下人の「心理の推移」が、どのような論理によって引剥ぎという「行為の必然性」を導き出すのか?
だがこれは依然として解答の難しい問いだ。
そこで「心理の推移」と「行為の必然性」を結びつけるために、問いを変形する。
「なぜ引剥ぎをしたのか?」という問いには、直前の段落から「~から」の形で答えられる一節が探し出せる。どこか?
「勇気が生まれてきた」である。もちろんこれは「盗人になる勇気」だ。⑤「憎悪」から⑨「冷然と」までの「心理の推移」は、直接には下人の心に「盗人になる勇気」を生んだのである。それが「引剥ぎ」という「行為」に結果する。
したがってまずは問いを「なぜ『勇気が生まれてきた』のか?」と置き換えよう。
奇妙な心理の推移の果てに、この「勇気が生まれてきた」という帰結がある。
だがそれはなぜかと考えることは依然として難しい。
実は授業者にとっても、そのような問題設定から始めて、後に述べる結論に至ったわけではない。手の内を明かせば、「心理の推移」について分析しているうちに不意に授業者が「わかった」と思ったのは、「勇気が生まれてきた」理由ではなく、冒頭で「勇気が出なかった」理由だった。
そこでさらに問いを変形する。
⑩「勇気が生まれてきた」のはなぜか?
ではなく、
②門の下で「勇気が出なかった」のはなぜか?
と考えるのである。
そして「出なかった」理由の解消こそ「生まれてきた」理由である。
ここからの議論のために問題を整理しておこう。
門の下で下人にあった②「迷い」とは何か?
a 飢え死にをする/b 盗人になる
という選択肢の間に揺れる逡巡である。
この選択はどのような論理の対立か?
従来の主題設定からすれば
a 正義/b 悪
あるいは
a 良心・倫理/b 利己心・エゴイズム
だろうか。
このとき、bを選ぶ勇気が出ないのはなぜか?
従来の主題把握に拠れば、「b 悪」を選ぶことを肯定する「老婆の論理」をまだ持っていなかったから、ということになる。
だが老婆が語る理屈は下人にも既にわかっていたことだ。わかっていてできないでいたことを、単に開き直っていいと言っているだけの口車に乗って、その真似をして引剥ぎをすることに、大仰な主題を想定するのはばかげている。
もう一つ、下人はまだ自分の置かれた状況を真剣には考えていなかったからだ、という理由も考えられる。つまりまだそれほどお腹が空いていなかったのだ。
勿論そんなふうに読むこともできない。そのように考えるならば、この小説は、自らの置かれた「極限状況」を自覚して、それに対峙する話、ということになる。つまり、小説内で徐々に下人を飢えさせ、焦燥感にかられるように進行しなければならない。だが先述の通りこの小説にはそのような過程は描かれていない。
bを選べないのは、aの引力が強いから、というのが自然な論理だ。つまり、なぜ「勇気」を持てなかったのかといえば「正義感・良心・倫理感」が強いから、ということになる。これは⑤の分析とも合致する。⑤の悪に対する激しい「憎悪」は下人の正義感の強さの表れなのである。
だがこうした解釈は、⑦「安らかな得意と満足」や⑧「失望」との間で強い違和感を生ずる。老婆の行為がどのような意味で「悪」なのかが明らかにされていないのに、それを問うことなく取り押さえただけで「安らかな得意と満足」を感じるのは「正義」か。「鬘にしようと思った」という「平凡」な答えよりもっと「非凡」な、「許すべからざる悪」を期待するのは「正義感」か。
では何がbを選ぶことを下人に躊躇わせているのか?
この機制を解き明かす鍵は、授業者の想定によれば、先ほどの⑤「憎悪」の分析である。
分析された「憎悪」の描写の特徴は、下人の「憎悪」がどのようなものであることを示しているか? それはすなわち、その対象となる「悪」を下人がどう捉えていることを示しているか? そうした認識と下人が「勇気」を持てなかった理由とはどのような論理をなしているのか?
大詰めだ。
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