2021年10月21日木曜日

舞姫 5 エリスはなぜ泣いていたか

 「4章」で、ようやくヒロインたる「舞姫」=エリスが登場する。

 この、語り手=豊太郎とエリスの出会いの場面について考察する。


 豊太郎とエリスとの出会いに続いて、交際が始まってからしばらく、4~6章までの6頁ほどを読み進めたら、戻って考察したいのは次の問題である。

 エリスはなぜそこで泣いていたか?

 この場面でエリスの置かれた状況を的確に捉えることは、この後のエリスと豊太郎の関係を捉える上で重要であるばかりか、それ自体、考察することに手応えのある問題でもある。


 この問いは、例によって二つの問いを含んでいる。

  • エリスはなぜ泣いていたか?
  • なぜ「そこ」にいたのか?

 「泣いていた」事情と「そこにいた」事情は、むろん強く関係はしているが、それぞれに各々の説明が必要な事情だ。


 先に解釈が進んで、班員に合意が形成されるのは「なぜ泣いていたか」だ。

 本文のどこからどんな情報を読み取れば、エリスが泣いていた事情が推測できるか?

 推測の根拠となるのは次の三カ所である。

A(317-318頁)
「君は善き人なりと見ゆ。彼のごとく酷くはあらじ。またわが母のごとく。」/「我を救ひたまへ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼のことばに従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日は葬らではかなはぬに、家に一銭の貯へだになし。」
B(319ー320頁)
「明日に迫るは父の葬り、頼みに思ひしシヤウムベルヒ、君は彼を知らでやおはさん。彼はヴイクトリア座の座頭なり。彼が抱 へとなりしより、はや二年なれば、事なく我らを助けんと思ひしに、人の憂ひに付け込みて、身勝手なる言ひ掛けせんとは。我を救ひたまへ、君。金をば薄き給金を割きて返し参らせん。よしやわが身は食らはずとも。それもならずば母のことばに。」
C(321頁)
はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にてつながれ、昼の温習、夜の舞台と厳しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をもまとへ、場外にては独り身の衣食も足らずがちなれば、親はらからを養ふ者はその辛苦いかにぞや。されば彼らの仲間にて、賤しき限りなる業に堕ちぬはまれなりとぞ言ふなる。エリスがこれを逃れしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とによりてなり。

 「なぜ泣いていたか」として語られるべき事情を推測するための情報として、この3カ所はいずれも欠かせない。3カ所が揃ってはじめて充分な事情が推測できる。

 まずAから、父親が死んだこと、エリスの家庭が貧しく葬儀さえ出せないでいることはただちにわかる。

 次にBから、座長に経済的援助を申し込んだところ「(座長が)人の憂ひに付け込みて、身勝手なる言ひ掛け(=提案・要求)」をしたとある。さらにAの「彼のごとく酷くはあらじ。またわが母のごとく」「母は我が彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。」から、母が座頭と結託してエリスにそれを強いていることがわかる。そして「言い掛け」は「酷」いものなのだ。

 さらにAの「恥なき人とならん」とCの「賤しき限りなる業に堕ちぬはまれなり」「エリスがこれを逃れしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とによりてなり。」から、「言い掛け」の内容が推測できる。

 このABC三カ所は必ず出揃わなければならない。三つ全てを総合して初めてこのような推論が可能になる。どこが論拠なのかを自覚しなくても推論結果を語ることはできるかもしれないが、重要なのは結論ではなく根拠と推論の過程だ。


 これで「なぜ泣いていたか」が一応は把握できた。シヤウムベルヒが葬儀の費用を出す代わりにエリスに体を売るよう強要し、嫌がると母親が殴るのである。酷い話だ。ヒロインはこのように追い詰められた状況で物語に登場するのである。

 これでエリスの置かれた状況の把握はできたと考えていいだろうか?

 これ以上の推測はできないか?


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