情報消費社会における「必要」の地平は、差異化によって「常に更新されてゆく」。北の国で生きていくためには南の国の10倍の金が要る。
「本来的な必要/新しい必要」という対比はこのことをいうための対比だった。
だが「『贅沢』のすすめ」の「浪費/消費」の対比に対応する対比を「南の貧困/北の貧困」から探した折に、「本来的な必要/新しい必要」ではなく、その隣の行の「必要/需要」を挙げた者も多かった。
ではこの対比は何を意味しているのか?
付せられた形容が手がかりにはなる。
「人間に(とっての)必要/マーケットとして存在する需要」だ。
だがその言葉の意味を説明していくだけでは、その意味が「わかった」とは思えないはずだ。「人間にとっての必要」と「マーケットとしての需要」という表現は、それなりに「わかる」。わからないほど難解な表現ではない。だが両者を対比的に並べることによって何を言いたいのかを捉えないと、この部分が「わかった」とは思えないのだ。
対比を用いるのは、何かを明確にしたいからだ。だから「必要/需要」という対比が何を明らかにするための対比なのかを考える。
だがにわかにはその意図は読めない。
これは「本来的な必要/新しい必要」の変奏だろうか?
あるいは「主観・相対/客観・絶対」の?
「主観・相対/客観・絶対」という対比は「新しい必要」の「地平」の高さが「客観・絶対」的であることをいうための対比だ。「本来的な必要」が「主観・相対」的なわけでもないから、上の二つの対比軸は全く別の位相にある。
「必要/需要」という対比はまたさらに別の対比軸に沿って配置されている。
本来的な必要であれ新しい必要であれ、既に見たように現代の情報消費社会は、人間に何が必要かということに対応するシステムではない。「マーケット(市場)」として存在する「需要」にしか相関することがない。
上の文では「本来的な必要/新しい必要」という対比は「であれ」で接続する「並列」だ。だがそこまでの論は、やはりこれを「対立」と見なすことで進んできたのだ。
そのうえで、この一節は、語順を変えて「既に見たように現代の情報消費社会は、本来的な必要であれ新しい必要であれ、人間にとっての『必要』に対応するシステムではない。マーケットとして存在する『需要』にしか相関することがない。」と並べ替えてしまえば明らかなように、「本来的な必要/新しい必要」が「人間にとっての必要」とまとめられているのである。その上で、それと「需要」が対比されているのである。
そしてさらに「必要/需要」は「ではない」で挟まれているのだから、明らかな「対立」的対比項目だ。
では「必要/需要」という対比によって何を明らかにしたいか?
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