2020年4月23日木曜日

ホンモノのおカネの作り方 6 -部分的な表現を考える1

部分的な表現を考える1


 「ホンモノのおカネの作り方」を題材に、web上で授業(のようなもの)を展開する試みを続けています。
 ここまで「要約」「問いを立てる」「対比を探す」というお題を課していますが、それぞれ実行しているでしょうか。
 「要約」はともかく、後の二つは、ここで今、解答&解説のようなことをしても、残念ながらそれほど学習のためにはなりません。これらのメソッドは学習者(みなさん)が実行することによってのみ意味あるものとなるのであり、その動機付けと有効性の確認のためには対話が必要だからです。
 この対話のためのツールについては、現在、学校全体で検討中です。オンライン会議のためのツールは、現在複数のサービスがありますので、それらのどれかを使うことになると思われます。既にみなさんが日常的に使っているツールとしてはLINEのグループ通話なども活用できるでしょう。
 動向は追って連絡されるはずです。その全体方針を見てから、この講座での展開方法を考えていきます。

 さて、「問いを立てる」「対比を探す」のいずれも、思考の方向性を定め、思考を整理するために役立つ方法ではありますが、これだけで十分というわけではありません。
 全体的にはわかってきたが、細かいところでわからない感じがしている部分もある、ということもあります。そして「ホンモノのおカネの作り方」の場合、「要約」しても「問いを立て」ても、結局そのわからない部分がそのままの形で露出してしまうだけなので、論理の構造がわかったからといって、腑に落ちないという感じは解消できないのです。
 ただ、攻める方向は複数あった方がいいのは確かです。いくつかの方向から複数の方法を試しながら考えていくことで、それらの成果が互いに助け合って働きます。

 上記「わからない部分」は、この文章の場合明らかです。
 「逆説」「形而上学」です。これらの言葉が出てくる箇所で、理解がいちいち引っかかるはずですし、それが要約したときにもそのまま露出するので、その適切さの判断がしにくいはずです。
 ちなみに、最初の「問いを立てる」というメソッドにおいて、「『~という逆説』とは何か?」「『ホンモノの形而上学』とは何か?」という「問いを立て」た人もいるかもしれません。
 これらの問いは間違ってはいませんが、理解のための有効性としては十分ではありません。問いが部分的であることと、その答えは本文中から簡単に見つかり、なおかつそれでもわからないからです。
 ですが、これがこの文章を読解する上で考えるべき焦点の一つ(二つ)であることは間違いありません。
 引き続き、考えるべきことの指示として、この二つを取り上げます。
 ここでいう「逆説」と「形而上学」とは何のことか、説明してみてください。

 そもそも言葉として馴染みがないですよね? まずは語義を辞書や手元にある『読解を深める 現代文単語』(表紙が全体として青緑の)で調べてみましょう。その語義を本文に戻して、その文脈上では何を言っているかを考えてください。
 ただし、「逆説」と「形而上学」とは何のことか? というのは雑な問い方です。授業では意図的に、まずは雑な問い方をします。問題の方向性だけを示して、それを考えるためにはさらに何を考えたらいいのかをみなさん自身に考えてもらうためです。
 問われたことを答えることよりも、重要なことは、自分で問いを立てることです(学習上も、人生においても!)。「正しく問いを立てる」ことができたら問題の大半は解決への道の半ば以上が過ぎている、とさえ言われます。
 「逆説」と「形而上学」のわかりにくさは、単に語義がわからないということではありません。語義がわかった上で、それでもわかりにくいのはなぜか、何をわかりたいのかを考えてください。
 この、さらに方向を明確にした「問い」は次回提示します。その前にまずは自分で考えてみてください。

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