2020年10月13日火曜日

こころ 3 主題の把握

 みんなは授業前の今の状態で、「こころ」をどんな話だと思っているのだろうか?

 まず最初に、それぞれが準備してきた「こころ」の主題を検討する。


 グループのメンバーそれぞれが「主題」としてまとめたフレーズを公開しあう。

 場に提出されたいくつかの「主題」は、どういう関係になっているか?

 例えば、次のような主題が挙がったとする(過去のある年の生徒の挙げた「主題」を再現してみる)。

・三角関係

・恋か友情か

・人間の心の闇

・友人を死に追いやった罪悪感

 これらのフレーズをひと続きにつなげてみる。

 「こころ」とは、「三角関係」における「恋か友情か」という迷いの中で友人を裏切ってしまう「人間の心の闇」と、その結果として「友人を死に追いやった罪悪感」によって絶望する「私」の「こころ」を描いた小説である。


 つまりこれらのフレーズはそれぞれ、同じような「こころ」把握をそれぞれ別の切り口で切った一断面を表しているのである(「恋か友情か」という把握は「Rの法則」の影響かも知れない)。


 さて、それぞれの班で出し合った主題を表わすフレーズは、どういう関係になっているか。単なる言い換えのバリエーションの一つとして互換性があるのか。

 その相違は抽象度の違いかもしれない。例えば上の例でいえば「心の闇」という表現は抽象度が高い。「三角関係」「恋か友情か」はそれより具体的だ。

 あるいは物語のどの位相を切り取るかにもよる。「三角関係」「恋か友情か」は状況設定を表現しているが、「罪悪感」は行為の結果について表現している。


 そうして出し合った主題同士に、相容れない相違はないだろうか?

 あるいは、相反するとは言わないが、全く別の切り口であると思われる主題が提出されてはいないか?

 そうだとすれば、その相違はどのような問題を含んでいるか?

 それは「こころ」をどのような物語であるとみなすかについて、何か決定的な見解の相違を示しているということはないか?


 ところで、世間では「こころ」はどういう話だと思われているか?


 文庫本には裏表紙やカバーの折り返しに簡単な内容紹介が載っている。

 「こころ」のは例えばこんな感じ。

  • 友を死に追いやった「罪の意識」によって、ついには人間不信に至る近代知識人の心の暗部を描いた傑作。(ちくま文庫)
  • 近代知識人のエゴイズムと倫理観の葛藤を重厚な筆致で掘り下げた心理小説の名編。(講談社文庫)
  • エゴイズムと罪の意識の狭間で苦しむ先生の姿が克明に描かれた、時代をこえて読み継がれる夏目漱石の最高傑作。(角川文庫)
  • 親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。〝我執〟の主題を抑制された透明な文体で展開した…(新潮文庫)
  • かつて親友を裏切って死に追いやったという過去を背負い、罪の意識に苛まれつつまるで生命を引きずるようにして生きる「先生」(岩波文庫)
  • 文豪・夏目漱石が人間のエゴイズムに迫った名作(イースト・プレス)

 これらは「こころ」は「こういう話」だと紹介しつつ、読者の購読意欲を喚起する惹句でもある。

 もちろん内容紹介全体には「あらすじ」的な部分もあるが、上は主に「主題」的な部分を抽出してある。


 あるいは高校生が教科書とともに机上に備える「国語便覧(国語要覧・国語総覧)」の類ではこんな風に紹介されている。

  • 人を傷つけずにはおかぬ恐ろしいエゴイズムと、それゆえに犯した罪に対する苦悩、そして死をもっての清算を描いた作品。

これがみんなが持っている浜島書店の「常用国語便覧」の紹介。他の会社のはこんな感じ。

  • 人間のエゴイズムを追及した(数研出版)
  • 近代人のエゴイズムが絶望に至る過程を描いて見せた作品。(第一学習社)
  • 恋愛と金銭の問題をめぐる人間の我執(エゴ)を鋭く追及しつつ、日本近代への批判をも提示した作品(大修館書店)
  • 人間が持たざるをえないエゴイズムの醜さと、それを救済するには死以外にはないとする、明治の知識人の苦悩が描かれている。(東京書籍)
  • 「〈死〉に至る人間の心の過程」を主題とし、「エゴイズムと罪」の問題とともに「明治の世代意識」の典型とそれらのいきついた地点を示す。(京都書房)


 あるいはおなじみの「Wikipedia」ではこんな感じ。

人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている。


 これらに頻出する言葉は何か。

 一目瞭然、「エゴイズム」である。

 「エゴイズム」とは何か。上では「我執」という言い換えもあるが、一般的には「利己心」とか「自己中心主義」などという意味で理解されている(「エゴイスティック」なら「利己的」「自己中心的」)。

 「文学」は「エゴイズム」が好きで、「羅生門」も「生きるために人間が持たざるをえないエゴイズムを描いている」などと一般的には言われている(こんなことを言う人は、小説としてまともに「羅生門」を読んではいないと思うが)。


 もう一度「エゴイズム=利己心」という言葉を使って「こころ」がどんな話かを語り直してみよう。

 「人間のエゴイズムと倫理観との葛藤」とでもいったところか。

 実は視聴したアニメ版の冒頭でも堺雅人がこう紹介している。

 Wikipediaの表現とも共通していて、これが世に出回っている「こころ」の主題の最大公約数的な表現だと言っていいだろう。

 皆が出し合った「主題」の表現は、これと置き換え可能だろうか?

 また、置き換えできないと思われるのは、どのような言葉で表現された「主題」だろうか?

 そもそも、「こころ」のテーマが「エゴイズム」であると把握されているとはどういうことか?


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