2020年4月13日月曜日

要約の実演

 2年生、3年生ともに、課題の「要約」、最初の二つくらいは既にやってみたでしょうか。まだ一つ? 「文系と理系の壁はあるか」だけ? 「三つの動詞」すらまだやってない?
 練習は、コンスタントにやることが大切です。週に2回がめやすです。

 前回の予告どおり「国語の学習とは」を要約してみます。
 全体の論旨を把握した上で、要約文を書き下ろす、というやり方もあります。ですがこの方法は、全体の論旨を把握するにせよ、要約文を書き下ろすにせよ、ハードルの高いやり方です(今回は自分の文章ですからやれないことはないのですが)。
 それよりも本文の順番に沿って、キーセンテンスを抜き出す方が簡便です。まずはこのやりかたで要約の一段階をやってみましょう。この段階では4回分の記事の見出しをそのまま付けておきます。

要約1


1.国語の学習の目的

 国語の学習の目的は「国語力」を高めることです。「国語力」とは「聞く」「話す」「読む」「書く」力です。「できる」ようになることを目指しているという意味で、国語という教科は実技科目です。一方で、一般的な授業では「教材」の文章の内容を理解することが学習の目的であるかのような了解が、授業者/生徒に共有されています。a「国語力を高めること」b「ある文章の内容を理解すること」これら二つの関係はどうなっているでしょう?

2.「目的」と「手段」の関係

 本来の目的を見失って、手段に過ぎなかったものを目的のように錯覚してしまうことを「自己目的化」と言います。「文章を理解する」ことは国語学習において、しばしば自己目的化されがちです。b「ある文章の内容を理解する」は、a「国語力を高める」という「目的」のための「手段」に過ぎません。自分で文章を理解しようとすることによってのみ、国語力は高まります。

3.要約というトレーニング

 この、国語力を高める練習として最も簡便でかつ有効だと推奨するのが、文章を要約する、というトレーニングです。要約には国語力を高める練習として必要な要素の多くが詰まっています。要約という練習を繰り返すことで、国語力は確実に高まります。

4.授業の意義

 国語の授業とは、何かを教わる場ではありません。みんなで集まって、独りではできないトレーニングを行う場です。自主トレによる基礎練習は間違いなく必要であり有効ですが、チーム練習は、自主トレだけでは身につけられない技術を向上させる場なのです。
 ですが授業はそれだけのものではない、とも思っています。それはテキストの向こうに広がる「世界」に対する認識の変容になる「体験」でありうると信じています。

 上の文章は、基本的に原文の順番で、なるべく本文そのままを抜き出してつなげています。
 ですが完全な抜き出しだけでは、うまく文章がつながるとは限りません。上の例はたまたま、まあまあうまくいっているだけですし、細かいところでは前後のつながりに合わせて書き直している部分もあります(それでも充分に自然な文章にはなっていません)。
 しかもまだ700字以上もあり、目標の200字、100字には遠く及びません。ですがまあ字数の見当がついてきた、とも言えます。これを3分の1よりもう少し短くすると200字なのだな、ということがわかりました。
 そしてこの段階で全体の構成がおおよそわかってきました(自分で書いておいて今更ですが)。ここまでくると書き下ろすこともできます。

要約2


  1. 国語の学習の目的は国語を使う力を高めることだ。
  2. 授業における「ある文章の内容を理解する」という学習も、この目的のための手段である。これを自己目的化することなく、手段として能動的に取り組むべきである。
  3. またこの目的のために有効なのが、総合的な国語力が必要とされる、文章の要約である。
  4. 一方、国語の授業とは、対人スキルである国語力を高めるために、みんなで集まってトレーニングを行う場である。また授業はそれ以上に「世界」に対する認識の変容になる「体験」でありうる。


 これで200字強です。

 こうやって書き下ろそうとすると、この文章がいくつかの方向性をもっていることがわかってきます(またしても、自分で書いておいて今更ですが)。次のような方向性です。

  • 課題として提示した「要約」という学習の有効性を説きたい。
  • 様々な行為における「自己目的化」の罠について注意を喚起したい。
  • 学習における「授業」の意義を再考したい。

 こうした複数の要素を100字に収めるのは難しい。「自己目的化」のくだりは言いたいという動機の結構強い部分なのですが、これ以上短くするためにここを省いてみましょう。

要約3

 文章の要約は、総合的な国語力が必要とされ、国語の学習の目的である、国語を使う力を高めるために有効である。また授業は、対人スキルである国語力を高めるだけでなく、認識の変容をもたらす重要な場である(97字)

 ところでこれを見て、こんなに短くなるのなら、そもそも長々書く必要はあったのか、と、ちらっとでも思った人はいるでしょうか。
 元の文章の趣旨は元の文章を読み、例えばそれを要約しようとすることによって理解されるのであって、要約を読んでもその趣旨が伝わるわけではありません。
 文章の趣旨というのは必ずしも結論のことではなく、そう考える論理過程全体のことです。結論のみ示しても言いたいことが伝わるわけではないのです。
 逆に要約されて抽出された結論を見ても、その文章の趣旨が伝わるわけではありません。要約するという思考を通してのみはじめてその趣旨を理解することができるのです。

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