問題は、「二、三日」の後、⑥までの「五日」にいたる残り「二、三日」だ。両者に何らかの質的な差違がなければ、それを区切る必要はない。
残りの「二、三日」とは何か?
これはすなわち48章の「二日あまり」のことだ。両者を足したものが、月曜から土曜までの「五日」である。「二、三日」は、この「二日あまり」と「五、六日」の関係を読者に理解させるための補助的な役割を担っているとも言える。
そしてこの「二日あまり」と「二、三日」を分けるものこそ⑤だ。
暫定的な想定によればこれは木曜日に起こっていることになる。
この前後がどのような意味で区別されるべきなのか?
⑤の前後でKが婚約の事実を知っているかいないか、という違いはある。だがそれは「私」には与り知らぬことだ。それが「二、三日」という終点を示すことにはならない。
「二、三日」は、奥さんの態度の変化をもって区切られる、というアイデアが生徒から提示された。
「そのまま二、三日過ごしました。」に続く一節は「その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのは言うまでもありません。」である。これだけならばその後の「二日あまり」も同様のはずだ。
ただ、この記述に続く「その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突っつくように刺激するのですから、私はなおつらかったのです。」は、確かに「二、三日の間」とそれ以降で区切られる。なぜなら⑤の木曜日を境に、奥さんは「私」を「突っつく」のを止め、「私」とKの態度を、探るように観察しているはずだからである。
奥さんは、Kに対して婚約の事実を伝えない「私」の態度に不審と不安を覚え、思いあまって自らKに婚約の件を伝える。そしてそれ以降それが事態をどう動かすことになるのか、戦きつつ注視している。自分のしたことを、余計なこと、と責められるおそれがあるからだ。
なるほど、奥さんの態度は確かに⑤を境とする「二、三日」と「二日あまり」で変化するに違いない。だが「私」がそのことに気付いているかどうかは怪しい。
何か、「私」の意識にとって「二、三日」と「二日あまり」を区切るものはないのだろうか。
「二、三日」の終点に対応する記述はあるか?
⑤の出来事が当時の「私」に知れるのは⑥によるのであり、しかもそのことを知る「私」の衝撃を読者にも感じさせるため、全てを過去の出来事として把握しているはずの語り手の「私」も、47章の時点でそれを示す記述をおかない。だから「二、三日」の終わりが⑤のあった木曜日だとしても、それは伏せられたまま、「五、六日」の終わりまで、くだくだしい言い訳じみた逡巡が語られるだけだ。
だが一旦、ここには問題の⑤木曜日が含まれているのだと思い至ったとき、にわかに一つの記述が注目されてくる。
47章冒頭(201頁)の一段落は「私はそのまま二、三日過ごしました。」で始まり、Kに告白することへの逡巡の、基本的葛藤が語られる。
そして二段落の冒頭は次のように始まる。
私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおうかと考えました。
「そう言ってもらおう」というのは、お嬢さんとの婚約が成立したことを奥さんからKに伝えるという意味である。
だがこの思いつきは「しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目のないのに変わりはありません。といって、拵えごとを話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問されるに決まっています。」と続く思考によってすぐに打ち消されてしまう。だから、読者にとってはこれも五日間の逡巡の一過程に過ぎないものとして読み流されてしまう。
だがこの記述を、漱石は周到な計算のもとにここに置いているのではないか?
「奥さんに頼んでKに改めてそう言ってもらおう」という思いつきこそ、この五日間における、月曜から数えて「三日」目、木曜日の思考だったのではないか?
とすると一段落の葛藤は、そのまま形式的に「二、三日」の期間を示し、二段落が残りの「二日あまり」を示すことになる。
この解釈は、「また」の示す反復/対置の解釈についても有効である。
奥さんとの談判(④)以降、「私」はいよいよKに対して告白しなければならない窮境に陥る。45章の談判から、46章の長い彷徨や夕飯の席など、「私」の逡巡は既に充分事細かに描かれている。
その終わりが46章末尾の「卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのがいやになったのです。」だ。「その(逡巡の)まま二、三日過ごし」すのだから、④当日から一段落までは一続きである。
その後木曜日に、奥さんに言ってもらおうかという思いつきに至る。
だがそれは新たに奥さんとお嬢さんへの弁明の必要を生じさせるから、結局実行に移せないまま「また立ちすくみました」という結論に戻る。
「また」で示される対置は充分に納得できる。
とすると、この記述は⑤と表裏をなしていることになる。
どういうことか?
つまり「私」が「奥さんに…言ってもらおうかと考え」、だが「私」がもっともらしい理由を付けた逡巡の挙げ句にその実行をやめたちょうどその頃、「私」の知らないところで、まさに奥さんはそれを実行してしまっていたのである。
なんたる皮肉!
詳しくは後の授業で再検討するが、「私」がKに言わなかったことがKの自殺という悲劇を引き起こした最終的で決定的な要因である。
談判したことが、ではない。談判したことが奥さんからKに伝わってしまい、かつそのことを「私」が知らないまま「二日あまり」を過ごすことになる、この運命の皮肉こそ、Kの身に起こった悲劇を理解する重要な要因なのだ。
「私」が逡巡に打ち勝って直接Kに婚約の件を話していれば、そうでなくとも少なくとも「私」の依頼によって奥さんからKの知るところとなっていれば、おそらく悲劇は回避されていたのである。
そう考えると、漱石がさりげなく置いた「二、三日」という途中経過にこめた、あまりに大きな運命の皮肉に、あらためて驚かされる。
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