2020年6月22日月曜日

ミロのヴィーナス4 -「特殊から普遍へ」

 次に取り上げる一節。一文全体を見てみよう。
このことは、ぼくに、特殊から普遍への巧まざる跳躍であるようにも思われるし、また部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉迫であるようにも思われる。 
特殊から普遍への巧まざる跳躍」とはどういうことか?

 とりあえずグループワーク。どういう手続きで考察し、他人に説明するかを自分で考えることも学習だ。諦めずにがんばりたい。
 しばし話し合わせて、だがこれを発表させることはしない。

 以下は授業者による誘導。
 「巧まざる」に拘泥する必要はない。これは言い換えを前後から一つずつ指摘する。「無意識的に」「偶然の」である。前の頁から参照するなら「制作者のあずかり知らぬ」なども引き受けていると考えられる。
 問題は「特殊普遍」だ。
 まず「特殊普遍」という対比は「ある/ない」のどちらに対応するか?

 「特殊=腕がないこと」と答える高校生はいる。「ある」のが普通なのだから「ない」のは特殊なことなのだ。
 もちろんそうではない。みんなもそうではないと思っているはずだ。だがそうでないことをどのようにして読み取っているのか。読み取るべきなのか。
 「特殊」や「普遍」という言葉を解釈して、それを「ある」や「ない」に結びつけているわけではない。そうすべきでもない。
 順序が逆だ。まず文脈の論理で「特殊」が「ある」なのだとわかるべきであり、その後で「ある」ことを「特殊」と表現しているのはなぜなのか、と考えるべきなのである。
 文脈の論理を読み取ろう。「このこと」は何を指しているか?
 短く言う(これは後で検討したいことがあり、そこへ踏み込まないためである)。
 「腕を失ったこと」だ。これを主語とする一文であることを確認する。
 「腕を失う」ことが「特殊から普遍へ」なのだから「あるからないへ」なのである。
 まず文脈から「特殊」=「ある」という判断がなされているのだ。
 では「腕があること」はなぜ「特殊」?

 ここから先の準備として、ここで特殊普遍の辞書的な意味を、班の中で確認しておく。「特殊」は「特別」ではないし、「普遍」は「普通」とは違う。

 次に一文の前半と後半が並列されている事を確認する。
  • 特殊から普遍への巧まざる跳躍であるようにも思われる
  • 部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉迫であるようにも思われる
これが言い換えであると仮定して「特殊」と「普遍」を考えてみる。「特殊」と「普遍」は何に対応しているか?
 「特殊」は「部分的な具象の放棄」に対応しているのではない。
 「放棄による、偶然の肉迫」が「巧まざる跳躍」に対応していると考えれば、「特殊」が対応しているのは「部分的な具象」である。
 すなわち次のような対比がそれぞれ対応していることになる。
    特殊普遍
部分的な具象全体性
 腕を失くすことがこれらの対比の左辺から右辺への変化なのだから、これはそのまま「ある/ない」の対比に並べて良い。
 「部分的な具象の放棄」が腕を失うことを意味しているのは見易い。
 では「ある全体性への偶然の肉迫」は?
 まず、言い換えになっている表現を以下の文章から探す。教科書の42頁から3カ所。
 順に挙げる。
1 生命の多様な可能性の夢を深々とたたえている
2 存在すべき無数の美しい腕への暗示
3 全体性への羽ばたき
 まず「全体性」がそもそも共通する3はすぐに確認できる。「肉迫」と「羽ばたき」が言い換えとして許容されるのを見ておく。
 1と2は「多様な可能性」と「存在すべき無数の」に共通性を感じ取ってほしい。

 「全体性」=「普遍」がこのようなものであるとすると、「特殊」とは?
 「部分的な具象」とは「ある」腕であり、固定された一つの形象をもった腕が「ある」状態が「特殊」なのである。
 ここでの「特殊」とは普段我々が日常的に目にする「変わっている。平均から外れている。」という意味ではない。「普遍」と対になっている「特殊」とは「限定された・特定の」という意味である。言わば全ての個別性のことである。あらゆるものは全て「特殊」、つまり「オンリーワン」なのだ。
 同様に「普遍」は「全体性」であり、「多様な可能性」「存在すべき無数の美しい腕」に開かれた状態である。
    あるない
    特殊普遍
部分的な具象全体性=「多様な可能性」「存在すべき無数の」
これが「特殊」と「普遍」の一つの説明である。

 もう一つの考え方は、先ほど意図的に避けた部分に関わる。
 ここまでの考察は「特殊から普遍への巧まざる跳躍」より後の文中から「特殊」「普遍」の意味するものを同定しようとした。次にこれを、前の文中から考える。
 実は先に「このこと」が何を指しているか、という問いに「腕を失うこと」と短く答えさせたのはミスリードだ。前の部分から皆の目を逸らそうとしたのだ。
 では正確には「このこと」とは何を指しているか?
 丁寧に言うなら「このこと」とは「よりよく国境を渡っていくために、そしてまた、よりよく時代を超えていくために、腕を失ったということ」もしくは「腕を失うことによってよりよく国境を渡っていくこと、よりよく時代を超えていくことができるようになったということ」である。
 これが「特殊から普遍への巧まざる跳躍」だと述べられているのだから、「普遍」とはすなわち「国境を渡る」「時代を超える」ことを意味している。
 では「特殊」は?
 すなわち特定の国、限定された時代を意味しているのである。
 腕があれば或る国、或る時代にのみ受け入れられたかもしれないが、腕を失うことで多くの国、多くの時代の人々に伝わる美しさを得たのである。

 さて、これら前と後の説明をつなぎ合わせよう。
美しい一つの腕をもったヴィーナス像として、特定の国、特定の時代の人々に愛される存在だったものが、腕を失うことで、逆に「存在すべき無数の」腕を想像させる「多様な可能性」を得て、多くの国、多くの時代の人々に受け入れられる存在となった
 これは前回の「語り下ろし」同様、易しくはない。できれば全員に書かせたいところだ。

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