読み比べ二つ目は、夏目漱石「こころ」。
「山月記」ではまず主人公を一致点として、そこに袁傪と相沢を重ねることで見えてくる物語の構造を捉えた。
ここでも「こころ」と「舞姫」の登場人物を対応させてみる。
A
①私(先生)―豊太郎
② K ―相沢
③お嬢さん―エリス
④ 奥さん―老媼
これはどのような対応を示しているか?
①は主人公。
②は主人公の友人。①にとって東大の学友でもある。
③は物語のヒロイン。
④はヒロインの母親。
まずは人物関係の設定としては見事な対応を見せている。
「山月記」比較の経験から、人物造型の共通性を考えてみる。
「私」と豊太郎は、似ていると言えなくもない。その性格については共通点も指摘できるだろう。そして、二人ともある選択を前に葛藤する。その葛藤から浮かび上がる人物像には共通した印象がある。
それだけではない。そうした人物像とは別の層で、二人には共通点がある。
それは、それぞれが手記の語り手(書き手)だという点である。一人称の語り手は自らの心の裡を語るからどうしても内向的に見えがちだ。人物像に共通した印象が生ずるのも、そうした要因がある。
二人のヒロインもまた、ともに半ば冗談として「悪女」説が唱えられるような「あざとい」魅力をもっている。そしてそれが二人の賢さ故であって、その清純を疑うには至らない、といったバランスで描かれている。
奥さんとエリスの母は、悪巧みをしていそうな雰囲気が似ていなくもない。もちろん二人とも生活上の知恵としてそうしているのであって、悪人というわけではない。
そして二人のヒロインはともに皆と同じ17歳くらいで、なおかつ主人公の二人は25歳くらいだ。
ここまで、共通点を探してはみたが、実はこの対応はこの先に何らの発展的な考察を生まない。主人公の二人には共通したものも感じられるが、お嬢さんとエリスの印象はかなり違う。
さらに、Kと相沢の対応には強い違和感がある。人物としての共通性は「優秀」くらいで、その人物造型は似ても似つかないし、何より物語上での役割が違いすぎる。
登場人物を対応させるのは、物語の構造を対応させるためだ。物語を重ね合わせようと考える思考と、登場人物の印象を重ねようとする思考を相補的にはたらかそうとすれば、このような対応はむしろ思いつかない。
では、物語の構造を表現することを目的として人物を対応させるには、どのような組合わせが考えられるか?
Aに示した4人を入れ替えて全員を対応させるのは難しい。3人の対応でいい、どのような対応が可能か?
対応関係が整理できたら、そうした人物の対応による物語把握を、①~③の番号を用いて、「こころ」「舞姫」両者の要約として読めるような一文で表現してみよう。①~③に、それぞれ二つの物語の登場人物名を代入すると、それぞれの物語を表現していることになるような一文だ。
例えばAを「①が③をめぐって②とライバル関係になる」というのは「こころ」については言えるが、「①豊太郎が③エリスをめぐって②相沢とライバル関係になる」わけではない。
「舞姫」について「①が②によって③から遠ざけられる」と表現することはできる。豊太郎は相沢によってエリスから遠ざけられる。これを「こころ」で代入して「①私は②Kによって③お嬢さんから遠ざけられる。」としても意味をなさない…と書こうとして、全く無理ではないではないかもしれないと思い直した。「私」は、Kの死によってお嬢さんと結婚してからも、本当には心を開けなくなって死に至る。図らずもKは「私」をお嬢さんから「遠ざけ」たことになるかもしれない。だがこれは穿ち過ぎとも言える。
4人の中から3人を選び、それぞれに対応させるとすると、組み合わせは24通り。Aも含めて、授業では5~6種類の対応関係が皆から提示される。
毎年誰かが思いつく対応関係のアイデアを二つ紹介する。これらはどちらも授業者には発想できなかったものだ。
これらはどのような物語把握に基づいた対応だろうか?
B
① K ―豊太郎
② 私 ―相沢
③お嬢さん―エリス
「私」と相沢を対応させるという発想は実に意外だった。
こうした物語把握を表現する一文は、例えば「①が③に心惹かれて求めようとするのを②が妨害する」というような文が考えられる。あるいは「①が『道を外れている』状態にあり、友人である②が、その原因である③を遠ざけて道に引き戻そうとする」などといった表現も可能だ。
①②③にそれぞれの人物を代入すればそれぞれの物語の要約になる。
- 「こころ」ーKがお嬢さんに心惹かれて求めようとするのを先生が妨害する
- 「舞姫」ー豊太郎がエリスに心惹かれて求めようとするのを相沢が妨害する
ここでは②の動機についての共通性もある。②は純粋に①のためを思って③を遠ざけるわけではなく、そこには私利があることも指摘できる。
次の対応はどのような構造を示すか。
C
①お嬢さん―豊太郎
② 私 ―相沢
③ K ―エリス
Bに比べ、「こころ」の①と③が入れ替わっている。
この対応をたとえば「②が①と③の関係を妨害する」などと表現することは可能だが、同時にこの表現はBにもあてはまる。BとCでは「こころ」の①と③が入れ替わっているだけだから、「①と③の関係」ではどちらでも同じことになってしまう。
だがKと豊太郎を対応させる把握(B)と、お嬢さんと豊太郎を対応させる把握(C)が同じであるはずはない。別の表現が可能なはずだ。
ではどう表現するか?
可能なのは次のような表現だ。
- ③が①を求めて②に阻まれることになる。
- ①をめぐって②と③が対立関係にあり、②が勝者となり、③が敗者になる。
- ②が①を自分の意に沿うようにするために③を排除する。
Kとエリスの悲劇は、いずれも排除される敗者の悲劇である。