この先の議論を進める前に、次の確認をしておく。
④「月曜日」、また①②③の日は、それぞれ本文のどの記述からどの記述までに対応しているか?
ある程度の長さの文脈を一気に把握することは、意識しないとできない。一息で把握できる文脈の長さは、そのまま読解力の高さを示している。いま目で追っている文章が前後の文脈の中でどのような位置にあるかを捉えることは、文章を読む上で決定的に重要である。
「土曜日」「月曜日」という認識が、どれほどの長さの文章を把握する際に必要な枠組みなのかを意識したい。
④「月曜日」の始まりは44章の「一週間の後」(196頁)から46章の終わり(201頁)までだ。その日のうちに「談判」や神保町界隈の彷徨、気詰まりな夕飯の場面までが含まれるのである。「室に帰」った時点を「二、三日」「五、六日」の始点とするという推論をしてもそれが④と同じ月曜日の晩のことだとわかっていなければ議論を先に進めることはできない。
さらに長いのは40章の冒頭「ある日…」(187頁)から43章後半部の「しかし翌朝になって」の直前「私はそれぎり何も知りません。」(194頁)までの一日だ。3章半に渡るこの部分に、重要な情報の詰め込まれた①「上野公園の散歩」や、謎めいた②「真夜中のKの訪問」が含まれる。
さてこの長さが一掴みに把握できたところで、では、これは何曜日か?
考えるべき点は44章(196頁)の「二日たっても三日たっても」と「一週間の後」の関係である。
考え方の手順は既に把握しているはずだ。結論としてこの「二、三日」は「一週間」に含まれる。
上記にならって、「三日」を「一週間」と区切る特定の出来事が見出せないからだ、という言い方も勿論可能だ。
つまり「二日たっても三日たっても」と「一週間の後」は重なっていると考えていい。
このことを読者が自然に感じ取れるのは「一週間の後私はとうとう堪え切れなくなって」の「とうとう」である。
「とうとう」は、その前に何らかの経過を前提する副詞である。「二日たっても三日たっても」という途中経過を受けていると読み取るからこそ「とうとう」が自然なものとして感じられるのである。
つまり③は、奥さんと談判したのが月曜日だという先の結論から遡ること「一週間」、前の週の月曜日ということになり、40章の冒頭①「上野公園の散歩」はその前日、日曜日ということになる。
これで全ての曜日を特定したと考えていいだろうか?
①②が日曜日であるという結論に問題はないのだろうか?
①の始まりの時点で「私」は学校の図書館で調べ物をしている。大学が日曜日に休みであることを④の考察時に根拠にしたように、当時の帝国大学図書館が日曜休館であったと考える必要はないのだろうか。
高校の図書室は日曜日はむろん休館だ。一方で自治体の公共図書館は日曜にも開館している。国立国会図書館は日曜祝日は休館。では大学の図書館は?
現在の大学の図書館は学生の利便性を重視して日曜日も開館している大学が多いのだろうが、明治の帝国大学図書館はそのような利用者サービスに配慮していたのだろうか。
この点については、当時の大学図書館の休館日を調べれば、漱石の想定がどちらかははっきりする。だがこれをテキスト内情報から推測してみよう。
①の曜日を推測する手がかりはないか?
「私は久しぶりに学校の図書館に入りました」の「久しぶり」から、①が週明けの月曜日である印象があると考える者がいるが、これはむろん確定的な論拠にはならない。「久しぶり」というのは、その前のKの自白のエピソードが正月だったことから考えて、おそらく冬休み明けであることを示している。
それよりも、図書館にいる事情を語る次の一節から、この日の曜日について推論してみよう。
私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べてこいと命ぜられたのです。
この日が日曜日だとすると、「次の週までに」とは「明日までに」を意味することになる。翌日が月曜ということになるからだ。とすれば「私」は今日中に何とか調べ物を片付けなければならないはずである。ところが「私」はようやく探し出した論文を「一心に」読み始めたところに現れたKに心を乱され、あっさり調べ物をやめてしまう。翌日、命令に反したことをどう教師に説明するつもりかを気にする様子もない。
「書く方が自然なことが書いていない場合は、それがないものと見なす方が自然」の法則からすれば、こうした想定は「不自然」である。
だがこの日が月曜だとすると、「次の週」とは言葉通りの一週間後である。
必要な論文は見つかったことだし、今日はもう調べ物を中止してもよかろう…。
こうした想像はこの日を日曜とする上の仮定よりも自然だ。
そもそも「教師から命ぜられた」のも、今日=月曜のことであるように感じられる。日曜に調べ物をしていたのなら「命ぜられていた」の方が自然であろう。
「勘定してみると」の考察に見られるとおり、表現の細部には、その表現が選ばれた必然性が表れる。漱石が各エピソードの起こった曜日を想定して書き進めているとするなら、この日は月曜日だと想定されていることが、これらの細部の表現の整合的な解釈であると考えてもいいだろう。
以上の推論からすると、40章の①「ある日」が月曜日、翌日43章の③「その日」が火曜日と見なすのが妥当だということになる。
とすると、「いらいら」と「機会をねらっていた」のは「一週間」ではなく「六日間」ということになってしまう。「一週間」というのは①から④までの期間ではなく、③から④までの期間だからだ。
これはかまわないか?
かまわない。そもそも当時から何年もたって書かれた遺書に「六日後になって」などと正確な日数を書く方がむしろ不自然だ。「私」がここだけ正確な日数を覚えていると考える必然性もない。他の日程が「二、三日」「五、六日」といった曖昧さをもった表現なのだからこの「一週間」だけが正確に「七日」を指していると考えなければならないわけではない。といって他と同様の「六、七日」「七、八日」などという表現もかえって不自然である。だから仮に六日だとしても「六日の後に」とは書かない。
とりわけここでは、物語が大きく動くエピソードとして、週始めの①②③から、次の週の始めに置かれた④までの間隔を概ね「一週間」と表現したのだと考えるのは、まったく自然である。
これで教科書主要エピソードの曜日は確定できた。
このことに何の意味があるか?
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