来週と再来週、Teamsの「会議」機能を使った「授業」を行います。「プレ講座」などと称していますが、つまりは「授業」です。
39県の緊急事態宣言が解除され、千葉県では陽性率も基準以下で、慣れないことをしなくても、ここまで感染者が減ってくれば学校も再開しそうな様相を呈してきました。
それでもまあ分散登校となれば、授業数は減ります。予定していた教材のすべては扱えないまま今年度は終わるでしょう。残りの休校予定2週間を漫然と過ごすよりはやれることをやろうと思い、半ば見切り発車でライブ配信の授業を開講することにします。
本当は「ホンモノのおカネの作り方」も授業で扱う予定はなかったのですが、授業開始までの埋め草として、メソッドを「教える」題材として扱い始めたら、豈図らんや協力してくれた人たちのおかげで、大いに充実した考察が展開できたのは予定外の幸運でした。
さて、年度初めから授業が始まっていたら、最初に扱おうと思っていたのはシラバスどおり「少年という名のメカ」です。扱う予定のなかった「ホンモノのおカネの作り方」と違って、小説の読解はライブでやりたいと思っていたので、授業が再開されるまでとっておいて、最初に、という思惑でした。
今回、教室でやるのとは違った形ではありますが、ライブ授業ということで、これを取り上げます。
ライブ授業では、授業と同じように教科書を脇で開いておいてください。しばしば、頁や行を言って、その本文を各自で読んでもらったりします。
特定の本文を読んでもらうだけなら端末の画面に本文を表示することもできますが、それでは受講者がそこだけしか見ることができなくなります。この小説で言えば本文は教科書で7頁にわたります。考えるためには自分で違う頁の違う部分を参照のために読んだりする必要もあります。そうした自由度が失われることになるので、本文を画面に固定することはしません。
受講者全員がパソコンでアクセスしていれば、いずれはデジタル教科書を使ったオンライン授業もできるようになるかもしれませんが、現状ではデジタル教科書は購入していません。またスマホでは画面の切り替えが不自由ということもあるでしょう。
ということで、必要な情報を自分で探す自由度を確保するためには、教科書を脇に置く方が良いでしょう。
ただし、ウインドウを切り替えて本文を見ることができるように、本文のPDFファイルを「ファイル」に置いておきます。ダウンロードしてお使いください。
ノートと筆記用具は任意です。上記同様、パソコンならば、画面を広くとれるので、ワープロソフトや「メモ帳」「ワードパッド」などのテキストエディタをノート代わりに、キーボードを筆記用具代わりに使うこともできます。
こちらは黒板がわりに、チャット画面を使います。チャット画面の文字情報はテキストコピーできますので、必要ならば自分で使っているテキストエディタにコピペできます。
一般的な授業における授業者の板書と生徒のノートの役割は、恐らく次のように理解されているはずです。
すなわち、授業者は「教える」べき学習内容を板書に書き出し、生徒はそれをノートに書き写して、後で見直して覚えるものだ、と。
「国語の学習とは何か」で述べてきた国語の学習のイメージは、これとは全く違います。
ノートの機能は板書を写して情報を保存することではなく、自分の考えをまとめるために、自分が考えたことを書き出すことです。
板書の機能は、授業で「教える」情報を書き出すことではなく、今みんなが考えようとしている問題に関して共有すべき情報を、常に閲覧可能な状態にしておくことです。例えば「問題」を提示したり、誰かの発言を書き留めたりします。これらは書き写して保存しておくことに意味があるわけではありません。情報として独立した完結性を持たないからです。
それでも、その時間に考えたことを後で思い出すための手掛かりとして保存しておきたくなったら、まあ黒板ならば書き写しても、チャット画面ならテキストのコピペをしてもいいのですが、あくまで、意味があるのは、その時に「考える」ことです。
さて、授業に先立ってまずは「少年という名のメカ」を読んでおいてください。既に休校に伴う家庭学習課題として要約をしたはずですが、あらためてもう一度読み直してください。
そして考えておいてください。
いったいこの小説をどう読んだら良いのでしょうか?
どう読んだら良いか、だって? 何のことだ?
いや、これはあたりまえのことです、すべての文章は、まずはどう読んだら良いのかを判断する必要があります(ここでは「どう読んだら良いのか」を「何が書いてあるか」と区別して使います)。
「どう読んだら良いのか」というのは、読むための構え、読むための枠組みのことです。
「どう読んだら良いのか」が既にわかっている場合は、ただ読めば良い。小説はエンターテインメントですから、楽しいか楽しくないかです。好きか好きじゃないかです。読みたいか読みたくないかです。
ところが「どう読んだら良いのか」がわからない小説も(マンガも映画も)世の中にはあります。楽しいか楽しくないかよりも、まずどう受け止めればいいのかがわからない。
「少年という名のメカ」は、そういう作品ではないでしょうか。
プレ講座は3回シリーズの予定です。3回の授業で、「少年という名のメカ」を読むことを通して、新しい「小説の読み方」を体験してもらおうと考えています。
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