2021年2月22日月曜日

南の貧困/北の貧困 9 必要を需要に翻訳するパラメーター

 以上の論理展開を把握した上で152頁下段から153頁上段までを通読してみよう。最初にはちんぷんかんぷんに思えた論理が、こんなふうに込み入った文脈で表わされていることが、何とか読み取れるようになっているはずだ。

 そうすると、最初にはやはり難解だった次の一節も、その勢いで読みこなせる。

それはシステムの排出物である。つまりシステムの内部に生成されながら外部化されるものである。

 システムは「対応しない」=「関知しない」から、貧困は「外部化される」=「排出される」。

 これが「排出物である」という名詞化された比喩になっているからわかりにくいのだ。文脈と論理をたどっていけば、難しいことを言っているわけではないのに。

 システムは貧困を生むが、救済はしない。


 そこで登場するのが「福祉」だ。

 このキーワードも、文中に登場するまでに、まず「政策的『手当て』」という比喩で語られ、「失業保険制度」という具体例を経て、抽象化される。

  • 比喩  手当て
  • 具体例 保険制度
  • 抽象語 福祉

 こういう対応関係を把握することが必要なように、「現代の情報消費社会のシステムの、原理上の矛盾に対応する、「福祉」という補完システムによる手当て」といった表現が、スッと腑に落ちにくいのは確かだが、次のような表現上のつながりがあることは読み取らなければならない。

  • システムにとって原理的に関知するところではない
  • 現代の社会のシステムの原理上の欠落補充する
  • システムの、原理上の矛盾に対応する、「福祉」という補完システム
  • 社会の原理的なシステムによっていったんは外部化され排出された矛盾の、第二次的な「手当て」
  • システムの矛盾補欠する

 「原理的」と「原理上」のつながりがわかれば「欠落」が「関知するところではない」の言い換えであることがわかり、さらに「矛盾」と言い換えられていることが「外部化され排出された矛盾」で確認される。

 つまり「福祉」はシステムが「関知しない」=「欠落・矛盾」=「貧困」に対する「補充・補完・補欠」なのだ。


 読み方、考え方のこつがわかれば、こうして読み進められる。

 次のような一節も。

必要を需要に翻訳するパラメーターは貨幣を所有することであるが、特別な資産を保有するのでない限り、労働する機会か能力の欠如は、この翻訳するパラメーターの欠如にほかならないからである。

 見田宗介には、本当にいい加減にしてほしい。こんな言い回しをする必要がどこにあるのか。だがまあできてしまうとやりたくなるんだろう。美意識を共有すれば快感なのかもしれないが、ここまで伝わりにくくていいのか?


 とりあえず「必要を需要に翻訳するパラメーターは貨幣を所有することである」を解釈しよう。先の対比の考察では「市場の需要に相関」より「人間の必要に対応」の方が重要だったから、「需要」の方を考えなかったが、今度は看過できない。

 「市場として存在する需要」とは何だったのか?


 「人間にとっての必要」とは、個人個人がそれを欲しているところの「必要」だ。その集合が「市場として存在する需要」なのか?

 そうではない。皆が欲しがっている、だけでは「需要」ではない。

 皆の「必要」が「市場」を形成するということは、そこに売買が成立するということだ。

 つまり欲しい物を買える人がある程度の規模で存在しているという状態が「市場としての需要」がある、ということだ。

 「必要を需要に翻訳するパラメーターは貨幣を所有することである」は、逆に言えば「お金がなければ必要を需要に翻訳できない」と言っているのだから、つまり、「お金があれば物が買える(お金がなければ物が買えない)」と言っているに過ぎない。


 「労働する機会か能力の欠如は、この翻訳するパラメーターの欠如にほかならない」は「働いていなければお金を持っていない」だ。ただし「特別な資産を保有しているのでない限り」だ。働かなくても金を持っている少数の例外に一応言及しているのだ。


 続けて言うと「物を買うにはお金がいるが、働いていない人はお金を持っていない」だ。

 これが、「からである」なのだから、以下の理由になっているということだ。

「労働する機会のない人々」と「労働する能力のない人々」という実際上の(福祉の)対象規定は、現代の社会のシステムの原理上の欠落を補充するものとして、完璧に論理的である。

 どういう「論理」か?

 「原理上の欠落」は先述の「システムは人々が金を持っていなくても関知しない」だ。つまりシステムは「貧困」に「対応しない」ということだ。

 対応するのは「福祉」であり、その対象は働いていない人だ、と言っているのだ。当然だ。働いていない人はお金を持っていない人である。だから彼らにお金を与えることが「福祉」なのだ。「完璧に論理的である」というのは当たり前のことだと言っているだけだ。


 結局、この段落(153頁下段)全体は、

  • 「福祉」の対象は「働いていない人」だ。
  • 物を買うには金が必要だが、「働いていない人」には金がないからだ。

 と言っているのである。

 言っていることは、あまりに当たり前のことだ。そう思って読み返してみてほしい。あまりに呆気なく、それだけのことを言っているに過ぎないことに驚くだろう。

 驚いてほしい。


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