この生徒はさらに続けてこのようにも言っています。
この文章全体が「ホンモノのおカネとはどのようなものか?」という問いに答えようとしていると考えて要約したのですが、そもそも問いの方向性が間違っているということでしょうか?
いや、これは正しい。とても。
実は「授業4」回で「どうしたらホンモノのおカネを作れるか?」という問いはイマイチだ、ではどういう問いを立てるべきか、というお題を出したときに、みんなに考えついてほしかったのは、まさしくこれです。
「どうしたら作れるか?」より「どのようなものか?」の方がいい。前回書いた通り「作り方」は本質的な問題ではないのです。「どのようなものか?」を論じるために二つの具体例をもってその成り立ちを説明していこうとして紹介したニセガネ作りたちの失敗例から、「作り方」を問うというレトリックを惹句として発想した、といったところでしょう。
問題は確かに「ホンモノのおカネとはどのようなものか?」です。文章は間違いなくこの問いに答えようとしています。
にもかかわらずなお、この問いは最終的に有効なわけではありません。
この「問い」の「答え」は前回、要約で参照した引用部分に既にあります。
問い ホンモノのおカネとはどのようなものか?
答え その時々の「代わり」のおカネに対するその時々のホンモノでしかなく、それ自身もかつてはホンモノのおカネに対する単なる「代わり」にすぎなかったもの
ここまで「わかった」上で、なおも「腑に落ちない」のではないでしょうか。
書き送ってくれたあなた、あなたは必要な論旨の整理も理解もできています。その上でなお、これで本当に「わかった」と思えているのかどうかを自問してください。自問する間もなくまだ「腑に落ちない」と感じているとしたら、さらに有効な「問い」を立ててください。
もちろん本講座の受講者全員も。
p.s.
上記「答え」について、この生徒はさらに返信で、これがどういうことなのかという本人の解釈を書き送ってくれました。上の「答え」は単に本文から対応する部分を抜き出しただけですが、それをさらに解釈することによって、この「問い」に対して筆者が考えている、より本質的な「答え」が、抽象度の高い形で表現されていました。
なるほど、この人はそのようにこの文章を読んだのか! 確かにこれは「腑に落ちて」いる!
前回の「要約」があのように表現されていることも、それで納得されます。
とても面白い問題です。次回紹介します。
P.P.S.
「次回」取り上げられなかったので。
この人はこの時点で、この文章は「『ホンモノのおカネは変化していく流動的なものであり、絶対的なホンモノのおカネは存在しない』ということを言いたいのだと思います。」と書いていました。このシリーズの最終回「授業14」で書いたことを、既に的確に表現していたわけです。
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