2020年10月30日金曜日

こころ 17 曜日を特定する意義

  長い推理過程を経て、教科書収録部分の曜日が確定した。

月曜 ① 上野公園を散歩する

   ② 夜中にKが「私」に声を掛ける

火曜 ③ 登校時にKを追及する

月曜 ④ 奥さんと談判する

木曜 ⑤ 奥さんがKに婚約の件を話す

土曜 ⑥ 奥さんが「私」に⑤の件を話す

土曜 ⑦ Kが自殺する


 ここまでの推論の過程を認めるとして、それを本当に漱石が想定していたと皆は信じられるだろうか。これは徒に深読みしているだけではないか(ここまでの授業のあちこちで、ホントに作者はそんなこと考えてるんですか? と言いたかった者は多いかもしれない)。

 だがこうして推論を重ねてみた感触では、漱石は周到にこうした設定をした上で書き進めていると思えた人も多いはずだ。

 それでも以上の推論に牽強付会な印象があると感じられるとすれば、そこには次のような誤解があるかもしれない。

 ここまでの推論は日程の記述から曜日を特定しているが、作者漱石がこのように考えたと言っているわけではない。逆だ。漱石の中では、曜日が先に想定されていて、それに基づいて日程が表現されている、と言っているのである。

 曜日の設定は、あくまで作者が書く上での想定だ。それを逆に辿って、記述から曜日を推論するのにこのように手間が掛かることが、この考察が穿ち過ぎであるような印象を与えてしまう。

 そしてまたこれは、こうした曜日を語り手である「私」が覚えているということでもない。「私」にはそれぞれの出来事の配列と、その間のおおよその時間経過と、Kが自殺した晩の曜日「土曜日」が認識されているだけだろう。

 だから、漱石がこうした曜日の設定を読者に読み取らせるつもりがあったと言っているわけでもない。こちらが勝手に、作者の創作過程を推測しているのだ。

 ただ「こころ14」で推理した「運命の皮肉」については、それに気づく読者がいることを期待していたはずだ。あのような付合を示す符牒が意図されていない偶然だと考えることは難しい。漱石は注意深く読んでいる読者にだけでも気づいてもらうことを期待して書いたはずである。

 そしてそこに気づいた時の戦慄は、決して小さなものではなかった。


 3時限にわたって、物語内を流れる時間を把握するための推論をしてきた。

 一方で、こちらが一方的に説明してしまえば、以上の推論過程の概略と結論を10分程度で語ることも可能ではある。

 だがそんなふうに読解の結論を知ることには大した意味はない。「二、三日」と「五、六日」の関係をどう考えたらいいのか、なぜ「二、三日」が示されているのか、「二日あまり」とは何か、などの問題点を発見したり、解釈の根拠を文中から探したり、自分の思考を客観的に点検してみたり、妥当な結論へ向けて推論したり議論したりすることにこそ、国語科としての学習の意義があるからだ。

 そしてそうした過程は、それ自体、楽しかったはずである。


 こうして共有された認識は、この先、物語の展開に沿った登場人物の心理を読み取っていく上で、それを実感として想像したり議論したりするための根拠になる。


 その中でもとりわけ重要なのは、「奥さんがKに婚約の件を話す」が木曜日だということを確認することである。

 この出来事は、当の木曜日の時点では物語の前面には表れることなく、それが表面に浮上するのはの土曜日である。そしてその晩にKは自殺する()。

 こうした情報提示の仕方によって、読者は⑤と⑦がきわめて近い時期に起こったかのように錯覚してしまう。そしてそれはそれら二つの出来事の因果関係を殊更に意識させることになる。

 つまり、Kはお嬢さんと「私」の婚約を知って(また、「私」の卑怯な裏切りを知って)自殺したのだ、と考えてしまうのである。

 このような解釈はただちに「エゴイズムと罪」をテーマとする小説としての「こころ」観を成立させる。

 私の「エゴイズム」がKを死に追いやったのだ。

 だが、ここには実は語られないまま経過していた「二日あまり」がある。これが意味するものは、よくよく考えなければならない。

 ⑤の木曜日から⑦土曜日までの「二日あまり」、Kの心にはどのような思いが去来していたのか?

 これはKの自殺に至る心理を考察するための重要な認識である。

 授業の最終段階で再考する。


 さて次は「覚悟」の考察である。

 ①のエピソードにおいてKが口にした「覚悟」が、「自殺の覚悟」だとすると、Kは自らそう宣言してから12日後にそれを実行に移したことになる。

 そう解釈することは妥当か?


こころ 16 上野公園を散歩したのはいつか

 この先の議論を進める前に、次の確認をしておく。

 ④「月曜日」、また①②③の日は、それぞれ本文のどの記述からどの記述までに対応しているか?


 ある程度の長さの文脈を一気に把握することは、意識しないとできない。一息で把握できる文脈の長さは、そのまま読解力の高さを示している。いま目で追っている文章が前後の文脈の中でどのような位置にあるかを捉えることは、文章を読む上で決定的に重要である。

 「土曜日」「月曜日」という認識が、どれほどの長さの文章を把握する際に必要な枠組みなのかを意識したい。


 ④「月曜日」の始まりは44章の「一週間の後」(196頁)から46章の終わり(201頁)までだ。その日のうちに「談判」や神保町界隈の彷徨、気詰まりな夕飯の場面までが含まれるのである。「室に帰」った時点を「二、三日」「五、六日」の始点とするという推論をしてもそれが④と同じ月曜日の晩のことだとわかっていなければ議論を先に進めることはできない。


 さらに長いのは40章の冒頭「ある日…」(187頁)から43章後半部の「しかし翌朝になって」の直前「私はそれぎり何も知りません。」(194頁)までの一日だ。3章半に渡るこの部分に、重要な情報の詰め込まれた①「上野公園の散歩」や、謎めいた②「真夜中のKの訪問」が含まれる。

 さてこの長さが一掴みに把握できたところで、では、これは何曜日か?


 考えるべき点は44章(196頁)の「二日たっても三日たっても」と「一週間の後」の関係である。

 考え方の手順は既に把握しているはずだ。結論としてこの「二、三日」は「一週間」に含まれる。

 上記にならって、「三日」を「一週間」と区切る特定の出来事が見出せないからだ、という言い方も勿論可能だ。

 また、それぞれの始点を考えてみると、「二、三日」の始点が「覚悟を決め」た時点であることははっきりしている。これがKに夜のことを問い質した③のエピソードと同じ日である保証はないが、わざわざ日を隔てていると考える必要はないだろうから、③から「二日たっても三日たっても」なのだと考えていいだろう。
 一方「一週間の後」の始点は明らかには示されていないから、そうした場合はやはり「覚悟を決めた」時点が開始点だと考えていい。その間は「二、三日」同様に「機会を狙ってい」たのである。途中経過の言及がなぜ必要かといえば「いらいらしました」という焦燥が生じたという変化が、この「一週間」のうちで起こったからだ。

 つまり「二日たっても三日たっても」と「一週間の後」は重なっていると考えていい。


 このことを読者が自然に感じ取れるのは「一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって」の「とうとう」である。

 「とうとう」は、その前に何らかの経過を前提する副詞である。「二日たっても三日たっても」という途中経過を受けていると読み取るからこそ「とうとう」が自然なものとして感じられるのである。


 つまり③は、奥さんと談判したのが月曜日だという先の結論から遡ること「一週間」、前の週の月曜日ということになり、40章の冒頭①「上野公園の散歩」はその前日、日曜日ということになる。

 これで全ての曜日を特定したと考えていいだろうか?


 ①②が日曜日であるという結論に問題はないのだろうか?

 ①の始まりの時点で「私」は学校の図書館で調べ物をしている。大学が日曜日に休みであることを④の考察時に根拠にしたように、当時の帝国大学図書館が日曜休館であったと考える必要はないのだろうか。

 高校の図書室は日曜日はむろん休館だ。一方で自治体の公共図書館は日曜にも開館している。国立国会図書館は日曜祝日は休館。では大学の図書館は?

 現在の大学の図書館は学生の利便性を重視して日曜日も開館している大学が多いのだろうが、明治の帝国大学図書館はそのような利用者サービスに配慮していたのだろうか。

 この点については、当時の大学図書館の休館日を調べれば、漱石の想定がどちらかははっきりする。だがこれをテキスト内情報から推測してみよう。

 ①の曜日を推測する手がかりはないか?


 「私は久しぶりに学校の図書館に入りました」の「久しぶり」から、①が週明けの月曜日である印象があると考える者がいるが、これはむろん確定的な論拠にはならない。「久しぶり」というのは、その前のKの自白のエピソードが正月だったことから考えて、おそらく冬休み明けであることを示している。

 それよりも、図書館にいる事情を語る次の一節から、この日の曜日について推論してみよう。

    私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べてこいと命ぜられたのです。

 この日が日曜日だとすると、「次の週までに」とは「明日までに」を意味することになる。翌日が月曜ということになるからだ。とすれば「私」は今日中に何とか調べ物を片付けなければならないはずである。ところが「私」はようやく探し出した論文を「一心に」読み始めたところに現れたKに心を乱され、あっさり調べ物をやめてしまう。翌日、命令に反したことをどう教師に説明するつもりかを気にする様子もない。

 「書く方が自然なことが書いていない場合は、それがないものと見なす方が自然」の法則からすれば、こうした想定は「不自然」である。

 だがこの日が月曜だとすると、「次の週」とは言葉通りの一週間後である。

 必要な論文は見つかったことだし、今日はもう調べ物を中止してもよかろう…。

 こうした想像はこの日を日曜とする上の仮定よりも自然だ。

 そもそも「教師から命ぜられた」のも、今日=月曜のことであるように感じられる。日曜に調べ物をしていたのなら「命ぜられていた」の方が自然であろう。


 「勘定してみると」の考察に見られるとおり、表現の細部には、その表現が選ばれた必然性が表れる。漱石が各エピソードの起こった曜日を想定して書き進めているとするなら、この日は月曜日だと想定されていることが、これらの細部の表現の整合的な解釈であると考えてもいいだろう。


 以上の推論からすると、40章の①「ある日」が月曜日、翌日43章の③「その日」が火曜日と見なすのが妥当だということになる。

 とすると、「いらいら」と「機会をねらっていた」のは「一週間」ではなく「六日間」ということになってしまう。「一週間」というのは①から④までの期間ではなく、③から④までの期間だからだ。

 これはかまわないか?


 かまわない。そもそも当時から何年もたって書かれた遺書に「六日後になって」などと正確な日数を書く方がむしろ不自然だ。「私」がここだけ正確な日数を覚えていると考える必然性もない。他の日程が「二、三日」「五、六日」といった曖昧さをもった表現なのだからこの「一週間」だけが正確に「七日」を指していると考えなければならないわけではない。といって他と同様の「六、七日」「七、八日」などという表現もかえって不自然である。だから仮に六日だとしても「六日の後に」とは書かない。

 とりわけここでは、物語が大きく動くエピソードとして、週始めの①②③から、次の週の始めに置かれた④までの間隔を概ね「一週間」と表現したのだと考えるのは、まったく自然である。


 これで教科書主要エピソードの曜日は確定できた。

 このことに何の意味があるか?


こころ 15 「二日あまり」の意味

 ところで、保留にしていた、⑤が水曜日である可能性について検討しよう。

 ここは、さりげない表現にも漱石の周到な計算が読み取れる、きわめて興味深い考察が可能な箇所である。


 「二日あまり」とは、単に「二日以上」という意味なのだろうか?

 「二、三日」と「二日あまり」を足して「五日」ということなのだから、⑤が水曜日だとしても、そこまでが「二日」で、その後の⑥までの「二日あまり」が実際は「三日」だとしても、計算は合う。

 つまり⑤は水曜日と木曜日のどちらでも良いことになる。

 先回りして結論を言えば、確かに⑤は水曜日と木曜日のどちらとは厳密には確定できない。先の「暫定的に」は結局便宜的な決定でしかない。

 だがこの「二日あまり」が「二日」とか、他と同じ「二、三日」という表現でないのはなぜか、という疑問は残る。

 「二日あまり」はなぜこのように表現されるのか? 「あまり」というのは何のことか?


 聞いてみると、「二日」という経過の長さを強調した表現だという者がいる。

 「奥さんがKに話をしてからもう二日経ちます」というニュアンスだというのだ。

 結果的にそうしたニュアンスが感じられるとも言えるが、どちらかといえばこの印象は「もう」のニュアンスからきていると言うべきだろう。


 それよりも素直に「二日以上」の意味だと考えて、なぜ「以上」と言っているのかを考える。

 二つの可能性がある。

 一つ目は、さっきの「三日かもしれない」という意味を含んでいる場合である。奥さんがKに話したのは水曜日かもしれないのだ。といって火曜では四日ということになり、「二日あまり」という表現に含む候補としては遠すぎる。つまり「水曜日かもしれないがたぶん木曜日」というニュアンスである。

 もう一つは、⑤奥さんがKに話したのが木曜の日中のことであり、一方⑥が土曜日の夕方以降だったことを意味している、という場合だ。それならば確かにその間隔は「二日以上」である。


 解釈上はどちらかで納得すれば良い。

 だがいずれにせよ、ここで考察すべき問題は、「二日あまり」という表現から読み取れる情報である。

 「私」はどうやって⑤の日時を推定したか?

 それを考える鍵は「勘定してみると」という表現である。

 言うまでもなく奥さんが「二日あまり」と言ったわけではない。奥さんが「二日前にKさんに話した」と言ったのだとすれば、「私」は「勘定」することなくそのまま「二日前」と認識するのであり、そうなれば日程の方ではなく逆に曜日の方を数えることになる。

 では「木曜日」か「一昨日」だろうか。

 だがそれでも「勘定してみると」という持って回った言い方は必要ない。「勘定」するまでもなく「二日」であることは明白だからだ。


 「勘定してみると」は、わざわざそれを数える一手間があったことを示している。

 奥さんの態度の変化から推測したのだろうか?

 確かに、それまで「私」に「突っつくように」催促していた態度が、④を境に変化したのは確かだ。だが、「私」がその時期を明確に意識することは難しい。「勘定」が可能な程の明確な変化として「私」がそれを木曜日と断定できたとは考えにくい。まず変化に気付いているかどうかすら怪しい。


 奥さんの話には、日程を示す直截的な表現は含まれてはおらず、同時に「二日あまり」という「勘定」が可能な情報は含まれていたのだ。

 こうした条件に適う文言とはどのようなものか?

 具体的に、奥さんは「私」に何と言ったのか?


 考えられる可能性の一つは、奥さんが伝えた話に具体的な日時を推測する手がかりが含まれていた場合である。

 奥さんがKに話をしたのは、当然「私」が不在の時に違いない。「あなたがあの日、学校から帰ってくる前に…」とか「娘が習い事に行っている間に…」などと奥さんが言ったとすれば、「私」は自分が下宿に不在で、Kと奥さんだけが下宿にいた機会を具体的に思い出し、そこから本日、土曜日までの日程を「二日あまり」と「勘定」することができる。

 もう一つ考えられるのは、奥さんの話の中に「三日」という言葉が含まれていた可能性である。

 奥さんは談判のあった月曜日の夕食時に、すぐにでもそのことがKに公表されるものと思っていたはずだ。それが曖昧に過ぎてしまった後でも、「奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突っつくように刺激する」というのだから、奥さんはそれが直ちに公表されることを期待している。だから三日経った木曜日に思いあまってKに伝える際に「もう三日も経つの、お友達からお聞きじゃないんですか」などと言ったのではないか。

 この可能性は大いにありそうなことだし、それを「私」に話した際(⑥)にも「三日も経ったんだからもうKさんには話しているだろうと思って…」などと言ったというのは大いにありそうなことだ。そこから「私」は談判のあった月曜日から「三日」、つまり⑤が木曜であったことを特定し、さらに現在の土曜日までの経過を「二日あまり」と「勘定」したのである。


 もちろん上のような想像においてさえ、厳密には奥さんの言葉からは「私」が水曜日か木曜日という曖昧な推定をするしかない情報が得られただけだったのだという可能性は否定しきれない。Kが「私」より先に帰った日は水曜と木曜の二日ともであったかもしれない。となれば「二日あまり」はあくまで「二日以上」でしかなく、先述の結論のとおりやはり「木曜か水曜」でしかない。

 だが重要なことは結論ではなくこうした推論過程である。そして蓋然性からいえば「私」は木曜と特定できたか、もしくは奥さんは「三日も経った」という表現を使ったと考える方が自然である。

 そして、そもそもこの一連の考察は、作者漱石があらかじめ各エピソードをカレンダー上に配置して書き進めているのではないかという想定に基づいている。

 とすれば作者としては「水曜日か木曜日」のような曖昧な想定をする必要はなく、単に木曜日と想定するのが簡便なはずだ。

 したがって今後は便宜上、⑤を木曜とする共通認識で話を進める。







 上の考察によって明らかになることは、漱石がそれぞれのエピソードをカレンダー上に配置して書き進めているという事実だ。そうでなくてこの「勘定してみると」という表現が置かれることはありえないのだし、前項の「運命の皮肉」が意図的でないなどとは到底信じられないのだから。

 なのにこうして考えてみるまでは、読者がその周到な計算に気付くことはないのである。


2020年10月29日木曜日

こころ 14 おそるべき運命の皮肉

 問題は、「二、三日」の後、⑥までの「五日」にいたる残り「二、三日」だ。両者に何らかの質的な差違がなければ、それを区切る必要はない。

 残りの「二、三日」とは何か?

 これはすなわち48章の「二日あまり」のことだ。両者を足したものが、月曜から土曜までの「五日」である。「二、三日」は、この「二日あまり」と「五、六日」の関係を読者に理解させるための補助的な役割を担っているとも言える。

 そしてこの「二日あまり」と「二、三日」を分けるものこそ⑤だ。

 暫定的な想定によればこれは木曜日に起こっていることになる。





    


 この前後がどのような意味で区別されるべきなのか?

 ⑤の前後でKが婚約の事実を知っているかいないか、という違いはある。だがそれは「私」には与り知らぬことだ。それが「二、三日」という終点を示すことにはならない。

 「二、三日」は、奥さんの態度の変化をもって区切られる、というアイデアが生徒から提示された。

 「そのまま二、三日過ごしました。」に続く一節は「その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのは言うまでもありません。」である。これだけならばその後の「二日あまり」も同様のはずだ。

 ただ、この記述に続く「その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突っつくように刺激するのですから、私はなおつらかったのです。」は、確かに「二、三日の間」とそれ以降で区切られる。なぜなら⑤の木曜日を境に、奥さんは「私」を「突っつく」のを止め、「私」とKの態度を、探るように観察しているはずだからである。

 奥さんは、Kに対して婚約の事実を伝えない「私」の態度に不審と不安を覚え、思いあまって自らKに婚約の件を伝える。そしてそれ以降それが事態をどう動かすことになるのか、戦きつつ注視している。自分のしたことを、余計なこと、と責められるおそれがあるからだ。

 なるほど、奥さんの態度は確かに⑤を境とする「二、三日」と「二日あまり」で変化するに違いない。だが「私」がそのことに気付いているかどうかは怪しい。

 何か、「私」の意識にとって「二、三日」と「二日あまり」を区切るものはないのだろうか。

 「二、三日」の終点に対応する記述はあるか?

 ⑤の出来事が当時の「私」に知れるのは⑥によるのであり、しかもそのことを知る「私」の衝撃を読者にも感じさせるため、全てを過去の出来事として把握しているはずの語り手の「私」も、47章の時点でそれを示す記述をおかない。だから「二、三日」の終わりが⑤のあった木曜日だとしても、それは伏せられたまま、「五、六日」の終わりまで、くだくだしい言い訳じみた逡巡が語られるだけだ。

 だが一旦、ここには問題の⑤木曜日が含まれているのだと思い至ったとき、にわかに一つの記述が注目されてくる。


 47章冒頭(201頁)の一段落は「私はそのまま二、三日過ごしました。」で始まり、Kに告白することへの逡巡の、基本的葛藤が語られる。

 そして二段落の冒頭は次のように始まる。

    私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおうかと考えました。

 「そう言ってもらおう」というのは、お嬢さんとの婚約が成立したことを奥さんからKに伝えるという意味である。

 だがこの思いつきは「しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変わりはありません。といって、拵えごとを話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに決まっています。」と続く思考によってすぐに打ち消されてしまう。だから、読者にとってはこれも五日間の逡巡の一過程に過ぎないものとして読み流されてしまう。

 だがこの記述を、漱石は周到な計算のもとにここに置いているのではないか?

 「奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおう」という思いつきこそ、この五日間における、月曜から数えて「三日」目、木曜日の思考だったのではないか?

 とすると一段落の葛藤は、そのまま形式的に「二、三日」の期間を示し、二段落が残りの「二日あまり」を示すことになる。


 この解釈は、「また」の示す反復/対置の解釈についても有効である。

 奥さんとの談判(④)以降、「私」はいよいよKに対して告白しなければならない窮境に陥る。45章の談判から、46章の長い彷徨や夕飯の席など、「私」の逡巡は既に充分事細かに描かれている。

 その終わりが46章末尾の「卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのがいやになったのです。」だ。「その(逡巡の)まま二、三日過ごし」すのだから、④当日から一段落までは一続きである。

 その後木曜日に、奥さんに言ってもらおうかという思いつきに至る。

 だがそれは新たに奥さんとお嬢さんへの弁明の必要を生じさせるから、結局実行に移せないまま「また立ちすくみました」という結論に戻る。

 「また」で示される対置は充分に納得できる。


 とすると、この記述は⑤と表裏をなしていることになる。

 どういうことか?

 つまり「私」が「奥さんに…言ってもらおうかと考え」、だが「私」がもっともらしい理由を付けた逡巡の挙げ句にその実行をやめたちょうどその頃、「私」の知らないところで、まさに奥さんはそれを実行してしまっていたのである。

 なんたる皮肉!

 詳しくは後の授業で再検討するが、「私」がKに言わなかったことがKの自殺という悲劇を引き起こした最終的で決定的な要因である。

 談判したことが、ではない。談判したことが奥さんからKに伝わってしまい、かつそのことを「私」が知らないまま「二日あまり」を過ごすことになる、この運命の皮肉こそ、Kの身に起こった悲劇を理解する重要な要因なのだ。

 「私」が逡巡に打ち勝って直接Kに婚約の件を話していれば、そうでなくとも少なくとも「私」の依頼によって奥さんからKの知るところとなっていれば、おそらく悲劇は回避されていたのである。

 そう考えると、漱石がさりげなく置いた「二、三日」という途中経過にこめた、あまりに大きな運命の皮肉に、あらためて驚かされる。


2020年10月27日火曜日

こころ 13 「二、三日の間」の意味

 「私」が奥さんに、お嬢さんとの婚約を談判したのは、Kが自殺する土曜日から遡る五日前の月曜日であるとの結論が出た。

 だが本当はその前に、もう一方の、「二、三日」と「五、六日」は重なっていない、足すべきだという主張の根拠についての検討がなされているはずだ。この説の根拠はどのように提示されているか?


 「二、三日」と「五、六日」が重なっているか重なっていないかという問題の要点は、両者を区切る切れ目、カウンターをリセットして日数を数え直す起点を認めることができるかどうかという点にある。つまり「二、三日」と「五、六日」を連続した日数だと見なして合計してしまった人は、その切れ目があると主張しているのである。

 その切れ目は何か?

 逆に重なっていると主張するには次の疑問に答えなくてはならない。

「二、三日の間」(201頁)という記述はなぜ必要なのか?


 実際に「足すべき」派が根拠として挙げたのもこれである。

 小説は現実ではない。作者によって創られることで初めてこの世に存在する。したがって小説中に書かれてあることには原則として必ず意味があるはずだ。

 このテーゼはなまなかには無視できない。「二、三日」が「五、六日」に含まれる途中経過であるとすると、そうした記述はなぜ必要なのか。「二、三日」と書かれているのは、それが「五、六日」とは独立した別の期間だからではないか。

 「二、三日」の後にあらためて「五、六日」を数え始めたにせよ、「二、三日」に続けて「四、五、六日」と数えていったにせよ、その終わりに何事もないのならば「二、三日」と数えるという思考がそもそも生じないはずだ。作者の中で何かが意識されているから「二、三日」という経過が示されたのである。

 それは何か?


 「二、三日」という期間を示す記述の終点の候補は明確には見つからない。それでも挙げるならば例えば次のような記述がかろうじて指摘できる。

私は何とかして、私とこの家族との間に成り立った新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。(201頁)

私はこの間に挟まってまた立ちすくみました。(202頁)


 これらは「二、三日」の終わりの区切りをなしているのであって、同時にそこを始まりとして「五、六日」と数え直したのだとも考えられるだろうか?


 この点にも関わる注目すべき着眼点を提出してくれた人がいる。

 「五、六日たった後」の直前の「同時に、どうしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟まってまた立ちすくみました。」の「また」に着目するのである。

 「また」は反復を表わす副詞だ。とすればこれ以前にも「立ちすく」んでいる状態があったということだ。その二つの、対置される「立ちすくみ」状態が、「二、三日」と「五、六日」として読者に提示されているのではないか。

 だが「二、三日」の「立ちすくみ」は、どのような意味で「五、六日」の「立ちすくみ」と対置されるのか。④から⑥までは常に逡巡が継続していたのではないか。


 「二、三日」と「五、六日」を区切って、それらを対置する要素はなかなか見つからない。

 一方「また」が示す「対置」についても納得できる解釈が必要だ。

 授業では二つのアイデアが提示された。

 一つ目は④当日に、Kに言えなくなってしまっていることと、それ以降の「五、六日」を対置しているという解釈だ。④当日の「立ちすくみ」については、例えば46章末尾の「卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのがいやになったのです。」などがそれを表現しているといえる。

 だが、当日の「立ちすくみ」と、それ以降の「五、六日」であれ「七~九日」であれ、継続する「立ちすくみ」を、どのような意味で区切るというのだろうか。当日から⑥まで、「私」は一貫して「立ちすくみ」続けていたのではないか。


 もう一つは、④「談判」以前と以降の「立ちすくみ」を対置しているという解釈だ。「私」は④以前も、お嬢さんを好きだとKに言わなければならないと感じているのに言えずにいた。そして行動を起こした④の談判=婚約の成立以降は、いよいよ言わなければならないという圧力は高まったというのに、それでも言えない。

 この二つが対置されているのだ、という解釈である。これは長い文脈を一掴みにする力強い把握である。

 談判の前後の「立ちすくみ」は、その切迫感において区別される充分な必然性があるから、これらを「また」で対置しているのだと考えることは腑に落ちるが、一方で、読者にそれだけの視野を要求していると考えることに無理があるようにも感ずる。


 どちらも興味深いが、いずれにせよ「また」が直ちに「二、三日」と「五、六日」を区切る根拠になるとは言い難い。

 同時に、何と何が対置されるのかについても完全には納得しきれない。


 やはり推論の過程としては先述の「継続」と「始点」についての考察の妥当性は高く、「二、三日」は「五、六日」に含まれると考えられる。







 ならばなぜ漱石は「二、三日」という途中経過を書き込んだのか?


こころ 12 「二、三日」と「五、六日」の関係

 奥さんと談判してから、奥さんがそのことをKに話したと「私」に告げるまで、何日が経過しているか?


 意見が食い違っているときに、お互いに「なんとなく」では埒が開かない。

 重要なことは、堅実な考察と議論のための着眼点、切り口を見つけることだ。

 あるいは是非を判ずるための規準を決めることだ。

 話し合いの中で、教室のあちこちでそれらが話題に上ってきているような様子が見えたら、全体で共有する。


 期間を示す言葉は、その始点終点を必要とする。期間とは始点から終点までの距離のことだ。

 同時にそれは、その間に何かが継続していることを表す。


 「二、三日」と「五、六日」の始点終点はそれぞれどこか?

 また、それらは何が継続されている期間を数えたものか?


 先の「二日あまり」ではこうした疑問が生じない。始点と終点ははっきりしている。「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日あまりになります。」は「奥さんがKに話をし」た日(⑤)から「勘定してみ」た日(⑥)の間を数えたことが明らかだ。したがって⑥の土曜日から遡って⑤が木曜であると特定できる。(それでさえ⑦の「Kの自殺」までが⑥と同日の出来事であることを確信するためには前述のような込み入った議論が必要となるのだ)。

 だが「二、三日」と「五、六日」では、話はさらに複雑である。

 順を追って考えよう。


 「五、六日経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。」から、「五、六日」の終点は⑥のあった日である。先の結論を認めるならばこれは土曜日だ。

 では始点はどこか?

 これは「二日あまり」のように自明ではない。「五、六日経った」がどこからなのかが、実はにわかにはわからないことに、考えてから初めて気づく。

 明らかに始点を示すと思われる記述はなかなか見つからない。

 時間経過が示されるにあたって何が継続しているかを判断するためには、47章の前半を一掴みに把握する読解力が必要とされる。

 遡っていくと、46章の終わりに次の一節が見つかる。

   私はほっと一息して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭になったのです。(201頁)

 それ以降、具体的に日時を特定できる出来事らしきものの記述はなく、思考内容が記述されているばかりであることから、結局「五、六日」の始まりはこの「室へ帰」った時点であると読むしかない。

 とすると「五、六日」という期間は、「どうしたものだろうか」と「考え」たり、「弁護を自分の胸で拵えてみ」たり「Kに説明するのが厭になった」りする逡巡が続いていた期間ということになる。

 曖昧に、何となく読んでいた「五、六日」が、ここまで確認してようやく腑に落ちる。

 46章は「談判」当日だ。「五、六日」がいつからのことなのかを明示していないのは、その始点が読者にも了解されているからである。そうした期待ができるためには、明確なイベントがなければならない。とすれば、それは問題の「奥さんとの談判」しかない。


 一方「二、三日」の始まりはどこか。

 「私はそのまま二、三日過ごしました。」の「まま」は状態の継続を表す接尾語だから、「その」が指している状態を判断すればいい。

 「その」が指しているのは何か? 

 これは結局、上の引用部分の「考えずにはいられませんでした」や「Kに説明するのが厭になったのです」を指していると考えられる。つまりこれも上と同様の逡巡である。

 つまり、「継続」と「始点」、どちらの面から考えても、「二、三日」と「五、六日」の勘定の始まり=起点は同一ということになる。ということは、両者は重なっている、足すべきではない。したがって「二、三日」は無視して最短五日、最長六日と考えるべきなのである。

 これで一応の結論は出た。

 Kが自殺した土曜日から遡ること「五、六日」前に私の逡巡が始まったのである。さらに46章の逡巡の始まりは遡る44章、すなわち奥さんとの談判を開いた日(④)に他ならない。とすれはそれは日曜か月曜だ。

 だがこの二つの可能性は容易に一つに結論づけられる。なぜか?

 どのクラスでも誰かが既に気付いている。「仮病を使って学校を休む」からには日曜日ではない。したがって月曜日なのである(現在の曜日制はグレゴリオ暦を官庁が採用した明治六年から始まっているから、「こころ」の舞台である明治三十年代には日曜日は学校が休みだったと考えていい)。

 つまり④の月曜から⑥の土曜までは実は五日だったということになる。遺書という言説の場でそうした日数を正確に限定することは不自然だから、ここには「五、六日」という曖昧な表現が使われているのだ。







 確認しておこう。

月曜日 ④奥さんと談判する

木曜日 ⑤奥さんがKに婚約の件を話す

土曜日 ⑥奥さんが「私」に⑤の件を話す

土曜日 ⑦Kが自殺する


2020年10月24日土曜日

こころ 11 奥さんと談判したのはいつか

 問題は次の段階である。

 ④奥さんと談判したのはいつか?

 この推論の結果は先述の通り見事にバラつく。

 まずは最初の話し合いの中で、47章の「二、三日の間」と「五、六日経った後」という記述が推論の根拠であることを確認したい。それでも④を特定するための起点が、ここまでの確認事項である⑤の木曜(か水曜)と勘違いしないよう注意する必要がある。起点は⑥の土曜日である。

 そのうえで、結論は次の二択のはずだ。

A 日か月

B 木か金か土

 これ以外はたぶん単純な勘違いだ。起点が違っているか数え間違いである。議論の中で整理されるはずだ。

 では、A「日か月」説とB「木か金か土」説は、それぞれどのような推論に基づいているか?


 問題は「二、三日の間」と「五、六日経った後」の関係をどう考えるか、だ。

 これについての二通りの解釈が、先の二説に分岐する。


A 土曜からの日程を「五、六日」だけで数える。

B 「五、六日」と「二、三日」を足して「七~九日」と数える。


 Aは「二、三日」が「五、六日」の中に含まれる(重なっている)と考えるのである。



 Bは「二、三日」と「五、六日」が連続した日程だと考える。

 「二、三日」と「五、六日」は足すべきか、足すべきではないか? 「二、三日」は「五、六日」に含まれるのか、含まれないのか? 両者は重なっているか、いないか?


 それぞれの読者は、ひとまずAかBかにたどりつき、そのまま続けてその先の③や②の考察をしていたのだろう。

 先述の⑥と⑦は同じ日なのかとか、「永訣の朝」の語り手はどこにいるかとか「Ora」とは誰かとかいった問題もそうだが、自分の読みと違った読みの可能性については気づかないことがある。他人と同時にテキストを読む、授業という場が、別の読みへの可能性を開く。


 現状での支持者は、クラスによってバラつきがあるとはいえ、ABどちらが多いとも言えない。

 重要なのは「正解=結論」ではない。結論にいたる推論の妥当性についての議論である。


こころ 10 奥さんが「私」に話したのは土曜日か

 Kが婚約の事実を知っていることを「私」が奥さんから聞いた、その晩のうちにKは死んでしまったのだと読者は読む。それが自然な読みだ。これは間違っていないのだろうか。

 ⑥と⑦は本当に同じ日の出来事なのか?

 そもそもどうして、そうだと感じられたのだろうか?


 ⑥から⑦にかけて、日を跨いでいる記述がないから、という根拠が挙がる。だが日並み日記じゃないんだから、次の日になったかどうかが常に書いてあるとは限らない。実際にエピソード間は日程が跳んでいる。

 だが、実はこれは一つの有力な推論の根拠である。

 論理的には、書いていないことは、あるともないとも言えない。つまり確定できない。すべての事実を小説が記述しているわけではない。

 だが、書く方が自然なことが書いていない場合は、それがないものと見做す方が自然なのである。

 この考え方は小説を読む上では重要である。この先何度も使われる考え方として心に留めておきたい。


 上の考え方を応用したのが例えば次のような考察である。

 「しかし今さらKの前に出て」という表現からは、奥さんから話を聞いた(⑥)後、Kが自殺する(⑦)までに「私」はKと会っていないと考えられる、したがって⑥と⑦の間にそれほどの時間経過があるはずがない、と考えることはできないか?

 これは2年前の授業でも出た意見だが、今年もいくつかの班から出た。

 だがこれを決定的な根拠とすることはできない。

 むしろ、⑥の後にKとは会っていると考えるべきなのだ。

 奥さんはKのいないときを見計らって「私」に⑤の件を話したのだろうが、その後Kは帰宅して、「私」と夕飯を共にしているはずだ。それが日常なのだから。⑥が土曜だとすれば、その晩にKが自殺したのだから、Kが夕飯時に帰らなかったという特別なことがあれば、それこそ書かない方が不自然だ。

 したがって、「私」はKが既に婚約の件について知っていることを承知の上で、夕飯の席でKの顔色を見ているはずなのである。

 だがそうした場面は描かれない。といって、書かれていないから小説世界にそのようなものは存在しない、ということにはならない。あることが自然なことは、書かれていなくとも「ある」とみなすべきであり、特別なことは書かれていない以上「ない」とみなすべきなのだ。

 もちろんこの「自然/特別」というのは程度問題だから、「ある/ない」の見做し方も程度問題である。奥さんから話を聞いた後で「私」がKと夕飯の席で顔を合わせるなどという想像だに緊迫した場面こそ「特別」なのだから、それこそ描かない方が「不自然」だと言えなくもない。確かにそれは書かれるべき必然性のある場面かもしれない。


 実はこの問題の結論として、以下に述べる推論から、やはり⑥は土曜日だと考えられるのだが、とすると「土曜の晩でした」という限定の仕方は、不自然をおしてまであえてそう書く必然性があったことを示しているのである。

 「土曜」という曜日の明示がなぜなされるのか?

 これはなぜ曜日を土曜に設定したのかという問題と、なぜそのことを明示するのか、という問題を含んでいる。前者は作者とKの意図に係わる問題で、後者は遺書の記述の必然性に係わる問題である。

 考えられることを列挙してみる。

 まず作者の都合からいうと、翌朝が日曜日であることによって、奥さんや下女が早くに起きてこないことに必然性を与えているのだ、という理由が考えられる。

 次にKの意図から言えば、自殺した自分の姿を、奥さんや下女ではなく「私」に発見してもらう可能性を高めたかったからかもしれない。

 さらに語り手の「私」の視点から言うと、上の事情により翌日が日曜日であったことから、Kが自殺したのは土曜日の晩であったことが印象づけられて記憶に残り、遺書の中に記述されたのだと言える。

 だがこのようにして明示された「土曜」は、⑥をそれ以前の日のどこかであると読ませるほどには強く作用していないと思われる。


 それよりも強く⑥と⑦が日を跨いでいないと感じさせる理由は、先の引用と同じ、「私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも翌日(あくるひ)まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。」という表現である。

 どうしてここから、⑥と⑦が同日内の出来事であると言えるのか?

 以下に授業中に提出された推論過程を列挙する。

 「土曜の晩」でわざわざ時間帯を「晩」と明示することは、その陰でそれ以外の何かを「夕方」や「昼間」だと言っているように感じられる。つまり奥さんが「私」に話したのがその「夕方」や「昼間」だと言っていることになる。

 これは先ほどの「⑥は土曜ではないのではないか」と同じ論理を、別の言葉に適用して使っている。⑦が「土曜の晩」というから⑥が「土曜」ではないのでないか、というのと同様に、自殺が「晩」というからこそ⑥は同じ土曜日の「夕方」や「昼間」なのだ、とも考えられるのである。

 2

 「ともかくも」という副詞は、それが当座の決定であることを示す。決定までに日を跨いでいたら「ともかくも」という表現は、今更何を、と感じられてしまう。だから逆に言えば、決定を迫られるような事態が生じた時点(⑥)から、まだそれほど時間が経っていないと感ずる。

3 

 「翌日」という時間経過を表す語は、その起点となる「本日」を必然的にかつ潜在的に前提する。それは筆者と読者に共有された認識のはずである。となればそれがどの日であるかわからないような時点を前提するのは不自然であり、即ち⑥のあった日が「本日」として定位される。それは「翌日」を迎えることのなかった土曜日に他ならない。

 4

 ここでいう「進もうかよそうか」は、「話そうか黙っていようか」である。この躊躇が二日に渡っていたとすると、今更「進む」と「よす」が等価な選択肢になるのはおかしい。そこまで既に「よ」しているのに、いまさら「よそうか」もない。「言う」ことの実行のみが「翌日まで待とう」という「決心」の内容となるはずだ。


 以上、いくつもの推論を根拠として挙げることができる。このうちのひとつでも明晰に語ることができれば上出来である(授業中にそれを発表した人たちには大いなる拍手を送りたい)。

 こうした細部が⑥から⑦にかけての時間経過が日を跨いでいないと読者に感じさせるのである。読者はこれらの細部を整合的に解釈して、⑥と⑦が同じ土曜日の出来事であると捉えているのである。


 繰り返すが、これは答えるには難しい問いだ。正しく読むことより、自身の読みの生成過程を自覚することの方がはるかに難しい(実際に、上の推論の根拠のいくつかも、授業者には思いつかなかったのを生徒が指摘したものだ)。


 さて、ここらで一度宣言しておく。

 「曜日の特定」という課題は、このレベルの論理的推論とその説明を要求しているのだ、と。


こころ 9 奥さんが「私」に話したのはいつか

 祝授業再開。

 前回までの3回の記事は、予定していた第3回の授業の最初の30分ほどの展開だ。

 さてそれを休校課題として代替した実際の第3回は、まず課題の結論についての確認に続いて、Formsで提出された皆の考察の紹介をした。

 質問した次の二つの曜日は、有意な偏りがないといっていいほど、各曜日にバラけた。

①上野公園を散歩する

④奥さんと談判する

 これで、曜日を「特定」しようというのだから、前途は多難だ(もちろん楽しみだ)。

 一方、次の曜日の考察結果は集中している。

⑤奥さんがKに婚約の件を話す

 みんなの考察は木曜日に集中している(いくらか水曜日にも散っている。そう答えた人は、木曜日か水曜日という複数回答である)。


 さてこの結論は、どのような推論に基づいているか?


 シンプルな回答は「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日あまりになります。」と書いてあるから、である。土曜日から2日前の木曜日というわけだ。

 この推論は、間違っているとは言わないが少々雑だ。

 重要な未確定条件が考慮されていない。

 どこか?


 最初の推論を話し合わせている時点で、もうこの「未確定条件」について話し合っているらしい声も聞こえてきたのには驚いた。素晴らしい。

 さらにあらためて全員に投げかけると、たちまちに問題点を指摘する声があちこちから聞こえてくるのは頼もしい。

 わかってはいる。だが一方でそれを適切に説明するのは難しい。

 問題は、本文から確実に言える情報と、推測部分の区別をした上で、それが「推測」であることを明示すること、である。この「本文から確実に言える情報」の提示が難しいのだ。

 だがそれは、こちらがそれを示してしまえば、呆気ない程明らかなことでもある。

 確実なのは次の二点。

  • ⑤「奥さんがKに話す」と「勘定した」時点の日程が「二日あまり」だということ。
  • 「私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩」だということ。

 ここから⑤を木曜日だと結論するには飛躍がある。

 この推測には「勘定した」時点と「決心した」のが同じ日であることが前提されている。だがそれはどのようにして断定されるのか。

 ⑦と「決心した」のは同じ土曜日である。そして⑥と「勘定した」が同日内であることは、未確定ではあるが、そこに時間的な隔たりがないことは争いのない了承事項として共有されてもいい。

 とすると、問題は⑥が⑦と同じ土曜日なのかどうかだ。

 そこにはまだ検討の余地のある飛躍がある。


 ⑥は自然と土曜日であるように感じられ、むしろそれを前提として(そこには推論の根拠など述べずに)、⑤や④についての推論を進めていた。

 だが、そこには上記のような論理の飛躍がある。我々読者はそれをどのようにして飛び越えたのか。


 そう言われて考えているうちに、かえって積極的に同日内ではないと感じる、という意見も出てくる。

 根拠は48章(203頁)の二段落の冒頭「私が…待とうと決心したのは土曜の晩でした。」という記述である。「土曜の」という限定は、むしろ奥さんから話を聞いたのが土曜以前であることを感じさせないだろうか。同日内ならば「その晩」「その夜」という方が自然ではないか。

 一旦そう言われると、にわかに⑥が土曜日ではないように感じられてはこないだろうか。この「感じ」は皆で共有しておきたい。


 それでもなおかつ⑥と⑦が同じ土曜日の出来事であると読めるのか?

 本当に⑥から⑦にかけて日を跨いではいないのか?

 ごく自然にそう解釈してはいるのだが、なぜそうだと思えるのかとあらためて問われてすぐにその根拠を挙げることは難しい。明確にそうだとはどこにも書いてないのである。

 議論のためには根拠を挙げる必要がある。国語科授業において重要なのは「結論=正解」ではない。どう考えるか、である。


2020年10月19日月曜日

こころ 8 考察の方法と意義

 以下の記事は、必ず前回記事の課題「曜日を特定する」を終えてから読み進めること。


 授業では「プロット作成」の後に一度、「曜日を特定する」の考察の後に一度、話し合いの時間をとる。

 考察結果を共有したいということもあるが、重要なことは、考察の方法そのものと手がかりについての発見を交換したいということだ。

 考察の手法そのものについての検討も、有益な話し合いの議題となる(のだが、残念ながらここでは以下に明かしてしまう)。


 「曜日」を特定するためにはどのような情報が必要か?

 曜日のわかっている時点が少なくともどこかで確認されなければならない。

 本文で曜日が明示されているのはどこか?


 ⑦「Kの自殺」が「土曜日の晩」であったという記述である。そして収録部分の最終章49章には、翌朝に「今日は日曜日だ」という記述がある。


 次に、他の曜日を推定するための手がかりとなる記述は何か?

 本文中に何カ所か、「期間=時間的隔たり」を示す記述がある。確認してみよう。


・二日経っても三日経っても  196頁

・一週間の後         196頁

・二、三日の間        201頁

・五、六日経った後      202頁

・二日あまり         203頁


 これらは既にテキスト中にマークされているだろうか。

 課題の「曜日の特定」は、これらの日程の記述を手がかりとして、明示された土曜日から遡りながら曜日を特定していくのである。


 まずはエピソードを物語の展開に沿って整理する「プロット」を作成した。

 次にこれらの出来事の起こった曜日を明らかにする。

 これがこの後の読解にどのような影響を及ぼすか?


 一連の考察を通して得られる認識は、物語の展開に沿った登場人物の心理を読み取っていく上で、それを実感として想像したり議論の根拠としたりするために有益だ。

 たとえば「私」の逡巡がどれだけの日時に渡るものなのか、沈黙に隠れたKの苦悩が何日に渡るものなのか、奥さんはなぜその日に話したのか、Kはなぜその日に自殺を決行したのか、実感として想像する上で、出来事間の「日程」とともに、我々の生活を律する「曜日」の感覚もまた重要な手がかりとなる。「週末」や「週明け」、「週の中頃」といった感覚は心理に影響する。

 こうした、読解の前提を授業の最初期に教室で共有しておきたい。


 といって、考察の結論にのみ意味があるということではない。

 一連の考察を通して、テキスト中から必要な情報を探し出してそれを整合的に結びつけて、そこに生ずる意味を的確に捉えるという、読解の難しさと楽しさを味わってほしいとも思う。

 本当はその難しさも楽しさも、他人と一緒に進めることで一層強く感じられる(だからこんなふうに個人作業ではなく、是非とも授業でやりたかった!)。

 なぜなら、考察結果は必ずしも一致しないからだ。その時、異なる考察同士を比較し、その考察過程を再検討する必要が生ずる。自らの読みの根拠が問い直される。

 そうして初めて、読解という行為の難しさが本当にわかるのであり、同時に、その豊穣さもまた、わかるのである。


2020年10月16日金曜日

こころ 7 曜日を特定する

 以下の記事は、必ず前回記事の課題「プロット作成」を終えてから読み進めること(でないと学習効果が下がるので)。


 前回の課題が、予定していた3回目の授業の最初の10分ほどの展開だ。

 7~8項目の「出来事」「場面」は挙げられただろうか?


 さて、授業ではプロットを以下のようにまとめておく。


  •  Kの告白            180頁~
  • ①上野公園を散歩する       187頁~
  • ②夜中にKが「私」に声を掛ける  194頁~
  • ③朝食時と登校途中にKを追及する 194頁~
  • ④奥さんと談判する        196頁~
  • ⑤奥さんがKに婚約の件を話す
  • ⑥奥さんが「私」に⑤の件を話す  202頁~
  • ⑦Kが自殺する          203頁~

 それぞれが前の出来事をどのように受けている展開なのかは把握されているだろうか?


 自分の書いたプロットに、上記に基づいて番号をつけておこう。議論するうえで、それぞれの項目を番号で呼ぶことも多くなる。

 訂正や追加があれば書き加えておく。


 さて、①と④と⑦が挙がらない人はおるまい。

 だがそれ以外はどれも全員が容易に挙げられるというわけではない。①④⑦に比べてエピソードとしての立ち上がりに欠けるからだ。

 だがそれならば「7~8項目」として何を挙げたのか?


 授業ならば、話し合いの中で互いに作成したプロットを照らし合わせることで補完される。そうでなくとも、全体で発表させる時には、①と④の間で描かれていた「場面」は? などと聞きながら②③を思い出すよう誘導する。


 同様に④と⑦の間にはどのような「出来事」「場面」があったか? と聞けば⑤⑥が挙がるはずだ。

 だが授業でやってみると豈図らんや、そう簡単にはいかない。⑤と⑥のどちらかが、ひどく挙がりにくいのである。皆それぞれ思い当たる者も多いはずだ。④から⑦までの流れが、⑤と⑥を分けた形で挙がっている者は、的確に物語の流れを把握しているといっていい。

 これは授業者にとっては意外なことだ。

 なぜこんなことが起こるのか?

 ⑤は物語の時間的展開の中で、直接の「場面」としては描かれない。⑥の中で、⑤の出来事があったことが後から知らされるだけだ。だから物語の中で起こった「出来事」として捉えないと挙がりにくいのかもしれない。

 ⑥はさらに挙がりにくい。なぜだろう?

 これは、話された内容である⑤に比べて、それを話すこと自体は「出来事」としては意識されにくい、ということなのかもしれない。

 ⑤と⑥は入れ子型の階層構造をつくっている。その時、メタな階層にある⑥は盲点になってしまう。直接描かれている「場面」は⑥であるにもかかわらず、だ。

 この構造は、読者が⑤と⑥を知らずに混同してしまうという事態を招いている。

 この混同が、「こころ」全体の理解にとって重要な錯覚をもたらしている。それは⑤と⑦の間隔についての錯覚である。

 この「錯覚」については後で明らかにしよう。

 授業でこの展開をやると、⑤と⑥が別の出来事であることを初めて認識して、「あ、そうか!」という反応をしている人はけっこういて、その瞬間を見るのは楽しい。


 さてこの後が考察すべき問題である。

 ①~⑦の出来事があったのはそれぞれ何曜日か?


 ここからは本文を見ながら、必要な情報を探す。

 どこからどんな情報を見つけて、どう考えれば、それぞれの出来事の曜日がわかるというのか?

 まずは15分くらい考えてみる(それ以上やらなくてもいい)。

 その際、曜日を特定するために手がかりとなる記述を本文中にマークしながら考察を進めること。

 この後でそれらの手がかりを何度も見直すことになる。


2020年10月15日木曜日

こころ 6 プロット作成

 思いがけず臨時休校によって授業が欠けてしまったので、予定していた学習を心ならずも宿題とします。


 本文精読の前に「こころ」という小説の全体像を把握しておこう。

 「こころ」は新聞連載小説だから、各章の長さは連載一回分で1500字前後、原稿用紙4枚弱で揃っている。教科書本文中に挿入される黒い菱形が連載一回分の切れ目を示している。これが合計110章、110日間、4か月弱、今から100年と少し前、毎日お茶の間に届けられたわけだ。

 全体が三部構成で、各部の章立ては次のとおり。

  • 上「先生と私」  36章
  • 中「両親と私」  18章
  • 下「先生と遺書」 56章

 全体の半分程が「下」であり、実際に「こころ」として紹介されるのも「下」の内容であることが多い。「Rの法則」でもそうだった。

 教科書には「下」の35章から49章までが収録されている。

 「下」は全体が「先生」の遺書で、文中の「私」は「上」「中」で「先生」と呼ばれていた人物だ(「上」「中」の「私」は「先生」より10歳ほど年下の大学生)。「上」「中」で謎めいていた「先生」の言動の理由が明らかになっていく。


 「こころ」の教科書収録部分の「あらすじ」を辿ってみよう。

 始まってすぐ、正月のある日、Kがお嬢さんへの恋心を「私」に告白するエピソードが語られる。

 そのあとはKの思惑についてあれこれ思い悩む「私」の思考が述べられるばかりでこれといった出来事も起こらず、わずかにKに対して直接問題の告白の真意を問い質すが、明確な答えを得ないという場面が二つほど描かれるが、それもKの答えが曖昧なためにはっきりとした事態の変化につながらず、「エピソード」らしい立ち上がりとしてはあまり感じられない。

 さて、その後の物語の展開を整理してみよう。


 教科書本文中で語られる出来事や、描かれている場面を、教科書を見ずに挙げてみよう。

 どのようなエピソードがどのような順番で起こったか?

 教科書を閉じた状態で考えるというのがミソだ。ページを開いて探すのではなく物語全体を俯瞰してストーリーの流れ、出来事の因果関係を把握することが目的なのだ。

 教科書は学校に置いてあるだろうが、とにかく読み直さずに考えればよい。「Rの法則」「青い文学」が記憶の助けになっている部分もあるはずだが、「思い出す」というより「考える」。

 思いつく場面、出来事は、それぞれどのような順番で起こったと考えると、整合的な因果関係で捉えられるか?


 出来事も場面も、細かく挙げればいくらでも細かくできるが、「エピソード」「出来事」というほどのまとまりを考えて、7~8つに整理する。

 ノート(ルーズリーフ)に、最初に「Kの告白」と書き、それに続く「出来事」「場面」を7~8つ、1ページ全体に、余白を空けて書き出しなさい。

 余白には後で書き込みをする。ページ全体で教科書収録の全体がレイアウトされるように書くこと。


 次の授業の際にこのノート(ルーズリーフ)を持参すること。


 このように物語中の出来事の流れをまとめたものを「プロット」(もしくは「シノプシス」)という。

 授業ならばここで作業時間を5分程取って各自書き進める(したがってこの課題はそのくらいの時間、取り組めばよい)。

 その後、教科書を閉じたまま、班内で互いのプロットを照らし合わせる。

 なかなか一致はしない。記憶が不正確な場合もあるが、何をひとまとまりにするかの切れ目が人によって違うことがあるからだ。

 必要に応じて訂正や追加を行う。


 さて、ここまでが、予定していた3回目の授業の最初の10分ほどの展開だ。

 今週末までにまずはここまで。


2020年10月13日火曜日

こころ 5 「主題」と「動機」の整合性

 「エゴイズムと倫理観の葛藤」と、「動機」の選択肢を黒板の左右に列挙して、それらを見比べる。

 これらの「動機」には「主題」と整合的であるものと不整合なものがある、それぞれどれか?

 整合的というのは、納得できる因果関係が認められるという意味だ。

 前述の通り、「こころ」がどんな小説であるかという把握は、Kがなぜ死んだのかという把握と密接に関係している。

 Kの自殺の動機と「こころ」の主題の間にはどのような論理があるのか?


 あらためて、「こころ」が「エゴイズムと倫理観の葛藤」を描いた小説であると捉えるとはどういうことかを考えてみよう。

 「エゴイズムと倫理観の葛藤」という主題における「エゴイズム」と「倫理」とは何のことか?

  • エゴイズム お嬢さんを自分のものにしたいという利己心
  • 倫理 卑怯なことをしてはならないという良心

 この二つは対立する。なぜか?

 もちろん「利己心」という言葉はもともと否定的な意味合いで使われる言葉だから、そもそも倫理観と対立することは語義的に当然のように思える。

 だが具体的に「こころ」において「利己心」と「倫理」がなぜ対立することになるのか、という問いに答えることは案外に難しい。直ちにその論理を語れる者はほとんどいない(ということで各クラスでこれを答えた人は素晴らしい)。

 だが「答え」を聞いてしまえば呆気ないほど明らかなことだ。


 「私」は基本的にKに敵わないと思っており、正々堂々とした戦いではお嬢さんを自分のものにすることができないと思っているのである。したがって、お嬢さんを自分のものにするには、何かしら卑怯なことをせざるを得ない。だがそれは倫理観に抵触する。

 「葛藤」とは対立する価値がからみあうことだ。この葛藤の末「私」は「エゴイズム」を優先する。となれば倫理に反するしかない。

 そしてそれによってKが自殺する。これが「友人を死に追いやった」という「私」の罪悪感につながっている。倫理観に反する行為なのだから、罪悪感もいっそう強い。

 つまり「エゴイズムと倫理観の葛藤」という主題把握は、動機①②と整合的である。というよりむしろこの主題は、Kの自殺の動機を①や②と捉えたところから把握された「物語」なのである。


 一方③はこうした主題把握と不整合である。

 ③はK自身の問題であり、「動機」が③ならば、「私」の「エゴイズム」が「友人を死に追いやった」ことにはならないからだ。


 だがこのような「不整合」を、とりたてて「不整合」とはみなさない、ということも可能かもしれない。

 確かにKの自殺はK自身の問題だ、だがお嬢さんへの執着がその実行を踏み止まらせていたのだ、その生への紐帯を「私」の卑怯な裏切りが断ち切ったのだ。つまり③がKの自殺のもともとの動機だとしても、最終的にそれを実行に踏み切らせたのはやはり①②であり、その原因となった「私」の「エゴイズム」の罪は否定できないのだ。

 なるほど、自殺の動機をどれか一つに限定する必要などないのであって、いくつかの要因が重複して人を死に追いやるのだと考えてもいい。さっきそうしたではないか。

 だが、「重み付け」の想定において、①②の合計と③の重みのバランスはやはり問題だ。「エゴイズム」が主題だという把握は、やはりどうしても①②の重みが大きくならなければならない。③の方が大きいとすれば、それは「エゴイズム」を主題とする把握とは別の主題把握を必要とするはずである。


 ③がKの自殺の動機の大きな部分を占めているという見解は、一般的な読者にとってはあまり意識されていないが、国語の授業における扱いとしては常識である。

 なのにどうしてそれが「エゴイズム」主題観と不整合であるとは一向に語られないのか?

 実はこれには明確に説明できる理由がある。それはいわば「盲点に入る」からである。


 ヒントとして提示したのは、「こころ」が一人称小説であるという点だ。教科書収録部分は遺書の一部なのだから、一人称なのは当然である。

 すると?


 Kの自殺の動機を①②と見なすのは、「私」の認識に基づいているのである。「エゴイズムと倫理観の葛藤」という主題は、「私」の目から見た「こころ」という物語の把握だ。


 面白いことに、宿題の段階では、①②を挙げた者が多い。それが、授業で聞き直すと支持の大勢が③へと移行する。

 なぜこんなことが起こるのか?

 秋休みの宿題は、時間をかけないでやりなさい、と指示した。教科書を学校に置いてある人は夏休みに読んだ記憶で答えなさいとも指示した。

 そうすると、人物関係や出来事の推移といった物語の大きな枠組みや主題と整合的な①②が意識されるのではないか。

 ところが授業であらためて教科書を開いて考える段になると、我々読者はもう少し客観的に、公平に、Kの心情を熟慮するようになる。話し合いを通して妥当な解釈についての合意が形成される。

 そうすると、③が妥当なように思える者が増えるのである。


 一般に理解されている「こころ」の主題は、Kの死を「私」が「追いやった」ものとみなすことによって成り立っている。「エゴイズム」とともに「罪の意識」「罪悪感」という言葉が頻出するのはKの死を「私」のせいだと見なしているからに他ならない。「私」の目から見れば、事態はそのように把握されている。

 だがそれは読者が意識的に考えたKの自殺の動機と不整合だ。

 つまり「エゴイズム」主題観は、雑に考えたときにのみそう見える「こころ」観なのである。

 では自殺の動機を③だと考えるならば、「こころ」の主題をどう捉えるべきなのか?

 実は宿題の段階で「エゴイズムと倫理観の葛藤」という表現には収まらない主題を考えている者もいる。その中には、とても鋭い把握をしている者もいる。

 だが本人がそれを意識しているわけでは、おそらく、ない。

 その人には、ごく自然に「こころ」がそのような物語に見えたということなのだろう。

 「こころ」はどのような問題を提起した小説なのか。

 結論にいたるには、丁寧で根気強い考察が必要となる。


こころ 4 Kの自殺の動機

 次に、Kの自殺の動機について考える。

 まずは出し合ってみる。いろいろに表現は可能だろうが、似たような内容であると認められるものをまとめていく。

 それでも別の要素として分けるのが妥当だと考えられるのは、何項目になるか。

 それらの要素のうち、相容れない項目はどれとどれか? 「Kはなぜ自殺したか」をめぐって対立する意見を明らかにしよう。


 さて、挙げられた動機は、次の項目のいずれかにあてはまるだろうか?

①お嬢さんを失ったから

②友人に裏切られたから

③「道」に反した自分への絶望

 この3項目がまず基本的に推定される動機である。
 上の3項目のいずれにもあてはまらない見解を4番目以降に加えよう。
 授業者の経験上、常に一定の支持を受けるのは「④『私』に対する復讐」説である。死をもって「私」に罪悪感を植え付け、一生忘れさせないようにした、というのだ。
 一方で「⑤『私』に対する気遣い」説も珍しくない。結婚する二人の邪魔にならないように自分を消し去ろうというのだ。

 あるいは「自分への絶望」といった場合にも、それが何に由来するものであるかによっては③と別立てする必要もある。

 精進の道を逸れたこと。恋心を抱いたこと。それならば③と同じだ。

 だが、「友人やお嬢さんの気持ちに気付かなかった自分が許せない」というような意見も出る。

 両者は違う。「道を逸れたこと」なら恋心を自覚して以降ずっとKの裡にあった可能性があるが、「気持ちに気付かなかった」なら自殺の直前に初めて生じた動機だ。

 そうするとそれは自分を恥じる気持ち? 気づかなかった相手に申し訳ない気持ち? それがKを死に追いやっている?

 あるいは、「行動できなかった自分への絶望」というアイデアも出た。お嬢さんが好きなのに手を拱いていて何もできなかった後悔、という意味だ。これは③とは全く違う。

 あるいは「絶望」よりもむしろ、自殺をすることがKにとってプライドを守ることになっているのだという意見もある。これはまた上記のいずれともニュアンスが違う。

 そのようにして提出された「動機」の解釈があれば選択肢として追加する。


 これらは排他的にどれかであると考える必要はない。このうちのいくつかが複合的に働いているのかもしれない。

 では上の項目のうち、どれがどのくらいの割合でKを死に追いやったと考えるのか。合計が10になる整数比で表してみよう。

 例えば①と②と④が、2:5:3くらいの割合だ、などとKの「動機」としての重みを量るのである。どれか一つが10でもいい。


 経験上、最も支持を集めるのは③である。

 Kの自殺の動機を③だと考える人は、なぜそう考えるのだろうか?

 そうだと考えることは、どのような問題をはらんでいるか?


こころ 3 主題の把握

 みんなは授業前の今の状態で、「こころ」をどんな話だと思っているのだろうか?

 まず最初に、それぞれが準備してきた「こころ」の主題を検討する。


 グループのメンバーそれぞれが「主題」としてまとめたフレーズを公開しあう。

 場に提出されたいくつかの「主題」は、どういう関係になっているか?

 例えば、次のような主題が挙がったとする(過去のある年の生徒の挙げた「主題」を再現してみる)。

・三角関係

・恋か友情か

・人間の心の闇

・友人を死に追いやった罪悪感

 これらのフレーズをひと続きにつなげてみる。

 「こころ」とは、「三角関係」における「恋か友情か」という迷いの中で友人を裏切ってしまう「人間の心の闇」と、その結果として「友人を死に追いやった罪悪感」によって絶望する「私」の「こころ」を描いた小説である。


 つまりこれらのフレーズはそれぞれ、同じような「こころ」把握をそれぞれ別の切り口で切った一断面を表しているのである(「恋か友情か」という把握は「Rの法則」の影響かも知れない)。


 さて、それぞれの班で出し合った主題を表わすフレーズは、どういう関係になっているか。単なる言い換えのバリエーションの一つとして互換性があるのか。

 その相違は抽象度の違いかもしれない。例えば上の例でいえば「心の闇」という表現は抽象度が高い。「三角関係」「恋か友情か」はそれより具体的だ。

 あるいは物語のどの位相を切り取るかにもよる。「三角関係」「恋か友情か」は状況設定を表現しているが、「罪悪感」は行為の結果について表現している。


 そうして出し合った主題同士に、相容れない相違はないだろうか?

 あるいは、相反するとは言わないが、全く別の切り口であると思われる主題が提出されてはいないか?

 そうだとすれば、その相違はどのような問題を含んでいるか?

 それは「こころ」をどのような物語であるとみなすかについて、何か決定的な見解の相違を示しているということはないか?


 ところで、世間では「こころ」はどういう話だと思われているか?


 文庫本には裏表紙やカバーの折り返しに簡単な内容紹介が載っている。

 「こころ」のは例えばこんな感じ。

  • 友を死に追いやった「罪の意識」によって、ついには人間不信に至る近代知識人の心の暗部を描いた傑作。(ちくま文庫)
  • 近代知識人のエゴイズムと倫理観の葛藤を重厚な筆致で掘り下げた心理小説の名編。(講談社文庫)
  • エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が克明に描かれた、時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。(角川文庫)
  • 親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。〝我執〟の主題を抑制された透明な文体で展開した…(新潮文庫)
  • かつて親友を裏切って死に追いやったという過去を背負い、罪の意識に苛まれつつまるで生命を引きずるようにして生きる「先生」(岩波文庫)
  • 文豪・夏目漱石が人間のエゴイズムに迫った名作(イースト・プレス)

 これらは「こころ」は「こういう話」だと紹介しつつ、読者の購読意欲を喚起する惹句でもある。

 もちろん内容紹介全体には「あらすじ」的な部分もあるが、上は主に「主題」的な部分を抽出してある。


 あるいは高校生が教科書とともに机上に備える「国語便覧(国語要覧・国語総覧)」の類ではこんな風に紹介されている。

  • 人を傷つけずにはおかぬ恐ろしいエゴイズムと、それゆえに犯した罪に対する苦悩、そして死をもっての清算を描いた作品。

これがみんなが持っている浜島書店の「常用国語便覧」の紹介。他の会社のはこんな感じ。

  • 人間のエゴイズムを追及した(数研出版)
  • 近代人のエゴイズムが絶望に至る過程を描いて見せた作品。(第一学習社)
  • 恋愛と金銭の問題をめぐる人間の我執(エゴ)を鋭く追及しつつ、日本近代への批判をも提示した作品(大修館書店)
  • 人間が持たざるをえないエゴイズムの醜さと、それを救済するには死以外にはないとする、明治の知識人の苦悩が描かれている。(東京書籍)
  • 「〈死〉に至る人間の心の過程」を主題とし、「エゴイズムと罪」の問題とともに「明治の世代意識」の典型とそれらのいきついた地点を示す。(京都書房)


 あるいはおなじみの「Wikipedia」ではこんな感じ。

人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている。


 これらに頻出する言葉は何か。

 一目瞭然、「エゴイズム」である。

 「エゴイズム」とは何か。上では「我執」という言い換えもあるが、一般的には「利己心」とか「自己中心主義」などという意味で理解されている(「エゴイスティック」なら「利己的」「自己中心的」)。

 「文学」は「エゴイズム」が好きで、「羅生門」も「生きるために人間が持たざるをえないエゴイズムを描いている」などと一般的には言われている(こんなことを言う人は、小説としてまともに「羅生門」を読んではいないと思うが)。


 もう一度「エゴイズム=利己心」という言葉を使って「こころ」がどんな話かを語り直してみよう。

 「人間のエゴイズムと倫理観との葛藤」とでもいったところか。

 実は視聴したアニメ版の冒頭でも堺雅人がこう紹介している。

 Wikipediaの表現とも共通していて、これが世に出回っている「こころ」の主題の最大公約数的な表現だと言っていいだろう。

 皆が出し合った「主題」の表現は、これと置き換え可能だろうか?

 また、置き換えできないと思われるのは、どのような言葉で表現された「主題」だろうか?

 そもそも、「こころ」のテーマが「エゴイズム」であると把握されているとはどういうことか?


2020年10月9日金曜日

こころ 2 動画視聴の狙い

 授業第1回は二つの動画を視聴した。

 ここには、動画の視聴という行為がみんなの注意を引きつけやすく、導入にあたって関心を喚起する動機付けとして有効だろうという下心もある。

 だがそれぞれの動画には、それを見せることによって考えさせたい問題もある。


 NHK Eテレの「Rの法則」は、みんなと同じ高校生に「こころ」を紹介する番組だ。

 テレビ番組としては、ああいうふうに雛壇高校生に反応させて一般視聴者の共感を呼び込もうしているのはやむを得ない。それが「こころ」に対する興味をひくことになってもいよう。

 だがあのようにして「こころ」という物語を知った気になることと、「こころ」という小説を読むことはまるで違うことは心得なくてはならない。

 何が問題なのか?


 まず、小説本文を読んでいない出演者に、小説中の問題について考えさせることがどれほど見当外れなのかを番組は全く考慮していない。

 読書をして得た認識を、自分の問題として捉え直すことはもちろん大事なことだ。自分だったらどうするか、とは常に考えるべき問題である。

 だが、実際に作品を読んでいない者に対して、物語の設定や粗筋を説明した上で、そこに描かれる問題についての選択や是非を問いかけるのは、いわゆる「道徳」の授業であって、国語科授業における作品の受容とは別だ。

 小説は精妙に計算された描写や形容によって、微妙な心理を描き出している。読者はそうしたテキスト情報から、「物語」を構築する。

 それなのに、本文を読んでいない者が登場人物の「気持ち」についてあれこれ語ることが、まるで見当外れなものになるかもしれないという危険についての注意は、視聴者には伝えられない。これがまるで「こころ」という小説についての考察であるかのような誤解を視聴者に与えることになっている。

 このことの問題点については番組制作者も自覚的ではあるのかも知れない。一般視聴者向けにはこれで仕方がないと割り切っているのかもしれない。

 だが以下に指摘するような問題点は、おそらく自覚されていない。


 例えば「羅生門」の設定や粗筋を説明して「あなたは、生きるための悪は許されると思うか?」などと問いかけるのは間違っている。「羅生門」はそのような問題を読者に問いかけてはいない(のだが、本文を実際に読む国語の授業においてさえ、世間ではしばしばそのような問いかけが行われている)。

 「こころ」においても、設定や粗筋から想定される「問題」が、あたかも「こころ」の主題であるかのように語られることがある。

 「Rの法則」で取り上げられていたのは、まさしく典型的なそれである。

 小説では全く問題になっていないことが問題として取り上げられている。

 何が間違っているか?


 番組冒頭から「親友と同じ人を好きになったらどうする?」と問いかけられる。

 これは確かに小説中でも「私」が直面する問題である。これを「三角関係」と表現するのも間違っていない。

 番組ではこの問題を「恋愛か友情か」と言い換える。始まって間もなく、字幕でそう視聴者に伝えられる。高校生の一人が「友情の方が大事だから(友人に譲る)」などと言う。

 こうした語られ方に、視聴者は別段違和感を抱かない。番組制作者もそれが特別おかしなことだとは思っていないはずだ(もちろん問題を大衆迎合的に強調していることくらいは自覚しているだろうが)。

 この何が問題か?


 「私」が迷い、悩み、足掻き続けることになる「問題」は「恋愛か友情か」という選択ではない。小説中で「私」は一度としてそんな選択に悩んだりはしていない。

 それは本文をその気になって読み返せばすぐわかることである。

 これは、設定と粗筋から導き出されたマヤカシの問題なのである。

 だが設定と粗筋を頭に入れて「こころ」という物語を思い返した時、そこで「私」が「恋か友情」という問題に悩んでいたように錯覚することは、大いにありうることでもある。

 そうした錯覚に基づいて「こころ」が語られ、そこで読者に突きつけられることになる「問題」が紹介される。出演者が「深すぎる」などと受け止める。

 だが「こころ」が読者に投げかける「問題」は本当はこれではない。

 「私」が何に悩み、そこでどのような問題に直面することになるか?

 それは本文の読解によってしか明らかにはならない。


 「Rの法則」は、一般的に「こころ」がどのように受け止められているかを知る上で簡便な資料だ。ここに語られる「こころ」と、授業で読解していくことによって浮かび上がってくる「こころ」がどれほど違うものなのかを実感するためにも、この印象を覚えておいてほしい。


 もう一つ有名な文学作品数編をアニメ化した、「青い文学」というテレビシリーズから、「こころ」の回を、その一部分だけ視聴した。

 全編はレンタルなどでも見つかるかもしれない。作画やカメラワークなど、アニメーションとしての質も高く、とりわけBGMやSEなどの音響の演出と、Kを演じた小山力也の声がとても良い。ただ、かなり大胆なアレンジをしている(あの衝撃的なKのキャラデザ以外に、ストーリー的にも)ので、原作ファンからは賛否がありそうである。これを見て「こころ」がわかった気になってはいけない。


 さて、ここで見てほしかったのは、アニメ化にあたって、前後編に分けて、それを「私」の視点とKの視点から描き分けるという、きわめて興味深い試みをしていることである。

 同じ状況をそれぞれの視点から描き分けた二つの場面は、実に面白い。教科書収録場面より少し前の三十三章のエピソード、雨中のすれ違い(原作では雨上がりで泥濘の道をすれ違う)の場面が、最初「私」の目から描かれる。その後、同じ場面が今度はKの目から描かれる。

 それぞれが、互いの目から描かれたときに、どれほどその相貌を変えることか。

 お互いに相手が何を考えているのかわからない「魔物のように」見えてくる(この表現は教科書184頁にある。そこではKを表したものだが、逆にKから見れば「私」もまた「魔物」だったのかも知れないのだ)。

 すれ違いざまにKの言う「悪いな」のニュアンスの違い!

 表面的には、隘路のすれ違いで道を譲ってもらって「悪いな」である(石畳を外れると水溜まりで、長靴に水が浸みこむ描写がある)。

 それが「私」の目からはまるで、Kが「お嬢さんをいただいてしまって『悪いな』」とでも言っているかのように感じられる。それはKのふてぶてしい勝利宣言だ。

 ところがKにとっては、自らの平生の広言に反して女に心を奪われている自らの状況を「私」に非難されることを恐れて弱々しく懺悔しているように感じられるのである。「日頃偉そうなことを言っておきながら今の自分は…」。


 この「視点が違うと物事が違って見える」という認識を、これからの読解に活用する。

 それは、何が小説内「事実」で、どこに主観のフィルターがかかっているかを選り分けていく繊細な読解作業である。

 あくまでテキストにある情報から、表面的に見えている「物語」とは別の「物語」を浮かび上がらせるのである。