何をすべきかは、自分で思いつかなければならない。どのように読んでいくことが有効なのかは自覚しておくのが有効だ。
この文章を読む上で有効な方略は、もう一つの既習メソッド、対比だ。
この文章はどうみても対比的に考察が進んでいる。そうした対比を示す言葉が文中に散らばっている。それらを取り上げて整理し、通観する。
探すため、また整理のためには、対比される領域にラベル=見出しをつけておくと便利だ(ラベルはある程度ピックアップが進んでからでもいい場合もある)。
どんなラベルが適切か?
明らかである。「である/する」だ。
本文から、「である/する」のどちらかに分類できる表現を探し、本文にマークするとともに、ノートに書き出す。どちらも必要な作業だ。マークしてあれば、本文を読むときに頭が整理された状態で内容を把握できるし、ノートに書き出しておくと、一覧してその共通性が把握できる。
さてしばらくはそうした頭の使い方に慣れるために、実際にやってみる。
ポイントは、どちらかに振り分けられる特徴的な表現かどうかを判断することである。それは語義的に判断されたり、文脈的に判断されたり、さまざまな場合がある。
まず冒頭の162ページから挙げてみる。下段に「債権者である/請求する」は「である/する」に傍点がふってあるから、明らかにそうした対比を表している。
だがそれよりも、ここでマークしておくことに価値があるのは「債権者であることに安住していると」の「安住する」だ。これはもちろん「時効を中断する」と対比されているからそちらもマークしてもよい。だが「時効を中断する」は汎用性がない。「する」論理を表すには表現が限定的すぎる。それに比べて「安住する」は次の163ページにも使われる。
「安住する」に比べて「債権者」は「である」論理を表しているわけではない。「である」がついているから「である」なのであって、「債権者である」と同様に「債権者する」状態を想定することもできるからだ(日本語としては不自然だが趣旨はわかる)。「請求する行為によって時効を中断する」はまさに「債権者する」ことである。その意味で「債権者」という言葉はそれ自体ではどちらにも振り分けられない。
それに比べて「安住する」が「する」論理を表すことはない。だからこの言葉を「である」論理を表現しているとみなしてマークしておくことは有意義なのである。
次ページ上段ではこの「安住する」が「行使を怠る」と言い換えられるから、逆に言えば「行使」は「する」だ。
さらに下段では「行使」が「祝福」と対になる。
同様に「不断の努力」を「する」に、「置き物」を「である」に挙げておきたい。「不断の」といった形容や、「置き物」のような比喩も、対比を示す重要な要素だ。
そして章の見出しである「権利の上に眠る者」の中の「眠る」もまた「である」状態を示す比喩的な動詞である。
個別の箇所の判断は、詳述していけば上記の様に、なぜどちらかに振り分けられるかの説明がつくが、実際には読みながら、何となくわかる、といった程度で構わない。挙げていくと、その共通性からどちらかであることが判断できるようになる。
次の164ページからも探して、一度整理してみよう。
である/する
眠る/
安住する/行使する
祝福する/行使する
置き物/不断の努力
惰性を好む/
ひとにあずける/
よりかかる/立ち上がる
/点検・吟味・認識・判断・警戒・監視・批判
「属性」として内在する/そのつど検証される
定義や結論/プロセス
こうして図式化したものを通観すると、この文章で「である/する」という対比で表したいものが見えてくる。
ここまでは、我々の「姿勢」とでもいったような感じだ。「である」姿勢がどうなのか、「する」姿勢だとどうだというのか?
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