これまで述べたように、この手紙によって豊太郎が日本に帰れる可能性に初めて気づいたのだと考えるのは難しい。
ではこの手紙の核心はどこにあるか?
ここで先の「否」による逆接の考察が活きる。この手紙に書かれているのは残される不安に対するエリスの積極的な姿勢だ。「我が愛もてつなぎとめではやまじ。」には強い意志の表明がある。
だがこれだけならば一通目の手紙にある、不安と裏返しの愛情の延長上にある。
問題はそれに続く「それもかなはで東に還りたまはんとならば」からの、豊太郎の帰国に対する具体的な方策の記述である。ここには路用と母親の処遇についての解決の見通しが書かれている。つまり、豊太郎が日本に帰る場合、エリスが日本に着いていくというのだ。
この手紙がここに引用されてることの重要性からすると、この方針は二人の間で、この手紙によって初めて示されたものだと考えられる。そのような可能性は、豊太郎にとってこれまでは想定外だったということになる。
エリスが日本に着いてくるという可能性は豊太郎の認識にどのような変化をもたらすか?
こう考えてみよう。
豊太郎はどのような選択肢の前に置かれているか?
ここまでの豊太郎にとっては、未来は次の二択として捉えられている。
a エリスと共にドイツに残る。
b エリスを棄てて日本に帰る。
そしてこの手紙によって示された新たな選択肢は次のようなものだ。
c エリスを連れて日本に帰る。
三つ目の選択肢が加わったことは豊太郎の認識にどのような変化をもたらすか?
abの選択に迷っているのなら、cは最も喜ばしい選択肢のはずだ。イイトコドリではないか。
にもかかわらず、cが豊太郎にとって最も避けたい選択肢であることは、読者には直感的にわかる。なぜか? ここが説明できれば、ここで「明視し得た」「我が地位」を説明できる。
豊太郎はabの板挟みになっている「我が地位」について自覚していないわけではない。だがそのことについて本気で「決断」せずにいられたのは、それが相手任せにできたからだ。事実、大臣に「東に帰るぞ」と言われれば「承りはべり」と答えてしまうし、ロシアからドイツに帰れば「低徊踟躕の思ひは去」ってエリスを抱きしめてしまう。豊太郎はそのような人物として描かれている。
このab二択の帰趨は、言わば他人任せの成り行きで決まる。決まった後の、選ばなかった相手からは逃げてしまえばいい。
だがこの手紙に示された可能性は、そのような他人任せの二択では済まされない。
エリスとともに日本に帰るとすれば、まずは「エリスと別れる」と言った相沢との約束が嘘だったことを告白し、あらためて外国人の卑しい舞姫を日本に連れ帰ることを大臣や相沢、日本での生活で関わる全ての人々に受け入れさせなければならない。そのための強固な意志に支えられた自己主張と説得が必要になる。
それができずエリスと別れるとなれば、エリスに直接別れを切り出さなければならない。黙ってドイツを去るだけでは片付かない事態になったのである。そこにもまた同じ強固な意志による主張と説得が必要になる。といってエリスの妊娠が明らかになった以上、そのような意志を持つことは豊太郎には絶望的といっていい。
いずれにせよ、相手に任せた成り行きで事が決し、その後は、選ばなかった相手とは関わらずに済む(と思えた)abの二択では済まされない事態に陥ったのである。
cの選択肢は、豊太郎の弱点を確実に衝いている。
むろんabの選択においても本当は既に「強固な意志に支えられた自己主張と説得」は必要だったのだ。だが「逆境」におかれた豊太郎は、そのことを敢えて見ないようにしていた。この手紙によって示されたcの可能性が、自分が置かれた「地位」を、今こそ豊太郎の眼前にさらけだしたのである。
単に選択の前に置かれている、というだけでなく、選択するためには相手に「否」を言わなければならないという「立場」を。
通読に伴う大きな考察ポイントはこれが最後で、あと3章は一気に読み切る。そうしたらいよいよ小説全体を捉える読解に進む。
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