「必要/需要」という対比によって明らかにしようとしているのは何か?
この文章は、大きく言えば「貧困はなぜ起こるのか?」について述べている。だから「本来的な必要/新しい必要」という対比によって明らかにしたいことも、そのまま展開していけばそこに辿り着く。そのための一つの前提を導くための対比である。それは確認したのだった。
同様に「必要/需要」も、やがて貧困が起こる機制(=仕組み)に辿り着く。
そのための論理の筋道を見つけることがここでの目標だ。
そして「言いたいこと」の最後は「だから貧困が起こる」であるはずだ。その事を忘れず、そこまでの論理展開をたどらなければならない。
どうすればいいか?
まず、問題の二文を、「システムは」を主語とする「~ではなく、」型の一文に言い換えてみよう。
本来的な必要であれ新しい必要であれ、既に見たように現代の情報消費社会は、人間に何が必要かということに対応するシステムではない。「マーケット(市場)」として存在する「需要」にしか相関することがない。
↓
現代の情報消費社会のシステムは、人間の「必要」に対応するのではなく、市場の「需要」にしか相関していない。
これは単なる構文の変換操作だが、こうした操作を、潜在的にであれ、論理操作において自然に行えることが、解釈の助けになる。
「対応していない」はその後の文脈で何と言い換えられているか?
「関知しない」である。
システムは「需要」に「相関」する。だが「必要」には「関知しない」のである。
「だから?」と問いながら小さな結論を確認していくことで論理展開を進めていく考察方法もある。
一方で、結論から迎えにいくこともできる。論理は、両方から接点を探っていくのが有効だ。
「だから貧困が起こる」という結論にいたる直前の論理展開と思われるのは、本文のどこか?
「~関知するところではないという落差の中に『北の貧困』は構成されている。」というくだりだ。
「関知しない」は「落差」を生み、それが「北の貧困」を生んでいるのだ。
「落差」とは何と何の「差」?
こう聞くと、「本来的な必要/新しい必要」だとか「必要/需要」だとか考えたくなるのは授業の展開上尤もではあるが、論理的ではない。「金持ちと貧乏」という珍妙な答えも各クラスで出てきた。貧乏は既に「貧困」なのであって、金持ちと貧乏の落差によって貧困になるのではない。金持ちとの落差によって貧乏なのだとしたら、それは「相対的」ということだ。
何と何の間に「落差」があると「貧困」になるか?
小学生でもわかる、と言うと皆、素直に考える。
「必要なお金」と「持っているお金」の「落差」である。
次の一節は、それを言っているのだ。
システムがそれ自体の運動の中で、ますます複雑に重層化され、ますます増大する貨幣量によってしか充足されることのできない必要を生成し設定しながら、必要に対応することはシステムにとって原理的に関知するところではないという落差
前半は「必要なお金」の水準が高いことを言っている。これは前の「本来的な必要/新しい必要」の対比から得られた結論だ。
「ながら」は並行の助詞ではなく逆接の接続助詞。「必要は高い水準に設定されるけれども」の意味。
そして後半「必要に対応することはシステムにとって原理的に関知するところではない」は「持っているお金」がどうだと言っているのか?
対比されている対立項目を結論に結びつけるには、先ほどの一文の語順を変えると良い。
現代の情報消費社会システムは、人間の「必要」に対応するのではなく、市場の「需要」にしか相関していない。
よりも
現代の情報消費社会システムは、市場の「需要」に相関するだけで、人間の「必要」に対応していない。
という方がわかりやすい。
この「対応していない」が「対応は関知していない」に言い換えられるわけだ。
これは「保障しない」くらいのニュアンスだと考えればいい。
人間の「必要」を保障しない…。
「保障」は「保証・補償」との同音異義が問題になりやすいが、基本的には「障害から保護する=困らないように守る」という意味だ。つまり、必要を満たすだけの「持っているお金」を供給することなど「保障しない=関知しない=対応しない」のである。
システムは「必要」を満たすため高いお金が要るよう「地平」をつり上げる。だがそのお金の供給は保障してくれない。
これはまさしく「貨幣への疎外」の上に「貨幣からの疎外」があるということだ。
「北の貧困」もまた「二重の疎外」に拠るのである。
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