このあたりで一度、いよいよ「全体」を捉える考察をする。
といって「問いを立てる」はこの段階でも相変わらず難しい。
「全体要約」も同様に難しい。
いずれも、やってやれないことはないが、やれる人だけやる、ということになりかねない。
ここで全員に課すのは、「全体を二つに分けて、それらがどのようなまとまりなのかを言い表す」という課題である。
といって、どこかの章から、すっぱりと後半になるわけではない。前半と後半の橋渡しをしている章がある。
また、最後の1章は全体のまとめなので、どちらとも言えない。
だがともかくも、前半と後半は明らかにトーンがかわっている。その変わり目はどのあたりで、それはつまりどのような「トーン」だというのか?
これは「段落を分ける」という、小学生のときからお馴染みの読解メソッドだ。
段落を分けるという思考は、文章の構造を把握しようという思考である。こことここは何らかの分かれ目がある、ということはそれ以外の部分はつながっているということだ。それぞれのまとまりとは何か? などと考えることは、文章を俯瞰して、その構造を捉えようとしているのだ。
もちろん、文章にはもともと形式段落に分けられているし、ときどき一行空きになっていたり、「『である』ことと『する』こと」のように、見出しのついた章に分けられていたりする。
それもまた、筆者がその構造を読者に示してくれているわけだ。もしも章も段落も全く区切られていなければ、文章の論旨はもっと把握しにくくなる。
この「構造」はいくつもの階層が重層的に組み合わされている。学校での人間関係が「班」→「クラス」→「学年」→「学校」などと階層化されるように。またそれらの階層に「部活動」「委員会」などの階層が横断的に挿入されているように。
まずは最初の課題の「章ごとに一文で要約する」で、章レベルのまとまりを把握した。
そして今回は、章同士をつなげた、もっと大きなまとまりをつかもうというわけである。
この「まとまり」は、まずは明らかには言語化できない感触としてとらえられるはずだ。どうもこのへんから流れが変わったぞ…。
そうして、そこまでの「流れ」とそこからの「流れ」を言語化する。
「『である』ことと『する』こと」についての、この「大段落分け」は、「問いを立てる」「全体要約」よりも易しいとも言えるが、また別種の難しさもある。というのは、「問いを立てる」「全体要約」は、はっきりした正解/不正解が示しにくく、それだけにやってやれないことはないのだが、この「前後半分け」は、やった後には皆が納得できる形になる―いわば正解がある―だけに、そこに辿り着くかどうかがはっきりと形でわかる。
そして、このそれなりに難解な文章を全体として捉える視野の広さと論理把握力は、やはり高度なレベルが要求されるのだとはいえる。
だが不可能ではない。実はそれなりに布石が打ってあるからである。
何のことか?
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