祝授業再開。
前回までの3回の記事は、予定していた第3回の授業の最初の30分ほどの展開だ。
さてそれを休校課題として代替した実際の第3回は、まず課題の結論についての確認に続いて、Formsで提出された皆の考察の紹介をした。
質問した次の二つの曜日は、有意な偏りがないといっていいほど、各曜日にバラけた。
①上野公園を散歩する
④奥さんと談判する
これで、曜日を「特定」しようというのだから、前途は多難だ(もちろん楽しみだ)。
一方、次の曜日の考察結果は集中している。
⑤奥さんがKに婚約の件を話す
みんなの考察は木曜日に集中している(いくらか水曜日にも散っている。そう答えた人は、木曜日か水曜日という複数回答である)。
さてこの結論は、どのような推論に基づいているか?
シンプルな回答は「勘定してみると奥さんがKに話をしてからもう二日あまりになります。」と書いてあるから、である。土曜日から2日前の木曜日というわけだ。
この推論は、間違っているとは言わないが少々雑だ。
重要な未確定条件が考慮されていない。
どこか?
最初の推論を話し合わせている時点で、もうこの「未確定条件」について話し合っているらしい声も聞こえてきたのには驚いた。素晴らしい。
さらにあらためて全員に投げかけると、たちまちに問題点を指摘する声があちこちから聞こえてくるのは頼もしい。
わかってはいる。だが一方でそれを適切に説明するのは難しい。
問題は、本文から確実に言える情報と、推測部分の区別をした上で、それが「推測」であることを明示すること、である。この「本文から確実に言える情報」の提示が難しいのだ。
だがそれは、こちらがそれを示してしまえば、呆気ない程明らかなことでもある。
確実なのは次の二点。
- ⑤「奥さんがKに話す」と「勘定した」時点の日程が「二日あまり」だということ。
- 「私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも翌日まで待とうと決心したのは土曜の晩」だということ。
ここから⑤を木曜日だと結論するには飛躍がある。
この推測には「勘定した」時点と「決心した」のが同じ日であることが前提されている。だがそれはどのようにして断定されるのか。
⑦と「決心した」のは同じ土曜日である。そして⑥と「勘定した」が同日内であることは、未確定ではあるが、そこに時間的な隔たりがないことは争いのない了承事項として共有されてもいい。
とすると、問題は⑥が⑦と同じ土曜日なのかどうかだ。
そこにはまだ検討の余地のある飛躍がある。
⑥は自然と土曜日であるように感じられ、むしろそれを前提として(そこには推論の根拠など述べずに)、⑤や④についての推論を進めていた。
だが、そこには上記のような論理の飛躍がある。我々読者はそれをどのようにして飛び越えたのか。
そう言われて考えているうちに、かえって積極的に同日内ではないと感じる、という意見も出てくる。
根拠は48章(203頁)の二段落の冒頭「私が…待とうと決心したのは土曜の晩でした。」という記述である。「土曜の」という限定は、むしろ奥さんから話を聞いたのが土曜以前であることを感じさせないだろうか。同日内ならば「その晩」「その夜」という方が自然ではないか。
一旦そう言われると、にわかに⑥が土曜日ではないように感じられてはこないだろうか。この「感じ」は皆で共有しておきたい。
それでもなおかつ⑥と⑦が同じ土曜日の出来事であると読めるのか?
本当に⑥から⑦にかけて日を跨いではいないのか?
ごく自然にそう解釈してはいるのだが、なぜそうだと思えるのかとあらためて問われてすぐにその根拠を挙げることは難しい。明確にそうだとはどこにも書いてないのである。
議論のためには根拠を挙げる必要がある。国語科授業において重要なのは「結論=正解」ではない。どう考えるか、である。
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