2020年10月27日火曜日

こころ 12 「二、三日」と「五、六日」の関係

 奥さんと談判してから、奥さんがそのことをKに話したと「私」に告げるまで、何日が経過しているか?


 意見が食い違っているときに、お互いに「なんとなく」では埒が開かない。

 重要なことは、堅実な考察と議論のための着眼点、切り口を見つけることだ。

 あるいは是非を判ずるための規準を決めることだ。

 話し合いの中で、教室のあちこちでそれらが話題に上ってきているような様子が見えたら、全体で共有する。


 期間を示す言葉は、その始点終点を必要とする。期間とは始点から終点までの距離のことだ。

 同時にそれは、その間に何かが継続していることを表す。


 「二、三日」と「五、六日」の始点終点はそれぞれどこか?

 また、それらは何が継続されている期間を数えたものか?


 先の「二日あまり」ではこうした疑問が生じない。始点と終点ははっきりしている。「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日あまりになります。」は「奥さんがKに話をし」た日(⑤)から「勘定してみ」た日(⑥)の間を数えたことが明らかだ。したがって⑥の土曜日から遡って⑤が木曜であると特定できる。(それでさえ⑦の「Kの自殺」までが⑥と同日の出来事であることを確信するためには前述のような込み入った議論が必要となるのだ)。

 だが「二、三日」と「五、六日」では、話はさらに複雑である。

 順を追って考えよう。


 「五、六日経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。」から、「五、六日」の終点は⑥のあった日である。先の結論を認めるならばこれは土曜日だ。

 では始点はどこか?

 これは「二日あまり」のように自明ではない。「五、六日経った」がどこからなのかが、実はにわかにはわからないことに、考えてから初めて気づく。

 明らかに始点を示すと思われる記述はなかなか見つからない。

 時間経過が示されるにあたって何が継続しているかを判断するためには、47章の前半を一掴みに把握する読解力が必要とされる。

 遡っていくと、46章の終わりに次の一節が見つかる。

   私はほっと一息して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭になったのです。(201頁)

 それ以降、具体的に日時を特定できる出来事らしきものの記述はなく、思考内容が記述されているばかりであることから、結局「五、六日」の始まりはこの「室へ帰」った時点であると読むしかない。

 とすると「五、六日」という期間は、「どうしたものだろうか」と「考え」たり、「弁護を自分の胸で拵えてみ」たり「Kに説明するのが厭になった」りする逡巡が続いていた期間ということになる。

 曖昧に、何となく読んでいた「五、六日」が、ここまで確認してようやく腑に落ちる。

 46章は「談判」当日だ。「五、六日」がいつからのことなのかを明示していないのは、その始点が読者にも了解されているからである。そうした期待ができるためには、明確なイベントがなければならない。とすれば、それは問題の「奥さんとの談判」しかない。


 一方「二、三日」の始まりはどこか。

 「私はそのまま二、三日過ごしました。」の「まま」は状態の継続を表す接尾語だから、「その」が指している状態を判断すればいい。

 「その」が指しているのは何か? 

 これは結局、上の引用部分の「考えずにはいられませんでした」や「Kに説明するのが厭になったのです」を指していると考えられる。つまりこれも上と同様の逡巡である。

 つまり、「継続」と「始点」、どちらの面から考えても、「二、三日」と「五、六日」の勘定の始まり=起点は同一ということになる。ということは、両者は重なっている、足すべきではない。したがって「二、三日」は無視して最短五日、最長六日と考えるべきなのである。

 これで一応の結論は出た。

 Kが自殺した土曜日から遡ること「五、六日」前に私の逡巡が始まったのである。さらに46章の逡巡の始まりは遡る44章、すなわち奥さんとの談判を開いた日(④)に他ならない。とすれはそれは日曜か月曜だ。

 だがこの二つの可能性は容易に一つに結論づけられる。なぜか?

 どのクラスでも誰かが既に気付いている。「仮病を使って学校を休む」からには日曜日ではない。したがって月曜日なのである(現在の曜日制はグレゴリオ暦を官庁が採用した明治六年から始まっているから、「こころ」の舞台である明治三十年代には日曜日は学校が休みだったと考えていい)。

 つまり④の月曜から⑥の土曜までは実は五日だったということになる。遺書という言説の場でそうした日数を正確に限定することは不自然だから、ここには「五、六日」という曖昧な表現が使われているのだ。







 確認しておこう。

月曜日 ④奥さんと談判する

木曜日 ⑤奥さんがKに婚約の件を話す

土曜日 ⑥奥さんが「私」に⑤の件を話す

土曜日 ⑦Kが自殺する


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