2021年9月12日日曜日

虚ろなまなざし 4 様々な「問題性」

 「暴力的な主体化」という表現を解釈するために、文中に現われる「主体」「暴力」といった表現を追ってみた。それらは単一の解釈を容易には成立させてくれない。


 まず「主体化」という名詞が「主体になる/主体にする」という二つの解釈の可能性に分岐し、それぞれの主語と目的語が2つずつ考えられることから、4つの解釈ができると先に述べた。

 だが「AがBを主体にする」ことは「Bが主体になる」ということだから、実はこの「なる/する」は裏表で一つと考えられる。となると問題は主語の二択だ。

 そしてどのような行為の「主体」なのかという点で「語る/行動する」という解釈の分岐の可能性が見えてきた。

 となると主語の二択と行為の二択で、組合わせはやはり4通りだ。

①「それ」が私たちを語る主体にする

②「それ」が私たちを行動する主体にする

③私たちが「それ」を語る主体にする

④私たちが「それ」を行動する主体にする

 このうち④はどのような事態なのかを想定することはできない。したがって、実際に考えられる「主体化」の分岐は①~③の3つだ。


 さらに「暴力的な主体化の問題性」を解釈する際には次のような問題がある。

 「…問題性とは」に続く部分を段落末まで読んでみる。

 すると「…というだけではない。」というフレーズがある。並列を表わす表現だ。そこに並列されているはずの論点の一つ目は明らかだ。

  • 人を時に死に至らしめるほどの、文字どおりの暴力性

 さらに「というだけではない」というだけではなく、そのあとにまた「と同時に」という語句による並列が示される。

 つまり「暴力的な主体化の問題性」とは、「 A というだけでなく B と同時に C でもある」といっているのだが、この二重の並列をどう整理するか?


 ひとまずは「と同時に」に示される並列を整理してみよう。

B 私たちが恣意的に投影した私たちの声が「それ」の声となってしまうことで、もしかしたら、そうではないかもしれない、ほかのさまざまな声の可能性を抑圧してしまう

C 私たちが被害者として同一化することで、もし、私たち自身が加害者であった場合に、その加害性を都合よく隠蔽することにもなってしまう


 「というだけではない」の前の部分をAとし、上記BCの抽象度を高めた表現を考えて、並べてみる。


A.文字どおりの暴力性

B.少女の声の可能性の抑圧

C.私たち自身の加害者性の隠蔽


 さて、これらABCの「問題」は、どのような関係になっており、それは「暴力的な主体化」とどのような関係になっているか?


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