豊太郎の「不興なる面持ち」は、読者に読み取られるべき「意味」をもっている。そしてその「意味」は読み取れるはずだ。
その「意味」は、文中に関連要素をもっているはずである。
また、その理由を問われた豊太郎が、なぜか答えなかったことに必然性を持つ必要がある。
また、エリスが「豊太郎と自分との距離を感じて不安になる」契機としてこの顔つきがある。その「意味」はエリスに伝わっているはずだ。
条件はまだある。「関連要素」の確認はまだ不十分だ。
実は「エリスの世話焼が煩わしい」も「大臣に会いたくない」=「正装が窮屈だ」も、それがどのような意味であるかを明らかにすれば、完全に間違っているとも言えない。それにはまず以下のように考える必要がある。
この「不興なる」はいささか唐突に語られているともいえる。だから何とか解釈しようとして、前後を見回し、上のような二つの解釈を思いつく。
だがもうちょっと視野を拡げることができれば、この言葉は先立つこと1頁ほど(教科書では前の見開き)にある次の言葉を受けていることに気づく。
(エリスの体調不良は)悪阻 といふものならんと初めて心づきしは母なりき。ああ、さらぬだにおぼつかなきは我が身の行く末なるに、もし真なりせばいかにせまし。/今朝は日曜なれば家に在れど、心は楽しからず。
それ以降には直接「不興」と関連しそうな情報がない(だからいたずらに不要な解釈をするしかなくなる)ことを思えば、豊太郎の「不興」は「心は楽しからず」を受けていると考えるしかない。
だが、エリスの妊娠が引き起こした憂鬱を、この場面で唐突に豊太郎が顔に出したと考えることはできない。とうのエリスを前にして、妊娠が憂鬱だなどという心の裡を顔に出していると考えるのはあまりに不自然だ。
またこれでは、妊娠発覚の後1頁程の、相沢の訪独の展開が考慮されていない。
エリスの妊娠と相沢の訪独。この二つを結びつけて、豊太郎の「不興」を説明すべきなのだ。
逆にここから豊太郎がエリスの妊娠になぜ「心は楽しからず」思ったのかも考えることができる。
とはいえわざわざ考えるまでもなく、恋人の妊娠を「楽しからず」思う心理には疑問はないようにも思える。だが敢えて挙げるなら、どのような不満や不安があるのか。
ここで生活の困窮などを挙げてはいけない(だが授業で聞いてみるとこの答えが意外なほど多い)。確かに現在の日本の少子化問題などを考えるときに挙がるのは、子どもを作らないのは収入の不足であるように語られたりもする。
だがそれではエリスの心理の変化に対応していない。
それよりも、端的に言えば豊太郎は逃げたいのだ。後に天方伯に帰国の意志を問われて承諾した時にも「本国をも失ひ、名誉をひきかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧州大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起これり」と述べている。エリスの妊娠はこれまでの過去の栄誉を棄て、未来の可能性を限定してしまうことになる。それが豊太郎を「心楽しからず」させる。
そこに手紙が届く。
以前にも自分の窮状を救ってくれた相沢の訪独と大臣への謁見は、自分の「名誉を回復する」可能性を示している。エリスさえその可能性に思い至っている。相沢の手紙に書かれているそのことを、豊太郎が意識しないはずはない。
ここまで条件を並べてしまえば「不機嫌」であることに何らの疑問もない。ただ説明のための条件を揃えることが少々難しかったのだ。
説明とは抽象化の過程が必須であり、抽象化するためには、それを表わす言葉を用意する必要がある。各班でその言葉を挙げよ、と指示した。
多くの班で挙がったのは、「迷い」「決断への怖れ」「葛藤」などといった言葉だ。
日本への未練を棄てることは憂鬱だが、それを受け容れるしかないとなれば、なりゆきでそうならざるをえない。
だがそこから逃れる可能性が示されてしまったら、却って迷ってしまう。どうするのかという決断を迫られることになる。
相沢や大臣に対する度重なる
そうした決断が迫られるのが憂鬱なのだ。
もう一つの方向は「罪悪感」「良心の呵責」「自己嫌悪」などの表現だ。
本心では、失ったエリートコースや日本での生活に未練があるが、それを諦めざるをえないと思っていたところに「名誉の回復」の可能性が示される。思わずエリスを棄てて日本に帰る可能性に期待してしまう自分の卑しさを自覚してしまうことが「不興」なのだ。
豊太郎の「不興なる面持ち」は、豊太郎の「迷い」や「罪悪感」を示している。豊太郎の頭に「名誉の回復」の可能性がちらついているということは、エリスのA→Bの変化と整合しているし、エリスに問われて答えられないのも当然だ。
そしてここまで分析できれば「エリスの世話焼が煩わしい」も「大臣に会いたくない」もあながち間違ってはいない。このように考えている豊太郎はエリスの甲斐甲斐しい世話を「煩わしい」というより「後ろめたく」思うはずだし、混迷を深くするかもしれない大臣への謁見は憂鬱だ。正装が窮屈だというのは、こうした状況を象徴している表現だとすれば正解の範疇だ。
ここまで考えれば「微笑」の説明も些かの修正が必要となる。
それは確かにエリスの不安を
読者は「『〈豊太郎の心理〉に気づいたエリスの心理』に気づいた豊太郎の心理」に気づかなければならない。
こうした説明には、誰もが納得するはずだ(授業では「葛藤」を提案した班が多かった)。
だがそうした説明を的確に組み立てるのはそれほど容易ではない。
「わかる」ことより、わかったことを客観的に捉えて他人に伝えることは、格段に難しい。
だがそれを求められる場面は多い。
入試のようなペーパーテストでさえ基本的にそうした力を試されているのだ。
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