2020年4月9日木曜日

国語の学習とは1 -学習の目的

1.国語の学習の目的


 休校中の学習として「教科書及び副読本所収の文章を要約する」という課題を出しました。このことについて補足し、かつ、今のところいつ始まるかわからない授業についてガイダンスします。

 文章の要約というのは、現代文の学習方法として、最も包括的・総合的で確実に効果的な方法です。場合によっては、学校や予備校の授業を受けることよりよほど有益だとさえ言えます。ですが、そこにはやはり限界もあります。
 要約という行為がなぜ有効なのか? では授業にはどのような意義がありうるのか?
 それを理解するには、「現代文」という教科がどのような教科なのか、その特性を理解する必要があります。

 国語の学習の目的は「国語力」を高めることです。当たり前です。とくに疑問はないですね。
 「国語力」とは何でしょう?
 具体的な場面で分類するならば「聞く」「話す」「読む」「書く」力、ということになります。
 そしてそれらの行為に通底する「言葉を使って考える」力です(「数式を使って考える」「イメージを使って考える」「感情を使って考える」? などの「考え方」もあるはずです。それらの「思考」がどのようなものかを直接言うことはできません。言葉で言う時には「言葉を使って考える」ことに翻訳されてしまいますから。「言葉を使って考える」は、そのような思考形態の一つであり、多くの動物にはできない、それゆえ人類の進歩を可能にした、重要な技術です)。
 これらの「力」は、日本語を使って日々生活しているみなさんには、もちろん既にそれなりに備わっています。このことが、国語(特に現代文分野)の学習の必要性に対する一般的な根強い疑問になっているはずです。国語なんて、やらなくてもできる人はできるし、やってもできるようにはならない、それなのになぜ国語の勉強が必要なんだ、まして授業なんて…。
 ですが、現状で走ることができている人でも、毎日走る練習を繰り返せば、今よりも早く走れるようになります。同様に、現状でそれなりに言葉を使うことができている人でも、練習次第では今以上に有効に使うことができるようになるはずです。国語の学習はそれを目指しています。
 練習によって何かが今以上に「できる」ようになることを目指しているという意味で、国語という教科は実技科目です。その分野における知識の習得が学習の多くの部分を占めている社会科や理科と違って、国語にはそのような習得すべき知識がわずかしかありません。「実技科目」というのはそのように「できる」ことを目指している科目だ、という意味です(これは一般的に勉強が「わかる」という言い方で表現されていることと対比的です。国語は何かが「わかる」ことを目指してはいないのです)。

 一方で、休校にならなければ、みなさんはこのような課題の指示を受けることなく、授業を受けていたはずです。授業という場では何が行われているのでしょう?

 一般的な授業では「教材」として、ある文章を読むのですが、そこではしばしば、その文章の内容を理解することが学習の目的であるかのような了解が、授業者/生徒に共有されていると思います。
a・国語力を高めること
b・ある文章の内容を理解すること
これら二つの関係はどうなっているでしょう? (授業ならばここで間を取って考えさせ、誰かを指名して答えてもらうところですが…)

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