2020年9月4日金曜日

ロゴスと言葉 2 -要約する

 次は要約だ。今度は口頭で終わらず、文章に書き起こす。テキストを見直してもいい。教科書解禁である。
 要約には条件をつけるのが効果的だ。国語力というのは言語による情報操作の能力のことだから、目的に合わせた様々な条件で操作する練習をするのがいい。
 簡単な条件は字数だ。
 休校中に100字要約と200字要約をしたのはそういう狙いだ。

 今回の条件は「4つの大段落それぞれを一文で要約する」だ。さらにそれぞれの一文は単文(主語と述語が一組の文)であること、という条件をつけた。
 単文にしたのは、なるべく文の構造をシンプルにすることが頭の整理に有効だからだ。日本語として最低限意味を成すような3~4文節くらいの一文にする。
 もちろんそれだけでは説明不足に感ずるだろうが、かまわない。必要に応じて説明できるように、背後には複雑な論理が感得されているとしても、とりあえずなるべく簡素な文構造の一文にする。把握のためには把握した形自体の情報量が多くない方がいいのだ。圧縮率を上げようとすることが理解を押し進める。

 要約しようとするとき、本文中から、そのまま文章の内容をまとめた言い方になっていると思われる一節が見つかることがある。見つかったならそれでもいい。だがいつもそういう一節が文中にあるとは限らない。
 むしろ要約をするには、細部に目を凝らして探すより、全体をボンヤリ眺める方が良い。視野を広くもって、細部を濾して除去してしまうフィルターのような意識で、全体の構造や「大事なところ」を感じ取ろうとする。
 そしてまず主語を決めてしまう。何を主語にするかを考えることは、その段落の主題、最重要モチーフが何かを考えるということだ。実際には主語だけでなく、ほとんど主語と述語の組合わせとして認識されるはずだが、とりあえず「主語を決めよう」と思って全体を眺めると、取り上げるべきキーワード(主語)と、それがどうしたというのか(述語)が意識されるはずだ。
 そこに最低限の目的語や形容をつけくわえて5文節以内くらいに収める。

 例えば1段落を次のように要約するのはどうか?
・言葉の本質はロゴスにある。
 もちろん正しい。だが望むらくは「ロゴス」という言葉を使わずに要約文を考えた方が良い。
 要約の効用は、要約の「正解」を知ることではなく、要約しようとすることが思考の整理になるということだ。これもまた目的ではなく手段、である。
 それならば「ロゴス」という言葉を使って筆者が言いたかったことこそを一文にしようとした方が目的に適っている。「ロゴス」という言葉はまだブラックボックスのようなものだから。開いてしまった方が良いのだ。
 「ロゴス」とはカテゴリー化する=取り集める働きのことだ、と本文にある。したがって、次のような要約が考えられる。
・言葉は事物をカテゴリー化する。(3文節)
・言葉には物事を取り集めるはたらきがある。(5文節)
 2段落はどうか。
 言うべきことは1段落と重なっているように思える。実際にどう要約しようとしてみても、それは両方の段落で触れられているトピックであるように思える。
 だが敢えてそれぞれの段落のトピックに重み付けをして、要約文を書き分けてみよう。
 選ばれる言葉は「存在」「分節」「差異化」あたりだろう。
・言葉による分節で物事の存在が認識される。
・命名は外界の差異化である。

 このように、それぞれの段落を一文にしたら、それぞれの内容の展開の論理がたどれるかどうか通観する。それぞれの段落を表わす一文を、バラバラなままにしておかないで、一続きの論理で把握する。
 例えば1、2段落の要約を、ひと繋がりの論理展開として捉えてみよう。
 「カテゴリー化」は「分節」と同じことだ。とすると、そのまま1,2段落の要約文は1文に書き換えられる。
・言葉によるカテゴリー化によって物事が認識される。
 実際に1文に書き換える必要は必ずしもないが、とにかく論理の繋がり・展開を意識するのは有益だ。
 「差異化」はここではまだ説明が足りていないので、保留にしておいてもいい。「取り集める」ことと「差異化」がどうつながっているのかは後で考えよう。

 さて3段落には子供のエピソード、4段落にはヘレン・ケラーのエピソードが登場するが、これらの具体例はこの一文要約においては捨象しよう。論理展開を追えるように、1,2段落と抽象度を揃える。
 3段落は1,2段落の内容を、具体例で説明し直しているだけのようにも見える。
 それでもそこで具体例を通してあらためて明らかになったことはないか考える。
 段落の末尾は次の通りである。
繰り返し、繰り返し命名を通して、知覚の上に刻一刻と密になる認識の網の目がかぶせられ、本能図式は言葉による再編成を強いられる。
子供のエピソードを通して示される認識がこのように表わされているとして、これをシンプルな一文に書き換えてみよう。
 「命名を通して」は「言葉による」と同じことだ。「繰り返し、繰り返し」とか「刻一刻と密になる」は大胆に伐り払って「命名を通して本能図式は再編成を強いられる。」としよう。
 「本能図式」が何のことかわかりにくいし、実は「本能図式」が直に「再編成」されるわけではない。そこには「繰り返し」があり、「刻一刻と密になる」過程がある。実際には「本能図式」が言葉による「象徴化」を受け、その「象徴図式」とでもいったものが「刻一刻と密になる」のである。そう考えてみれば勘の良い者は「象徴図式」とは1段落の「カテゴリー」のことだと気付く。
・言語によるカテゴリーは成長の過程で再編成される。
他に「分節線は非自然的な画定である。」を挙げたグループもあった。これも重要な要素ではある。「分節線」はカテゴリーの輪郭のことだから、「成長の過程で再編成される」時に「非自然的」に「画定」されるということだ。
 「非自然的」とはどういうことか? 同段落にある言い換えの言葉を探し、「文化」がそれに近いという感触を得た。
 だがこの要素は4段落でも述べられるので、そちらに入れることもできる。

 4段落はさらに厄介だ。「ヘレン・ケラーのエピソードも同じである」と言っておきながら、どう「同じ」なのか、にわかにわからない。
 手がかりとなるキーワードを決めてしまおう。
 重要なことは繰り返し述べられる。この段落で繰り返される言葉は「文化」「関係」「差異化」である。それぞれを一文にしよう。
・指向対象は文化の中で決定される。
・指向対象は関係の中で決定される。
・指向対象は実体ではなく差異化によって生まれる。
それぞれに、こうした一文にすること自体が、そもそも難しい。「指向対象」が「カテゴリー」とどういう関係になっているかも、現状では理解し切れていないはずだ。
 この三文はどれも同程度に適切だが、その関係を表わすのは、これはこれで現状では難しすぎる。「文化の中で」と「関係の中で」が同じ構文に入っているが、どうしてこういう言い換えが成立するのか?
 「差異化」は1,2段落で言っていればそれでよし、むしろ1,2段落で「差異化」を使わずに、4段落で使うという手もある。
 ついでに最終段落の「関係づける」と「差異化」が同じことであることについて考えた。
 差異化するということは、境界を引いて二つのカテゴリーを分けるということだ。そのとき、その二つのカテゴリーは「関係づけ」られている。比較され、違うものでありかつ隣接すると認識される。「関係づける」ことは二つを「差異化」することなのである。

 例えば4段落を、展開が見えるようにつなげてみよう。
1 言葉は事物をカテゴリー化する。
2 カテゴリー化することで物事の存在が認識される。
3 カテゴリーは成長の過程で文化的に再編成される。
4 カテゴリー化とは、カテゴリーの内と外を差異化することだ。
この4文の流れは「カテゴリー化=ロゴス」を使って論理展開を統一してある。

 現状ではここまですっきりした要約は無理だろう。
 要約は、完璧な要約を「教わる」ことに意味があるのではなく、要約しようと「考える」ことにのみ意味がある。要約しようと頭を使い、ある要約に辿り着いたときに感じるスッキリ感が味わえれば良い。
 あるいは、試行錯誤した要約文を発表して、授業者の反応(よしよし、とか、そうかなあ、とか)をみて、それぞれの要約の適切さについての反省と検討をすることに意義がある。

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