2021年12月21日火曜日

舞姫34 比較読解「羅生門」3 通過儀礼における「異類」殺し

 前述の『人身御供論』の中で、大塚は通過儀礼の物語と、「鶴女房」「蛇女房」「猿婿入り」などの民話に見られる「異類婚」のモチーフを結びつけ、〈移行〉期における随伴者としての「異類」の存在を「移行対象」のアナロジーで考察している。

 『移行対象(transitional object)』とは、絶対的依存期から相対的依存期の過渡期である『移行期(6ヶ月~1歳頃)』に現れてくる物理的な対象のことである。それは単なる物理的なモノというだけではなく、今まで一方的に依存していた母親のもとを離れようとする幼児の孤独や不安を和らげる魔術的な力を持ったぬいぐるみやおしゃぶり、玩具、毛布、ハンカチなどのことを指す。(「分かりやすい“心理学用語事典・学術用語事典”のブログ!Keyword Project+Psychology」)

 幼児は成長する過程で、いったんは「移行対象」に依存し、その後再びそれを捨て去るのであり、これが、「異類」との別離が必須である理由だと大塚は分析する。

 先の『千と千尋の神隠し』では、主人公の千尋は、「ハク」と呼ばれる川の精霊に助けられて、異界での〈移行〉期を過ごす。だが、通過儀礼の物語の最終的な段階である〈再統合〉のためには、千尋は「ハク」との別れを経験しなければならない。

 そして「異類」との別離は、時として殺害という形で表現されることもある。あるいは主人公によって、あるいは物語そのものの力によって、「異類」は通過儀礼の供儀として殺される

 グリム版「赤ずきん」では、森へのお使いが〈分離〉および〈移行〉のプロセスに対応し、帰還が〈再統合〉に対応している。だとすれば、森という異界に住む狼が、赤ずきんにとっての「移行対象」である。ベッドに潜んで赤ずきんを誘惑し、「食べて」しまう狼に性的な比喩を読み取ることは容易だ。つまり狼は赤ずきんにとっての「異類婚」の相手である。そして主人公は「移行対象」である「異類」を殺すことによって、通過儀礼の物語を完遂する。

 「羅生門」の老婆もまた、下人によって手荒く蹴倒されることによって、「移行対象」としての役割をまっとうしたのだといえる(そうした観点からは『千と千尋の神隠し』における〈移行〉期の随伴者は「ハク」及び「カオナシ」「湯婆婆」の三者に分離しているというべきかもしれない。子ども向けの作品としては随伴者の殺害といった物騒な展開にするわけにもいかないだろうから、「ハク」とは別れのみを体験させ、「殺害」に相当する闘争の相手として「湯婆婆」を置いているのかもしれない。「カオナシ」の存在はまた奇妙な謎に包まれていて、ここでは分析しきれない)。

 こう考えてみると、「舞姫」の物語が、なぜエリスの発狂という、読者にとって不全感を拭いがたい形で完結しなければならなかったのかという疑問にも、ひとつの解答が得られる。

 それは「舞姫」という物語が、豊太郎を近代日本という社会に〈再統合〉させる通過儀礼の物語だからなのだ、という答えである。

 エリスという「異類」は、そのための供儀として殺されなければならなかったのだ。


 通過儀礼とは、当人にとっては共同体への参入の資格を得る機会であり、それが「成長」というビルディングス・ロマンの形式にも比せられる理由だが、一方で通過儀礼を要請するのはあくまで共同体の側である。

 共同体は、内部の秩序を成立させるために、異物を作り出してそれを外部に排除する必要がある。「一寸法師」や「桃太郎」における鬼ヶ島の鬼たちも、そうして殺される「供儀」である。

 老婆が着物を剥ぎ取られたうえで蹴倒されるのも、エリスが発狂したうえで捨てられてしまうのも、狼や鬼などの異界の住人が当然のように腹を裂かれ討ち滅ぼされてしまうことを考えれば、やむを得ない物語上の要請があったからだと考えるべきかもしれない。

 それは主人公による主体的選択などではなく、物語が強いる構造上の必然だ。そこでは登場人物の豊太郎もまた、近代的「個人」として行為の起源を担うことはできない。


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