2021年10月1日金曜日

舞姫 1 読み進める

 後期は、今年度最後の授業までかけて森鷗外の「舞姫」を読む。

 漱石の「こころ」も、同じくらいの時間をかけて読んだ。あの難問群の数々を考察するためには、それだけの時間が必要だったのだ。そうした考察を積み重ねて、最後に見えてきた光景が、最初の時とはどれほど違ったものになったか、みんな覚えていると思う。
 「舞姫」もまた、考えれば考えるほどに問題が発見されるはずの、同様に濃密なテキストではある。だが、その扱いは「こころ」とは些か異なる。
 授業前に全文通読を指示した「こころ」と違って、「舞姫」は授業中に全文に目を通す。
 ほぼ現在の口語と変わらない「こころ」と違って、それより四半世紀近く前に書かれた「舞姫」は、擬古文と呼ばれる文語文で書かれている。
 当時、言文一致運動は試行の直中にあり、鷗外もまた言文一致体=口語による文章も書いていたが「舞姫」は試行中の口語文ではなく、歴史のある文語の規則に従って書かれている。
 仮名遣いこそ現代仮名遣いにあらためたものが教科書に載っているのだが、この長さの文語文をすらすらと読み進めて内容を把握するのは、正直キツいはずだ。
 そこで、授業中に全文を通読する
 勿論、自主的に時間を設けてあらかじめ通読してから授業に臨むのは結構なことだ。だが全体としては授業中に冒頭から順に本文を読み進めて、途中、そこで考察すべき問題をその時点で考察する。全体を読んでいる前提で、本文の順にとらわれずに考察すべき問題を全体の中から取り上げた「こころ」とは、読解の手順が随分違う。

 といって、細かい意味を解説していくとなると、ほとんど古文の授業のようになってしまいかねない。文語文法に正確に則って書かれた「舞姫」は、むしろ文語助動詞現古異義語禁止の副詞係り結びの逆接用法など、古文の学習教材として恰好な素材とさえ言ってもいい(一橋出題の近代文読解の練習にもなる)。
 だがそれには「舞姫」は長すぎる。ここはあくまで小説読解の教材として「舞姫」を扱いたい。授業者による解説を最小限にしつつ、できるだけ早く内容把握を促し、考察したい問題に焦点を絞りたい。
 そこで、次のような手順で本文を読み進める。

  1. 予め授業者の方で「舞姫」全体を14の章に分割しておく。各章は内容的に切りのいい、2頁程度の長さ。
  2. 授業者が口語訳を朗読する。みんなは朗読を聴きながら本文を目で追って、文語と口語を対応させる。
  3. 1章分2頁程度の口語訳を読み終えたら、その章の内容を3文の箇条書きで要約する。

 3の「要約」は、なるべく簡潔な、単文にする。「単文」というのは、主語述語の組合わせが一つだけの文のことだ。主語述語に、必要な形容や目的語などを加えて、5文節くらいにまとめる。あるいはノートで1行くらいの見当にしておく。
 これを三つ、3文で各章を要約する。本文2頁をノートに3~4行。

 これはつまり、その2頁ほどの内容から、重要と思われるトピックを三つ選べ、という課題だ。
 「物語の展開」「状況説明」「登場人物の行動」「心理」などの小説を構成する要素のうち、その2頁ほどの長さの文章中で押さえておくべき要素は何と何かを判断し、三つを選んで文にする。
 むろん「三つ」という限定は少なすぎると感ずる。だが、とにかく、優先順位の高いトピックを三つ選ぶ。その優先順位を勘案しようとすることが、その該当部分の全体を捉えようという思考になる。だから要約文としての完成度は必ずしも高くなくて良い。言い足りないままでも良い。

 要約文は、頭の中で考えるだけでなく、必ず書く。3行×14章=42行、大学ノートは1頁に40行近く罫線が引かれているから、充分な余白を設けて、後から書き込みができるようにしても、最終的にノート2頁くらいで、「舞姫」全文を要約することになる。

 各章の要約を始めたら、みんなが3文を書き終わらないうちに誰かを指名して1文ずつ発表させる。的確な3文が並んだら、3人が発表して終わりだ。押さえておきたい内容が出揃わなかったら4人目、5人目を指名する。
 発表を待って自分の要約を書くのではなく、発表と並行して書き進め、3文が出揃うまでに自分も書き終えるようにする。
 2~3頁につき、このサイクルを15分程度で繰り返すと、1時限で3回、7~8頁読み進めることになる。そうして「舞姫」を読み終えるのに、正味4時限程度を要する。
 だが先述の通り、全文を通読してから読解するのではなく、読み進めながら、その時点で考えるべきことを考えていく。例によって「部分的な読解」だ。
 いくつかの場面でこうした読解/考察をはさんでいくと、最終的に全編を読み終えるまでに10時限くらいかかる。

 それからやっと「舞姫」という小説全体を考察する。

 授業で読み進めている部分より先を自主的に読み進めるのは、むろんかまわない。
 むしろ、授業時に口語訳を聴くときに初めて本文を見るのは勿体ない。先に自分で原文を読んでおいた方が学習になるのはもちろんだ。なるべく速度を上げて文語文に目を通し、かつ的確に意味を把握する訓練は、多いほど良い。
 そこで、せめて各授業の前の休み時間には、授業で読んだところの続きに目を通しておく習慣を作ってほしい。
 5分でいい。その姿勢が、授業の学習効果を高める。

 ずっしりと手応えのあるこの文学史上に残る記念碑的作品を、長い時間をかけて読み進めていった先に、今度はどんな光景がひろがるか。
 みんなで一緒にそれを見たい。

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