2021年7月21日水曜日

身ぶりの消失

 「近代/非近代」という対立構造で文章を読む練習として、2011年センター試験出題の鷲田清一「身ぶりの消失」を読む。鷲田清一は去年のテストや、今年度に入ってからも「ぬくみ」で読んできた。


 だが対比のラベルは「近代/非近代」では抽象度が高すぎて、いろいろな要素が入りすぎる。

 「する/である」も、シンプルなのは良いがやはり多くの要素、複数の面があって使いにくい。丸山真男は単純な近代批判をしているだけではない。丸山の近代批判的論旨が現われているのは「過近代」的問題を扱った部分だ。

 使いやすい対比は「均質な/感性的な」だ。ここに「幻想的」を加えてもいい。ただ用語が、言葉の意味合いから直ちに捉えられるというわけではないので、柄谷の論の主旨が適切に把握されている必要がある。とりわけ「幻想」が把握しにくいことは確認した。

 その上で、この対比構造は様々な文章を読解する上で強力な手がかりになる。スケッチや撮影の構図を決める時のグリッド線のようなものだ。


 さて、どう読解するか?

 読解という行為自体を自分の判断で行うべきではある。「わかる」に向けて何をどう考えるか、それ自体が問題だ。

 その一つの方法として、また授業における考察の交換の便を図るため、こちらで分析の方向を指定した。文中の具体例の対比を確認し、それぞれが「均質/感性」図式にあてはまることを読み取ろう、というものだ。

 この文章内での具体例の対比は大きく言って3組半ある。

 半?

 挙げてみればわかる。


 まず一つ目は次の対比。

バリアフリーの空間/古い木造民家を使用したグループホーム

 実際には文中にこうした形で切り取れる表現が並んでいないので、こちらでこれらを対比として取り立てないと、こうした対比構造が見えてこない。

 この対比が、どのようにして「均質/感性」という対比の構図に対応すると考えられるのか?


 直ちに指摘できるのは「バリアフリーの空間」が「抽象的な空間」と表現されていることだ。「場所と経験」の中で「均質な空間」で経験することは「抽象的なもの」だと表現されていた。

 これに対して「木造民家」の方が「感性的」だというために、どんな表現を取り上げれば良いか?

 「木造民家」でのふるまいは「からだで憶えている」という表現がとりあげるには適切だ。「抽象的」が「頭でわかっている」ということだと考えれば、対比は明確。

 だがすんなり腑に落ちにくいのは「抽象的な空間」に「人体の運動に合わせた」という形容がついていることだ。対比の両辺に「からだ=体」が出てきてしまう。どういうことか?


 これも「人体の運動に合わせた」と対比的な要素を右辺に設定しよう。これもまた明示されていないので、こちらが文中から読み取って対置する。

 どこのクラスでも、「物や他者との関係」が対比的な要素として挙げられた。これが「人体の運動に合わせた」と対比的であるとすると、その時イメージされる「人体」とは、文中の言葉で言えば「単独の」「孤立」した人体だということになる。

 つまり「バリアフリー」とは「単独の人体の運動」にとって「自由」だということだ。とすると、むしろ「物や他者との関係」を「からだで憶えている」ような場所=感性的な空間では、人はむしろ制約がある=不自由だということになる。


 二つ目に挙げられる対比は「遊園地/原っぱ」である。

 これは「特定の行為のための空間/行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインする」という対比として語られる。「ではなく」で対比が明示されているから、ここは見つけなければならない。「あらかじめ/創っていく」という対比もみつかる。

 さて、「行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインする」は「物や他者との関係」の変奏であることを見てとることが可能だ。

 だが「特定の行為のための」がなぜ「抽象的」と結びつくのか?


 三つ目の具体例対比は「ホワイトキューブ/工場」である。

 ここには「抽象的/物質的で具体的」という明確な対比が読み取れるから、「均質/感性」の対比に対応させることは容易だ。

 だがやはり腑に落ちにくいのは、「工場」が「明確な特性」をもっている、と言っていることだ。左辺に「特定の行為のための」があり、右辺に「明確な特性」がある。紛らわしい。


 三つ半とは、左辺に置かれるべき「現在の住宅」が、一つ目の「木造民家」と対比的だからである。

 ここでは「現在の住宅」の「目的によって仕切られてしまった」という説明が、「遊園地」の「特定の行為のための」の変奏であることが見てとれる。


 ここまで以下の三つ半の対比が「均質/感性」の対比に対応することを確認してきた。

バリアフリーの空間/古い木造民家

      遊園地/原っぱ

 ホワイトキューブ/工場

    現在の住宅/古い木造民家


 だが「工場」は「使用規則・行動基準」が「キャンセルされている」と語られているのに「木造民家」は「キャンセルされていない」という。

 また、上で確認したとおり、「木造家屋」は「不自由」だが、「原っぱ・工場」は「自由」だ。

 同じ右辺なのにこうした不整合をどう考えたらいいのか?


 ここがこの文章の最大の考察しどころなのだが、簡単に結論を言おう。

 「特定の行為のための」は「目的によって仕切る」であり、それこそが「使用規則・行動基準」である。これらがなぜ左辺「均質な空間」の特性なのか?

 このことは「場所と経験」を参照するとわかりやすい。

 柄谷は均質な空間で経験したことは「たんに経験したような気になっているに過ぎないので、だからこそ意味づけが性急に要求される。」と述べる。

 この「意味づけ」こそ「特定の行為のため」であり、「目的によって」であり、「使用規則・行動基準」である。

 つまり「抽象的」な「バリアフリー」の空間こそが「意味づけ」を要請するのである。無限定な「自由」は、逆に制約=不自由を自ら必要としてしまうという逆説的な事態に陥るのだ。ここが「場所と経験」が他の文章の読解に有効活用できる最も重要な点だ。

 逆に「物質的で具体的」な空間=「感性的な空間」では、人はその「手がかり」を元に行為を「創っていく」。それこそが、その空間が「感性的」に把握されているということだ。そこでは「意味づけ」は不必要な制約だ。それがない「原っぱ・工場」こそ「自由」である。

 左辺の「バリアフリー」の「フリー」と右辺の「自由」の違いは、このように理解される。


 では右辺の「使用規則・行動基準」とは何か?

 これは「物や他者との関係」によって決まっている「からだで憶えている」ふるまいのことだ。これが「感性的な空間」の「歩いたことがあるから場所を実質的に感ずる」に通ずることはわかる。

 だがそれだけではなく、ここには「幻想的」な意味合いも含まれている。

 柄谷の言う「幻想的」とは「感性的=物質的」に対する「非物質的=観念的」という意味合い以上に、「感性」=個人/「幻想」=共同体という要素が重要であることは以前解説した。「木造民家」におけるふるまいを決定しているのは「物」でもあるが、「他者」でもあるのである。「和室の居間で立ったままでいることは『不自然』である」という一節は、「幻想的」の意味合いを説明するために柄谷が言及した「タブー」と同じく、そうした感受性が共同体の習慣に根ざしていることを表わしている。

 そしてこれが後半で語られる「文化」にも通じることを読み取ってほしい。「文化」とはまさしく、共同体の成員に共有された「幻想」でもある。


 このように「均質/感性/幻想」という三項対立は、多くの文章の問題を読解する上で強力な枠組みとして参照が可能である。

 だが現実の空間が、こうした「均質な/感性的・幻想的」という構図のどちらであるかを論ずることは生産的ではない。

 例えば学校という空間はどちらか?

 現実にはどちらの要素も含んでしまう。「学校」という空間は間違いなく近代において設立した「均質な空間」である。だが、現実の学校は、そこに生活する子供たちにとって「感性的」であり、「幻想的」でもある(まさに幻想的な空間としての「校長室」があるように)。

 つまりこの対比は、世界観の対比であり、それをどのようなものと見なすかという考え方の枠組みの対比なのである。

 そのような、考えるための補助線として強力な武器となる対比なのだ。

2021年7月14日水曜日

「近代」という問題

 「無常ということ」「場所と経験」に共通する、左右の対立とは何か?


 これは何のことやらわけのわからない問いに感じるかもしれない。漠然としてとっかかりがつかめない。

 だがこのように訊くことの必然性があるのだ。

 それは、この対立が初めて触れるものではないからだ。


 対立的な対比といえば、皆の頭に最も想起されやすいのは「である/する」という対比だろう。

 また?

 冗談ではない。そうなのだ。

 だがそもそもこの対比は何の対比だったか?


 また例えば「過去から未来に向かって雨のように伸びた時間」を「均質な時間」のことだと言ったとき、連想されるものはないだろうか?


 内山節の「不均等な時間」である。この題名に覚えはないだろうか?

 この文章における対比のラベルは、題名から素直に導き出せる「均等な時間/不均等な時間」である。


 これらの対比は、どんな対立を示しているのだったか?


 ここで「近代/非近代」という対立構造が想起できた人は素晴らしい。

 昨年度の「『である』ことと『する』こと」から「南の貧困/北の貧困」へつなぐ読み比べ、今年度に入って鷲田清一から斎藤環、平野啓一郎へつなぐ読み比べでも、問題は常に「近代/非近代」だった。

 そして柄谷行人も小林秀雄も、同じことを問題にしているのだ。


 近代は「均等な時間」を成立させた。時計の刻みにしたがって、速さも濃度も一定の時間が流れていく。

 だが本来、我々が生きているのは「不均等な時間」だと内山節は言う。時間はその中身によって速かったり遅かったり、部分的に濃かったり薄かったりする。それが自然の、また人間の生の営みの時間なのだ。

 これはそのまま、柄谷が空間について言っていることと同じだ。我々が住んでいるのは地図のように均質な空間ではない。小さな円同士はつながることなく点在する。間には何だか怖い場所がある。通ってはいけないタブーの地もある。

  均質な空間/感性的な空間

記憶・解釈する/思い出す

     する/である

  均等な時間/不均等な時間

 これらはどれも左辺を、近代に成立した世界観だとみなすことができる。小林の「蒼ざめた思想=現代における最大の妄想」はそうした近代的世界観を激しく糾弾している。

 そしてそれに対立する右辺こそ本来の在り方であり、またそれを志向する姿勢だというのだ。

 みんなそのことを言っている。


 丸山によれば「近代化」とは端的に「する」化である。「『である』ことと『する』こと」は「する/である」を様々な変奏によって対比するから、ここでそのうちのどれを取り上げるかに迷うが、小林、柄谷、鷲田、斎藤、内山らに共通する「である」価値と言えば「かけがえのない個体性」だろう。

 みんな、その重要性を、その喪失の問題を語っているのだ。

 近代化による「する」化は、逆に全てのものを交換可能にする。「交換可能」と「かけがえのない」は文字通り対義的だ。

 ここに斎藤環の「全てが偶然教」を付け加えてもいい。

 そうした世界では「キャラ」が必要とされる。

 これが「意味づけ」であり「解釈」である。内山ならば「経済価値」であり、丸山ならば「機能」だ。

 全てが均質の世界で、交換可能になったものたちには、「意味づけ」が必要になってしまうのである。鷲田清一も「ぬくみ」の中で、現代の社会では「資格」「条件」が必要だ、と言っていた。

 みんな、そのような世界観と、そこで行われる「意味づけ」を拒否する(丸山真男と平野啓一郎はそれぞれ別な動機で、必ずしも他のメンバーとは軌を一にしていない)。


 こうして、昨年度の年明けから今年度にかけて読んできたいくつもの文章が、「近代批判」もしくは「近代への反省」という文脈で共通していることが一望できた。

 これは世界中の様々な分野で提起されている問題であり、多くの評論文に共通するモチーフである。

 そうした認識が、読むための「枠組み」として有効であり、世界を視るために必要なのだ。


「無常ということ」と「場所と経験」

 「無常ということ」と「場所と経験」を読み比べる。

 もちろん思考のガイドとなるのは、それぞれの文章の対比図である。

 どのように照らし合わせると、どのようなことが「わかる」のだろうか?


 「場所と経験」では、結局「感性的/均質な」という対比に重心が移って文章が閉じられることを確認した。この主要な対比を「無常ということ」の対比と比べてみる。

 個々の表現の印象の類似性もあるだろう。「意味づけ」と「解釈」が似ていることを指摘する声があちこちから聞こえたが、これこそ最も重要な対応なので、その類似性が感じ取れているのはとても好ましい状態だった。


 だが一方で解釈はいかようにでも変えられる、ということもある。「子どもらしい」という形容が肯定・否定、どちらのニュアンスでも解釈できてしまうように。小林秀雄の文章がそもそも「解釈」の不安定性を批判していた。

 だから表現の印象の類似性にも目を配りつつ、対比全体の構造を比較する。

 すると、次の「場所と経験」の対比と「無常ということ」の対比の左右がそれぞれ対応していることがわかる。

 この対比の左右が揃っていると見做せるのはなぜか?

 どちらの文章でも、左辺を否定して右辺を推しているからである。


 こうして並べてしまえば、あとはいかようにも言える。上の配置図に挙げられた表現をつかって、二つの文章をこんな風にコラージュしてみよう。

 柄谷が、自分が直接に見たものの「リアリティ・切実感」からしか「真の知識」は得られないのだというように、小林は、「心を虚しくして思い出す」ことでしか、我々を「動物的状態」から救う、美しい「常なるもの」は見い出せないのだと言っているのである。

 「新聞やテレビ」で知った「国際的」な事件は、多くの歴史家の頭を充たす、歴史についての「記憶」と同じものに過ぎない。そうした経験に我々は「意味づけ」をして、「もっともらしさを確保する」ように、現代人はそうした歴史の記憶を「解釈」してわかったつもりになるのである。

 「解釈を拒絶して動じないもの」こそ「真の知識」であり、そうした認識にいたった鷗外や宣長こそ、歴史の魂に推参した「文学」に到達したのである。柄谷が「生きた他者」からしか「人間」について知ることはできないというように、小林は「死んだ人間」こそが「まさに人間の形をしている」というのである。

 「生きた他者」=「死んだ人間」!


 小林の「生きている人間」を柄谷の「生きた他者」と結びつけてしまうと、対比の対応関係がまるで逆転してしまう。「死んだ」と「生きた」こそが対応しているのだと納得するためには、文脈の論理を捉える必要がある。

 「生きた他者」=「死んだ人間」とすると、両者の共通点は何か?

 「どちらも~」と言い出してみて、続く言葉は何か?


 両者の共通点を積極的に言うことは、実は難しい。こういう時には対比の考え方を使う。対比される側に「ではなく」を付けるのだ。斎藤環のいう「否定神学」だ。

 両者はどちらも、こちらの解釈=意味づけを拒むものだ。

 こうした意味合いは、言葉のニュアンスからも捉えられる。

 例えば評論を読む際に必須の認識として、「他者」という言葉は単なる「他人」の意味ではなく、「こちらの解釈を拒絶する存在」を意味していることを知っておく必要がある。そうした認識があれば、「死んだ人間」こそ「生きた他者」であるという奇妙にねじれた帰結をも受け容れることができる。


 柄谷を経由して初めて、小林の「解釈する」と「記憶する(だけ)」が、同じように「思い出す」の対比として並列されるわけが納得できる。

 柄谷は言う。

われわれは日々多くのことを経験しているが、そのほとんどはたんに経験したような気になっているにすぎないので、だからこそ意味づけが性急に要求される。事件が不可解だからではない。意味づけることで、もっともらしさを確保したいからにすぎない。

 これは「頭を記憶でいっぱいにしている」「多くの歴史家」こそが「歴史の新しい解釈」という罠に囚われてしまう事情を端的に述べている。

 そしてその「解釈」と「意味づけ」こそ、小林と柄谷が厳しく拒否しようとしているものである。


 こうした対比によって、「無常ということ」でも最大の謎といっていい「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」について、ようやく考えることができる。

過去から未来に向かって飴のように延びた時間

を柄谷の文章で翻訳すれば

ここからあそこに向かって地図のように伸び拡がった空間

とでもいうことになる。

 これは端的に柄谷「均質な空間」にならって「均質な時間」のことなのだ。

 数直線上に均等に配置される史実によって成立する歴史、というイメージこそ、柄谷の言う「地図のように均質な空間」でさまざまな出来事が起こるこの世界、というイメージに重なり合う。

 つまり、「場所と経験」の「場所=空間」を「時間」に置き換えたものが「無常ということ」なのである。


 結局これらの文章は何が言いたいのか?


 柄谷は、世界を「均質な空間」だと捉えているだけでは、そこでの経験を擬似的なものとしてしか受け取れないといい、小林は、数直線上に並んだ歴史を「記憶するだけ」では、「常なるもの」を見失った「動物的状態」から逃れることはできない、と言っているのだ。

 あるいは、柄谷は、出来事を「意味づけ」をしてわかったつもりにならずに「生きた他者」を見ることでしか「真の知識」を得ることはできないと言い、小林は、歴史を「解釈」してわかったつもりにならずに、ただ「心を虚しくして思い出す」ことでしか「常なるもの」は見い出せない、と言っているのである。

 こうしたまとめも、基本的には先ほどのコラージュの変奏だ。


 ただしこれをきいて「ああなるほど」と思うことはまるで無駄だとは言わないがそれほど意味のあることではない。

 それよりも自分でやってみることだ。それをやってみることによって、これらの文章の言っていること、筆者の考えていることが血肉化される。


2021年7月9日金曜日

無常ということ 5 本文の主旨

 全体の対比をとり、考察の必要な受け取りにくい「部分」に考察を加え、さてでは小林秀雄はこの文章で何を主張しているのだろうか?

 それは明らかになったのだろうか?


 対比を整理することは、文章の、思考の論理を整理することだ。

 対比構造を対立項毎に左右に振り分けて、その差違線から輪郭を明確にするとともに、左右それぞれの領域を通観することで、そのまとまりも意識しよう。

 縦に並んだ両辺のグループをひとつなぎに関係づけられるだろうか?







 それぞれをつなげてみる。

左辺

現代人は、多くの歴史家のように頭を記憶でいっぱいにして、歴史を新しく解釈することに汲々とした挙げ句に常なるものを見失って、一種の動物にとどまっている。

右辺

鷗外や宣長のように、心を虚しくして巧みに思い出すことによってしか、解釈を拒絶して動じない常なるものを見出すことはできない。

 つまりこれは全体の趣旨を要約しているわけだ。

 これでかなり全体を俯瞰することができた。だがこれでもまだ、必ずしも「わかった」という実感、いわゆる腑に落ちるという感じに繋がるとは限らない。

 例えば「思い出す」とはどういうことか?

 それが小林によって推されていることはわかるが、それがどのようなことであるのかは自明とは言い難い。言葉としてあまりに日常に埋没しているがゆえに、ここで特別な意味を担わされているらしいこの言葉の意味をうけとりかねるのだ。

 一方で「思い出す」の対比として「解釈する」と「記憶する」が並置されているのはどういうわけか?

 一般に、「解釈する」とは対象への主体的な対峙であり、「記憶するだけ」にはそうした主体性を抑制した客観的な態度である(ような感じがする)。むしろ「解釈する」と「記憶するだけ」こそ、対立した概念ではないのか。にもかかわらずどうしてこれらが同じく「思い出す」に対置されるのか?


 こうしたことを考えるのは、もう「無常ということ」の内部では限界である。内部の論理の整序による読解だけではこれ以上は先に進めない。自家中毒的な「迷路」に迷い込むばかりだ(「美学」の意味がこの文章内では決定できなかったように)。

 文章内の構造分析は、必ずしも「わかった」という実感を保証しはしないのだ。

 いや、むろんあるレベルでは、こうした対比構造の把握をする前よりもよほど「わかった」という実感はあるはずだ。「わかる」という感覚は常にある段階での、その前の段階との差異によって訪れる感覚だ。「場所と経験」を「幻想的/感性的/均質な」という構造に整理することも、「無常ということ」を「記憶・解釈する/思い出す」という構造に整理することも、あるレベルでの枠組みに情報を当てはめる=理解することに成功しているのだとは言える。

 だからその先、である。


 授業者にとって、次の段階の「わかる」という感覚が訪れたのは、「無常ということ」と「場所と経験」、二つの文章が同時に意識に上ったときである。あるとき、二つの文章が主張していることは同じだ、と突然気付いたのだ。その途端、両者が「言いたいこと」の感触がにわかにはっきりしたものになった。これは、後で考えたところによれば、二つの文章が、互いに枠組みとして機能したのである。

 この感触は一瞬にして訪れたのであり、それを自覚的に跡付けることも、他人に説明することも、その一瞬の正確な再現ではない。しかし、それを他人向けに図式化して言語化することが、自分自身にとってもそれ以上の考察を可能にする。

 授業という、一人で思考するのとは違う「場」が、こうした考察を可能にする。


2021年7月8日木曜日

無常ということ 4 「美学」2

 この部分の解釈には個人的な思い出がからんでいる。

 「無常ということ」が長らく教科書に載り続けている文章で、前述の通り授業者もまた高校生のときにこれを授業で読んだ。この部分の解釈にまつわる不一致は、実は高校生の時の授業者の体験に基づくのである。

 どこまでも神妙に授業を受けていたとは言わないが(しばしば授業とは別の本をこっそり読んでいた。国語以外の教科の授業はむしろ寝ていた)、国語の授業の内容は比較的追っていたと思う(起きていたので)。

 そして、この部分について先生が語る解説に違和感を覚えたのだった。

 何がどう違っているかはわからないが、その違和感は看過しがたく、遠慮がちにそのことを表明してやりとりするうち、かろうじて先生の説明と自分の解釈が食い違っているらしいことがわかってきたのが問③のEFだった。

 授業1時限費やしてもこの議論は決着をみなかった。そうして、授業担当の先生も当時の授業者も、意見を変えることなく終わるしかなかった。

 この理由は、つまりこの問題に「正解」がない、つまりどちらかを「正解」とする根拠が、この文章からは導けないということだと現在の授業者は考えている。

 最初から「正解」はない、と言っているのはそのためだ。

 ただ、この授業の担当教師は、年度末の最後の授業でこの事件に触れて、授業の内容に質問を投げかけてくることさえ稀なのに、まして先生の言うことは違っているなどと言ってくる生徒は本当に珍しく、面白かったと言った。その柔軟な姿勢に心を打たれた本授業の担当者もまた、生徒からの異論反論を心から歓迎するものである。どうか曖昧に飲み込むことをせず、授業で感じた違和感を表明してほしい(その異論を容赦なく叩き潰してしまうようなことは控えるよう心がけよう)。


 それ以来、自分で授業をする中で生徒と考えているうち、問①②についても、排他的な選択肢の形で示される解釈のバリエーションがあることに気づいて、論点としてとりあげてきた。

 長い議論に寄り添った経験からすると、これらの選択肢はいずれも、それ自体では、明確な根拠を挙げてどちらかを否定することができない。それをただ否定しようとする議論は拙速に終わる。思い込みを排して考え直してみると、決定的な否定の根拠は驚くほど存在しないのだ。したがって、全体として整合的な解釈を提示することで個々の選択肢の妥当性を支持する、という形でしか議論できない。


 議論をすればするほど、ある意味では理解が深まる。同時に議論すればするほど、結局わからなくなる、とも言える。

 それほどに、この部分の解釈はすっきりと腑に落ちることがない。

 ただ、選択肢にした問いのうち、③だけは結論を決定できる。

 だがそれは、この文章内の情報では不可能である。その意味では①②と変わらない。

 ③についての結論はEである。だがそうだと言いうる根拠はこの文章の論理にあるわけではなく、例えば「無常ということ」という連作の別の文章、「当麻」の次の一節に拠る。

僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何の疑はしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」 美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩す現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遙かに微妙で深淵だから、彼はさう言ってゐるのだ。

 この中の〈美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。〉はとりわけ人口に膾炙した一節で、よく引用される。

 ここからは次の対比が抽出できる。

「花」の美しさ/美しい「花」

     観念/肉体

 そしてここに書かれていることは「無常ということ」にそのまま通じている。「解釈する/思い出す」の対比である。

 つまり、「美学者」はありもしない「観念の曖昧さに就いて頭を悩ま」していて、それは「化かされている」ということなのだ。「無常ということ」の「多くの歴史家」である。

 とすれば、小林が「美学には行きつかない」というのは、E「行くつもりがない」ということなのだ。

 30数年前の先生はこのことを知っていたのだ。だがF「行き着けない」という意味で解釈していた授業者には、その説明は受け容れ難いものだった。

 だが今ではEの解釈の妥当性を認める気になっている。

 これはつまり他の文章を読むことによって得た小林の「美学」に対する見解が枠組みとしてはたらくことではじめてEの解釈の確からしさが保証されるということだ。だからFの解釈に整合性を持たせる①②の解釈は、それはそれで可能なのである。筋が通ってさえいれば、それを不正解などとは言えない。


 その上で③をEとして、そこへ向かっていく論理を構築する。

 現在の授業者の納得はBCEである(この支持者はどこのクラスでも少数派もしくは皆無だった)。

 「子どもらしい疑問」がB「幼稚で取るに足りない下らない疑問」だから、自分は「迷路」に押しやられる。ただ、その疑問の元になっている「美学の萌芽とも呼ぶべき状態」=C「美しさをつかむに適した心身のある状態」には「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」。だから「押されるままに、別段反抗しない」。

 つまりCで解釈する「美学の萌芽」こそ「上手に思い出す」ことができている「状態」である。

 だが、「美学の萌芽」とも呼ぶべき状態への信頼と、「美学」という行為は別なのだ。「美学」は、そうした「状態」を観念によって分析しようとする。それが「迷路」だ。そんな「化かされている」ような連中に筆者は与するつもりはない、と宣言しているのがE「美学に行きつくつもりはない」というわけだ。

 となると「美学/美学の萌芽」という対立は「解釈する/思い出す」の対立に連なっているということになる。


 この部分はまだ小林自身が手探りで論を進めているところで、対比すら明確ではないから、唯一の正しい解釈には「行きつかない」し、それは全体の解釈にとってどの程度重要かもわからない。

 だがこの授業展開は毎度盛り上がる。

 それは決して無駄なエネルギーの浪費というようなことではない。

 学習とは議論の過程そのものであり、結論を知ることではないのだから、議論によって思考が活性化している状態でありさえすればいいのだ。


2021年7月6日火曜日

無常ということ 3 「美学」1

 さて、「部分」の解釈をもう一箇所。

 本文第三段落後半は、全体として「わからない」この文章中でも、最もモヤモヤが集中する部分だ。

あれほど自分を動かした美しさはどこに消えてしまったのか。消えたのではなく現に目の前にあるのかもしれぬ。それをつかむに適したこちらの心身のある状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかもしれない。こんな子どもらしい疑問が、すでに僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見つけ出すことができないからである。だが、僕は決して美学には行きつかない。

 ここに感ずるモヤモヤを分析し、解決ができそうか検討してみる(先回りして言ってしまうと、実は結局解決しない。それでも構わない。解決が目的なのではなく、そこを目指した考察と議論が目的だからだ)。


 問題点を抽出し、分析し、妥当性を検討する考察にはいくら時間があっても足りない。

 なおかつ解決できる見通しがあるわけでもないので、議論は時間的に限界を決め、まず論点を整理して提示する。

 この部分からは「子供らしい疑問」「途方もない迷路」「美学の萌芽」あるいは、なぜ「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」のか、なぜ「できない」ことが「別段反抗はしない」の理由になるのか、といった数々の疑問が浮かぶ。

 重要なことは、これら一つ一つの問題箇所を個別に説明しようとする問いは有効ではないということだ。例えば「美学の萌芽」とはどういうことか? といった形で問いを立てても、結局決着点が曖昧だから思考を集中しにくい。

 「どういうこと?」という問いは基本的に「正解」をもたない。説明という行為自体が本来、問う側と答える側のコミュニケーションでしかないからだ。

 だからここではむしろ排他的な選択肢のある問いの形が思考を活性化させる。もちろん、答えがどちらであるかが重要なのではないことを常に思い出しながら、とりあえず結論に向けて目も耳も口も頭も総動員するのである。

 そしてその選択肢のどちらを選ぶかが、上記の疑問についての考察を押し進める強制力になればいい。


問①「子どもらしい疑問」とは次のどちらのニュアンスに近いか。

 A 「純粋で無垢な疑問」という肯定的ニュアンス

 B 「幼稚でとるに足りない下らない疑問」という否定的ニュアンス


問②「そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態」とは次のどちらを指しているか。

 C 美しさをつかむに適したこちらの心身のある状態

 D 「子どもらしい疑問」によって迷路に押しやられている状態


問③ 末尾「だが、ぼくは決して美学には行きつかない」とは次のどちらのニュアンスに近いか。

 E 美学に行きつくつもりはない

 F 美学には(行きつきたいけれど)行きつけない


 これらは問うてみると、必ず見解が分かれる選択肢だ。その組み合わせを考えると、単純には2の3乗で8通りだ。教室の雰囲気が付和雷同に流れなければ、本当に皆の立場は8通りに分かれる。

 そしてそれぞれが納得のできないわけではない、といった解釈を成立させているのである。


 問①「子どもらしい疑問」ではまず「こんな」と指示されている部分がどこなのかも問題になるが、これはまあ前の4行全体を指していると考えればいいか。

 その上で筆者を「途方もない迷路」に「押しや」る「子どもらしい疑問」は肯定的なのか否定的なのか?

 例えばA肯定的と考える根拠は「押されるままに別段反抗しない」からだ。

 だがそうして押しやられる先は「迷路」だ。これが否定的な比喩であるとすれば、そこに自分を押しやる疑問も悪いものに違いない。とすればBだ。

 つまりAであることもBであることも、それなりに妥当性の根拠は挙がる。

 となれば、後に続く論理をどう構築できるかという問題だ。


 問②の「そういう」は「美学」にかかっているわけではない。前の部分で「美学」が何を指しているかがわからないからだ。したがって「そういう」は「状態」にかかっていると考えるべきだろう。

 つまり「そういう『美学の萌芽』とも呼ぶべき状態」だと読めるのだが、では何を指して「美学の萌芽」と呼んでいるのか?

 「そういう」という指示語が、直近の文脈を受けていると考えるのはごく自然な読解作法だから、まずはDの解釈が発想されるはずだ。

 Cの解釈は、もう少し文脈を広く把握しようとしたときに「状態」という語の共通性から発想される解釈の可能性だ。

 ここでも既に両説の妥当性の根拠が挙がる。

 となればどちらが「美学の萌芽」と呼ぶべき状態なのかを論理づける解釈が必要だということになる。

 ある解説書では「美学の萌芽」を次のように説明している。

自分の美的経験に関する素朴な疑問と考察は、哲学的体系との整合性に配慮しつつ論理化された学問としての美学ではないが、美学とその出発点は同じくしているということ。

 何を言っているかよくわからないが、「素朴な疑問と考察は」とあるのは、Dと解釈しているということだろう。

 「ぼくは(迷路に)押されるままに、別段反抗はしない。」ことの理由として「美学の萌芽」に「疑わしい性質を見つけ出すことができない」と述べられているわけだが、Cに「見つけ出すことができない」のと、Dに「見つけ出すことができない」では、どちらが「反抗しない」ことの理由として納得できる論理を形成するか?


 問③のEでは「美学」が否定的なものとして捉えられ、Fでは逆に肯定的なものとして捉えられている。

 「美学の萌芽」が「疑わし」くないから「美学」も信用されるべきなのか、「萌芽」は「疑わし」くないが、「美学」は「疑わしい」のか。論理的にはどちらも可能だ。したがって、まだEともFともわからない。


無常ということ 2 考証家に堕す

 全体の構図が見えてきたところで「部分」の解釈をする。


 「鷗外・宣長/多くの歴史家」という対比は意識的に並べなければ、文中では対比的に配置されているわけではない。むしろその近辺では「考証家」がどちらであるかをめぐって議論が繰り広げられたりする。

 そこでその一節について「部分」的な読解をする。

歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映ってくるばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられるような脆弱なものではない、そういうことをいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鷗外が考証家に堕したというような説は取るに足らぬ。あの膨大な考証を始めるに至って、彼はおそらくやっと歴史の魂に推参したのである。

 上記の「晩年の鷗外が考証家に堕したというような説は取るに足らぬ。」とはどういうことか?


 まずは「考証家」の意味を確認したくなるだろうし、「堕した」と「取るに足らぬ」で表現された論理をたどる必要はある。

 誰かが晩年の鷗外を「考証家」と呼び、それは「堕落」だと言っているのだ。そして小林はそれを「取るに足らぬ」と切って捨てる。

 すると、明らかにすべきなのは次の2点だ。

 「考証家に堕した」と評されるような鷗外の晩年の活動がどのようなものであるか?

 「晩年の鷗外が考証家に堕したというような説」を唱えているのは誰か? またそれはどんな意図によるものか?


 晩年の鷗外が歴史小説に傾斜していったことは、外部的な知識として補う必要はある。それは「場所と経験」にとっての「共同幻想」などと同じく、この文章の当時の読者にとって常識だが、現在の高校生にとっては知っている方が特殊であるような知識だ

 だがそれがどのような小説なのかは、この文章の論理から明らかにされなければならない。


 「誰か」については二つの可能性が考えられる。

  1. 小説家や文芸批評家や小説読者など、「文学」畑の人
  2. 歴史学者や歴史愛好家など、「歴史」畑の人


 文学畑の人だとするとその潜在的な対立項は「考証家/小説家」だろうし、歴史畑の人だとすると「考証家/歴史家」だろう。授業者は1を想起していたが、かつての生徒から提起された2の案でも論理は成り立つ。両方考えてみよう。


 ここでも、「部分」の解釈は「全体」の把握と相補的だ。「記憶・解釈する/思い出す」という対比に基づいてここを解釈するのだ(だが、この対比が既にこの「部分」の解釈の結果として抽出されたという側面もある)。

 少なくとも鷗外の歴史小説がどのようなものであるか、この対比からすれば、「解釈」をしない、史料を淡々と書き写したようなものだということになる。そうした歴史小説を書く鷗外を「考証家に堕した」と評するのはなぜか?

 文学畑の人だとすれば、虚構を創造することこそ文芸の営みだと考え、創作的な要素のない鷗外の歴史小説はつまらないものに感じられる。鷗外氏は「考証家に堕した」のだ。

 この場合は自分たちの文学という営みの方が高尚なものであると捉えられているわけだ。

 一方歴史畑の人が唱えている説だとすると?

 彼らからすれば素人の鷗外氏が、自分たちの畑に入ってきて、やっていることといえばただ史料を書き写してそれを「小説」と称して発表する。そんなものは、自分たちのやっている歴史学からすれば、単なる考証に過ぎないように映る。

 むろんこの人たちにとって「歴史の新しい解釈」こそが高尚な歴史学だということになる。

 いずれにせよ、これらの説は小林にとっては「取るに足らぬ」ものでしかない。史料をただ淡々と書き写しただけに見える鷗外こそ、「歴史の魂に推参した」者が初めてたどり着ける境地なのだ。

無常ということ 1 対比

 「場所と経験」について、対比図を画いて全体の論理構造を捉えても、結局のところ、柄谷がこの文章で言いたいことは何か、というあたりはまだ曖昧である。「腑に落ちた」という状態にはほど遠い。

 これは、先の宿題である「理念」「意味づけ」が「均質」に、「生きた他者」「見たものだけを見たということ」が「感性的」に属するという認識に実感がともなわないからだ。

 作者が何を言いたかったのか、といえば「視たものだけを視たということでしか真の知識は得られない」などということになるが、こんなふうにまとめても、柄谷が何を主張したいのか、さっぱりわからない。

 だが、これ以上「場所と経験」だけを読んでいても、それがわかるようになったりはしない。

 それは、こうした論理構造を当てはめるべき「枠組み・型」が何なのかがわからないからである。


 一方の「無常ということ」は先に一度考察したとおり、そこらじゅうが「わからない」文章だ。

 それをいささかなりと「わかる」に変えるためにできることは、文章内の論理の整理整頓と、外部的な「枠組み・型」へのあてはめである。

 そこでまずは「対比」である。

 だが、いわゆる「論文」の体をなしていないこうした随筆から、明確な対比構造を抽出するのは容易ではない。その困難は「場所と経験」の比ではない(だからこそこの文章が「難解」に感じられるのだし、授業で扱う価値があるのだ)。

 この文章では、文中に明示されている対比をラベルとして設定し、そこにそれ以外の要素をはめこんでいく、というような手順はとれない。

 それでも、人間の思考が何事かの輪郭をそれ以外のものとの差異線に沿って描くことでしか成立しない以上、明示的であれ暗示的であれ、対比構造のない思考はない。

 ここでも粘り強く、文中の対比を捉えてみよう。


 文中の対比は、語義的な解釈で対比であることが判断できることもある。

 例えば「死んだ人間/生きている人間」は語義的に対立している。

 また、「無常/常なるもの」も語義的な対立から対比として抽出できる。

 それだけではなく、「場所と経験」で考察したように、文脈の論理から、対比項目であることを判断できる(しなければならない)こともある。

 例えば「一種の動物」は「生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」という一節からすると、上の対比の右辺に配置される。

 一方、「この世は無常とは決して仏説というようなものではあるまい。それはいついかなる時代でも、人間のおかれる一種の動物的状態である。」という一節からすると、「動物」側に「無常」がこなければならない。

 したがって、何気なく挙げた上記二つの対比は、次のように整列されなければならない。

生きている人間/死んだ人間

  一種の動物/

     無常/常なるもの

 ここにはさらにいくつかの対照的な形容が付されている。

       /動じない・動かしがたい

     脆弱/はっきりしっかり

 しかたがない/のっぴきならぬ

鑑賞に堪えない/美しい

 これらの形容は、はっきりと筆者の姿勢・評価を示している。この文章の主張を探る上で重要な形容だ。


 さて授業では、対比を抽出するにあたって、二つの系列の対比がある、と言った。この二つの系列はもちろん関連しているが、最初から同じ対比軸上に並べていいわけでもない。

 比較的皆が見つけるもう一つの系列の対比として、挙がりやすかったのは次の組合わせだ。

歴史/解釈

 「歴史」がこのように対比的に読めるのはわからないでもない。

 だが「解釈」は「解釈する」という動詞になる、つまり行為だが、「歴史」はその対象となる観念だ。これを対比として並べるのは不全感がある。

 したがって「歴史」を現段階で対比のどちらかに置くのは控える。


 ではもう一つの系列の対比とは?

 比較的挙げられていたのは次の対比。

記憶する/思い出す

 これは文脈上は対立であることが容易に見てとれる。ただし語義的には共通性が意識されやすく、対立要素がないから、どういう対比なのかはにわかには腑に落ちない。考察する必要がある。


 この対比にはそれぞれに対応する具体例が挙げられる。

 文末から挙げられるのは次の対比。

現代人/なま女房

 そして「記憶する」のは「多くの歴史家」だ。この「具体例」には対応する例が文中から指摘できる。「鷗外・宣長」である。

多くの歴史家/鷗外・宣長


 この対比が取り出せた人は広い視野と強い論理把握力がある。

 鷗外も宣長も「歴史の解釈」をしなかった人たちだ。したがって、対比の左辺に「解釈する」が配置されることになる。

 すると「思い出す」に対して「記憶する」と「解釈する」が並列的に対比されることになってしまう。

  記憶する=解釈する?


 これを納得するためにはどう「解釈」したらいいのだろうか?

 これが「無常ということ」を読解する一番のポイントである。


 さて、「解釈」が配置されたことで先ほどの「歴史」をどう考えるか?

 つまり次のような対比になっているのである。

歴史を解釈する/歴史を思い出す

 したがって「歴史」それ自体はニュートラルな語句としてもまずは捉えておこう。

 「歴史」は、「場所と経験」の「経験」「人間」「知識」のように、対比軸の一方にのみ属するのではなく、それを軸のどちらかに置く条件や形容が対比的なのだと考えよう。

 もちろん、こうした対比図が完成した後では、「歴史」を、その本質において右辺に属するものとして小林が捉えているのだと考えてもいい。六段落における「歴史」などはほとんどそうした意味で使われている。そこだけを見ると確かに「歴史」を右辺に属するものとして主張したくなる。

 だが「歴史」は、さしあたってそれをどう捉えるかという問題意識の対象となっていると考えるべきである。

 柄谷の「知識」も「人間」も、対比が明らかになった後には、柄谷がどちら側に置きたいかは明らかになっている。小林の「歴史」もそうなのだ。


 次の一節は明らかな「ではなく」型の対比を示しているにもかかわらず、どのクラスでも挙がらなかった。

思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんながまちがえている。僕らが過去を飾りがちなのではない。過去のほうで僕らによけいな思いをさせないだけなのである。

 ここが挙がらないのは、「ではない」の前後が揃っていないからだ。対比させるには、両辺を揃えなくてはならない。「歴史/解釈」を、そのままでは対比に取り上げられないのも、概念の位相が揃っていないからだ。「解釈」は「解釈する」という動詞=行為であり、「歴史」はその対象だ。

 上の一節では「ではない」の前後で、主語と目的語が入れ替わっている。これをどちらかに統一して、その述語をとりだしてみる。主語は「僕ら」と「過去」とどちらがいいか?

 これは、全体の対比の構図を想定すればいい。「記憶する・解釈する/思い出す」の系統である。つまり「僕ら」である。

 それでも単に受身形にして「飾りがちなのではない/よけいな思いをさせられない」と並べれば良いというわけではない。まだどのように「対立」しているかがわからない。

 「対立」型の対比は、一方の項に「ではなく」が付加されることが前提されている。「解釈する〈のではなく〉思い出す」のように。

 さらに「よけいなこと」の連想で次の一節が思い浮かべば、それを言い換えに使おう。

 よけいなことは何一つ考えなかったのである。

 ここまで考えれば、上記の対比的一節から「飾る/余計なことを考えない」の対比が抽出できる。

 これは「解釈する/思い出す」の言い換えのバリエーションである。


 さて、これらの二つの系統の対比はどういう関係になっているか?


 左右は意識して揃うように並べてあるが、といって一つの対立軸だとは言えない。それぞれ別の系統だと感じられる。

 しばらく考えていると、これらの関係がわかってくる。後者が前者に対する姿勢・スタンスを表わしていて、前者はその対象の捉えられ方の違いを表わしているのである。

 そしてその接点に「歴史」がある(というとD組K君は、上は「歴史」が主語になり、下は「歴史」が目的語になる対比だ、と表現した。秀逸である)。