最初ずいぶん驚いた)。梶井基次郎がそれを意識したとは思わないが、これらはまるで示し合わせたように対応していると感じないだろうか。
さて、「エリスの家」にエリスがいるように、檸檬は「果物屋」で購ったものだ。
「相沢・天方伯/エリス」という対比は明らかだが、檸檬に対比されるのは、香水瓶? 石鹸? 小刀?
檸檬との絡みで考えるならば画集こそがふさわしい。
画集/檸檬
相沢/エリス
カイゼルホウフ/エリスの家
もう一つ、こうした対比のセットで、「舞姫」と「檸檬」に対応するものを挙げてみよう。
豊太郎は右の時期において「歴史文学に心を寄せ」るようになる。とするとそれに対応して左に置かれるべきものは?
「法律」である。豊太郎は法律の勉強のためにドイツに留学を命ぜられたのだった。だが今や法律は「枯れ葉」と表現される。
同じような対比が「檸檬」の「私」にも認められるだろうか?
「美しい詩・音楽」を左辺に挙げたい。それは「以前私を喜ばせた」ものであり、今は「辛抱がならなくなった」ものだ。対応する右辺は?
ここに「花火・びいどろ」を挙げるのは不揃いだ。確かにそれらは右辺に置かれるべきものだが、それに対応して左辺に置かれるのは具体物である「香水瓶・石鹸」などだろう。
精神活動の対比として、「想像・錯覚」がふさわしいと思う。街を二重写しに見る幻想や、最後に檸檬を爆弾に見立てる想像癖は、右辺にある主人公の心理的な特徴の一つだといえる。
法律/歴史・文学
美しい詩・音楽/想像・錯覚
「檸檬」と「舞姫」は、時間的にも空間的にも、そして主人公の心理的状況的にも、きわめて似通った対比構造をもっている。
そうした直観を可視化するため、「舞姫」と「檸檬」の対比構造を全体として図示しよう。
例えば、「檸檬」と「舞姫」を左右に振り分けて横軸を類比対応とし、上下は対立関係にある項目を挙げる。
上記3点に加え、さらにそこにある物品、それぞれに付された形容などを探して、対比図に書き込む。
これが「檸檬」と「舞姫」の時間・空間、事物や形容などに見出される対比構造だ。
こうした座標軸の中で、確かに檸檬とエリスは同じ位置にあることが確認できる。
この構造把握に基づいて両作品を読解してみよう。
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