2020年4月21日火曜日

ホンモノのおカネの作り方 5 -対比を探す1

メソッド2

対比を探す1


 前回の課題、考えてみましたか?
 「どうしたらホンモノのおカネを作れるか?」が問いとして不適切だというのはどういう意味かわかりましたか?
 といって「どうして不適切か」を直接考えることはできません。適切な問いを立ててみようとして、その候補を考えているうちに、この表現の不適切さ、夾雑物(きょうざつぶつ)が意識されてくるはずです。

 問題は「作り方」という部分です。なぜこれが夾雑物なのでしょうか?
 筆者は本当は「作り方」など問題にはしていないからです。本気で作りたいとも、読者に作らせたいとも思ってはいません。これは偽金作りたちの陥った誤謬(ごびゅう)をエピソードとして取り上げるにあたって考えついたレトリックなのです。
 問題は「作り方」ではありません。では何でしょう?

 種明かしをする前に、予告した二つのメソッドのうちの二つ目を紹介します。
 それは文章中から対比を探す、という思考法です。
 2年生は昨年「水の東西」でこの読解方法を練習したはずです。

 対比は人間の思考の基本的な様式に基づいています。
 何かについて考えるということは、その「何か」を、「何か」とは別のものと比較するということです。そうでない思考というものは原理的にありえません(いや、私がとりあえず思いつかないだけかもしれませんが。あったら教えてください)。
 例えば「人間とはどのような存在か?」を考えてみてください(文章から目を逸らして、一瞬でも)。
 「人間なるもの」として、いくつかの属性を思い浮かべることができます。それらは必ず「人間でないもの」が備えておらず、「人間」が備えている属性です。「人間でないもの」もその属性をもっていたら、その属性が「人間」を表わすことになりません。論理的に。
 例えば「命がある」などと言ってしまうと、犬にも微生物にも命はありますから、「人間」とは犬だ、微生物だ、ということになります。
 授業ならばここでみなさんが思い浮かべた属性を発表してもらうところですが、残念ながらこちらで例を挙げます。例えば「理性を持っている」などという属性を思い浮かべた人はいるでしょうか?
 一方で「感情をもっている」という属性を思い浮かべた人もいるはずです。「理性を持っている」と「感情をもっている」の二つは反対の方向性をもつ性質のように見えます。なぜこんなことが起こるのでしょうか?
 私の経験では、みなさんの思い浮かべた属性は何種類かに分類できます。「人間」を、何との対比にようて捉えたか、によって。
 たとえばこんな分類です。

  • 人間/動物
  • 人間/機械(ロボット・アンドロイド・AI…)
  • (現実の)人間/理念としての「人間」

 例えば「理性を持っている」ことを人間の属性として思い浮かべた人は「人間/動物」という対比で「人間」を考え、「感情をもっている」と思い浮かべた人は「人間/機械」という対比で「人間」を考えたわけです。あるいは理念としての「人間」の対比であれば「人間とは不完全なものだ」といったところでしょうか。
 みなさんの考えた「人間なるもの」は上のどれかの対比によって捉えられたものであるはずです(西欧人にこの問いを投げると、そこには「神」との対比によって捉えられた「人間」が浮上してきます。そのように考えた西欧的な思考の持ち主はいたでしょうか)。
 上の「命がある」という属性はもちろん「人間」にもあてはまります。ただそれは「人間」が「生物/無生物」という対比における「生物」に含まれる、という意味であって、「人間」という概念の外延を輪郭づけるものではないわけです(必要条件ではあるが十分条件ではない、というか)。

 「そうでないもの」は、思考する人自身にとっても潜在的かも知れません。したがって文章になったときに、その対比が明示されているとは限りません。その明示の程度は様々で、よくよく考えないと何が対比要素なのかわからない文章もあります。
 このメソッドは後者のような傾向の強い文章ほど有効性を発揮します。当然です。対比が明示されているということは筆者がそれだけ整理して論を進めていて、かつそれを読者に親切に説こうとしているということです。つまりそれだけ最初から「わかりやすい」文章なのです。となるとメソッドの効果が実感に乏しい。
 一方、対比要素が何かわかりにくいということは、筆者自身が論理の未整理なまま書き進めているということであるか、読者に対して不親切だということです。こういう文章ほど「対比を探す」という思考法が有効なものになりうるわけです。

 「水の東西」は前者の例で、題名に既に対比が示されているばかりか、あちこちで対比が明示されています。したがって、このメソッドの効果が実感しにくい文章です(つまりメソッドなど使わなくてもわかる、という。高校1年生用の練習だからそれでいいのですが)。
 振り返ってみましょう。
 題名に明示された対比は「東/西」です。「/」はその前後が対比項目であることを示します。「対」「vs」の意味です。この文章は「水」を題材に「東洋」と「西洋」を対比しているわけです。
 対比軸の見当がついたら、文中の「具体例」「形容・性質」「抽象語」などの対比を片っ端から挙げて、軸の両辺に向きを揃えて振り分けます。

  •    東/西(抽象語)←ラベル
  •  鹿威し/噴水(具体例)
  •  流れる/噴き上げる(形容・性質)
  •  時間的/空間的(形容・性質)
  • 見えない/目に見える(形容・性質)
  •   自然/人工・造型(抽象語)

 これらの対比のうち、どれかを対比軸のラベル(見出し)として選んでおきます。この場合は「東/西」が題名にもあるので、すぐに選べます。
 ですが必ずしも最初に決める必要はありません。いくつかの対比項目を挙げながら、どこかの時点で、どれか適当なものを便宜的にラベルとして代表させるのです。
 対比の種類は別に上記三つのどれかに分類しなければならないというわけではありません。例えば「~的」という言葉が対比的に使われている時には、それは「形容・性質」でもあり「抽象語」でもあります。

 こうした対比の抽出には何の効用があるのでしょうか? 上に述べた通りです。対比の整理とは、文章の構造を把握することであり、筆者の思考を整理することです。これをやることでボンヤリしていた論理が明瞭になるという実感があるはずです。
 上に述べた通り「水の東西」ではこの実感は薄いのですが、それでも例えば上の対比の左辺だけをつなげて、この文章を次のように表現することができます。
東洋では、鹿威しにみられるように、自然に流れる水を目で見ることなく耳で捉え、そこに流れる時間を味わう。

 さて「ホンモノのおカネの作り方」には、どのような対比が潜んでいるでしょうか?
 さしあたって「具体例」「形容・性質」「抽象語」にあたる対比をそれぞれ一つずつ、三組探してください。

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