以下の記事は、必ず前回記事の課題「プロット作成」を終えてから読み進めること(でないと学習効果が下がるので)。
前回の課題が、予定していた3回目の授業の最初の10分ほどの展開だ。
7~8項目の「出来事」「場面」は挙げられただろうか?
さて、授業ではプロットを以下のようにまとめておく。
- Kの告白 180頁~
- ①上野公園を散歩する 187頁~
- ②夜中にKが「私」に声を掛ける 194頁~
- ③朝食時と登校途中にKを追及する 194頁~
- ④奥さんと談判する 196頁~
- ⑤奥さんがKに婚約の件を話す
- ⑥奥さんが「私」に⑤の件を話す 202頁~
- ⑦Kが自殺する 203頁~
それぞれが前の出来事をどのように受けている展開なのかは把握されているだろうか?
自分の書いたプロットに、上記に基づいて番号をつけておこう。議論するうえで、それぞれの項目を番号で呼ぶことも多くなる。
訂正や追加があれば書き加えておく。
さて、①と④と⑦が挙がらない人はおるまい。
だがそれ以外はどれも全員が容易に挙げられるというわけではない。①④⑦に比べてエピソードとしての立ち上がりに欠けるからだ。
だがそれならば「7~8項目」として何を挙げたのか?
授業ならば、話し合いの中で互いに作成したプロットを照らし合わせることで補完される。そうでなくとも、全体で発表させる時には、①と④の間で描かれていた「場面」は? などと聞きながら②③を思い出すよう誘導する。
同様に④と⑦の間にはどのような「出来事」「場面」があったか? と聞けば⑤⑥が挙がるはずだ。
だが授業でやってみると豈図らんや、そう簡単にはいかない。⑤と⑥のどちらかが、ひどく挙がりにくいのである。皆それぞれ思い当たる者も多いはずだ。④から⑦までの流れが、⑤と⑥を分けた形で挙がっている者は、的確に物語の流れを把握しているといっていい。
これは授業者にとっては意外なことだ。
なぜこんなことが起こるのか?
⑤は物語の時間的展開の中で、直接の「場面」としては描かれない。⑥の中で、⑤の出来事があったことが後から知らされるだけだ。だから物語の中で起こった「出来事」として捉えないと挙がりにくいのかもしれない。
⑥はさらに挙がりにくい。なぜだろう?
これは、話された内容である⑤に比べて、それを話すこと自体は「出来事」としては意識されにくい、ということなのかもしれない。
⑤と⑥は入れ子型の階層構造をつくっている。その時、メタな階層にある⑥は盲点になってしまう。直接描かれている「場面」は⑥であるにもかかわらず、だ。
この構造は、読者が⑤と⑥を知らずに混同してしまうという事態を招いている。
この混同が、「こころ」全体の理解にとって重要な錯覚をもたらしている。それは⑤と⑦の間隔についての錯覚である。
この「錯覚」については後で明らかにしよう。
授業でこの展開をやると、⑤と⑥が別の出来事であることを初めて認識して、「あ、そうか!」という反応をしている人はけっこういて、その瞬間を見るのは楽しい。
さてこの後が考察すべき問題である。
①~⑦の出来事があったのはそれぞれ何曜日か?
ここからは本文を見ながら、必要な情報を探す。
どこからどんな情報を見つけて、どう考えれば、それぞれの出来事の曜日がわかるというのか?
まずは15分くらい考えてみる(それ以上やらなくてもいい)。
その際、曜日を特定するために手がかりとなる記述を本文中にマークしながら考察を進めること。
この後でそれらの手がかりを何度も見直すことになる。
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