ところで「ぬくみ」とは何か?
本文中には一度も「ぬくみ」という言葉が登場しない。
とりあえず「ぬくみ」という単語はどういう言葉なのか?
「甘み」と「甘い」という関係から「ぬくみ」は「ぬくい」という形容詞の名詞形であると推測される。「ぬくい」は関西圏で使われる傾向のある言葉で、関東圏にとっては「あたたかい」の方が馴染みがある。それを名詞化するならば「あたたかみ」あるいは「あたたかさ」であり、「ぬくい」も、「ぬくみ」よりは「ぬくもり」という名詞の方に馴染みがある。
本文中に登場しないこの言葉を、先ほどの一文要約に使ってみる。
既に作った文によっては操作は難しくない。「現代の人々はつながりを求めている。」を、そのまま「現代の人々はぬくみを求めている。」と言ってしまえばいいのだ。
実は「ぬくみ」という文章は、教科書の2部の冒頭に収録されているからという理由だけで読み出したのではない。
前項の通り、部分的に難しいと感ずるところはなく、なのにつかみ所のない文章だ。読解によって何かが明らかになっていくわけではないから、単体では取り上げる気にはならなかったかもしれない。
だが、年度始めに取り上げる意義はある。読み比べには使える文章なのである。
読みながら、それを想起していただろうか?
お相手は「『である』ことと『する』こと」である。
考え方の基本方針は了解されているか?
本文から根拠を引用して、と指定すると、似た趣旨のことを言っていると感じられる箇所をそれぞれの文章から指摘する、というのがとりあえずの発想になってしまうが、それがなぜ似ていると感じられるかは、全体の論旨の中ではじめて納得される。
したがって、考え方の基本方針は、昨年度の読み比べでもやったように、「である/する」図式に、「ぬくみ」の論旨を位置付ける、という方向で論を立てることである。
「ぬくみ」のどこがどのように「である/する」図式に対応するのだろうか?
それでもとっかかりが掴めなかったら、直截的な手がかりとして、共通する語彙に注目する。
何を取り上げるか?
もちろん重要な語彙、いわゆるキーワードでなければ手がかりにはならない。
そうした条件にあてはまるのは「近代」という語である。
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