2020年12月6日日曜日

こころ 43 「もっと早く死ぬべきだのに」

 次に考慮すべきなのは、Kの遺書の最後にあった「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」である。

 ここからKの心理を読み取るべきだと考えるのは自然だ。他の部分がよそよそしい「用件」であるのに対して、ここだけは何やら本音らしき感触がある。

 これ以外の部分は、自殺実行の12日前に書かれたものであるという解釈を前提に考察を進めている。

 遺書にある「薄志弱行で到底行く先の望みがないから、自殺する」は、その日の昼間Kが「私」に言った「自分が弱い人間であるのが実際恥ずかしい」「僕はばかだ」を反復・整理したものであり、自ら口にした「覚悟」の確認として書かれているということになる。

 このことはKの自殺の基本的な動機が前節の②「現実と理想の衝突」によるものであり、その意味ではお嬢さんと「私」の婚約に関係ないことを示している。遺書が書かれたのは「私」と奥さんの「談判」の一週間前のことなのだから。

 もちろん、Kにとってはお嬢さんの婚約が問題なのではなく、お嬢さんを好きになったこと自体が問題なのだから、Kの自殺の動機にお嬢さんが無関係だとは言い切れない、ということは可能だ。

 だが遺書の本文が前の週に書かれていたという解釈は、少なくともKの自殺は「私」とお嬢さんの婚約を知ったからだ、というミスリードから読者を解放する。


 それではこの「文句」から、Kの死の動機を考える上でどのようなヒントを読み取ればいいのだろうか。

 例えばこの「文句」については従来、「もっと早く」とはいつのことか、といった問題が考察の対象となってきた。

 前述の前提に拠れば、その一つの解釈としてこの遺書の本文を書いた十日余り前を指しているのだと言うことも可能である。

 昼間「私」に向かって言った「覚悟」に続く自己確認としての遺書をその晩のうちに書き上げたKは、だがその覚悟を実行には移さなかった。

 そのことを、遺書まで書いておきながら「なぜ」「もっと早く」実行しなかったのか、と言っているのである。


 この解釈は、ではなぜこの晩は実行に移したのかという疑問とともに、逆に「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」というK自らの疑問に対する答えを要求する。

 なぜ遺書まで書いたのに実行はしなかったのか?

 この疑問については一つの答えがある。それは「私」が目を覚ましたから、というようなことではない。あるいは、何かがKを思い止まらせたということでもない。単に「覚悟」はあくまで「覚悟」であって、すぐにそれを実行に移すという「計画」や「決意」ではないからである。

 Kは「弱い自分をどうするつもりか」という問いに「そんな自分を所決する覚悟はある」と答えているのであって、それを書面に書き付けることがこの晩のKには必要だったのだ。

 「けれども彼の声は普段よりもかえって落ち付いていたくらいでした。」という描写はそのことを意味している。だからなぜ実行しなかったかといえば、それを実行に移す充分な動機がその時点でのKにはなかったというに過ぎない。

 これは心理的な問題であると同時に物語的な必然である。Kが自殺するには、やはりその後の展開が必要なのである。

 そしてこの「覚悟」を言明させたKの自殺の動機は、もちろんその日初めてKの裡に宿ったわけでもない。下宿に来る前の「神経衰弱」から既にKの裡にはその思いが宿っている。とすればその動機にお嬢さんが関係ないことは明らかだ。

 お嬢さんの存在が動機に関わっているとしても、たとえば房州旅行の際の次の一節がKの「覚悟」の先触れであることは明らかである。

ある時私は突然彼の襟首を後ろからぐいとつかみました。こうして海の中へ突き落としたらどうすると言ってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうどいい、やってくれと答えました。私はすぐ首筋をおさえた手を放しました。(「下/二十八」)

 これは「K」が実際に自殺することになるなどとは読者が知らぬ時点で語られたエピソードだから、読者はさしたる緊張感を持たずに読み流すかもしれない。遺書の筆者である「私」は無論この先に「K」の自殺があったことを知っているにもかかわらず、ここではこのエピソードの重要さを意図的に伏せて――言わば「とぼけて」――何も知らない読者と同じ視点でしか語っていない。

 だが、振り返って見直すと、この時の「K」の落ち着きは、後の「覚悟」を先取りしていると考えるべきなのであり、「もっと早く」というのならこの時点を指してもいいし、先述の通り下宿する前をすら指していると考えていいのである。

 そして、上野公園の散歩の晩に遺書を書いたからといって、直ちにそれを実行に移すような事態の変化があったわけでもない。したがって、遺書を書いたのにすぐに実行しなかったのは別に不思議なことではない。


 冒頭に提示したKの「死因」のうち、②「現実と理想の衝突」こそ「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」という自問の中の「死ぬべき」であることの根拠である。

 そして、ではなぜ問題の晩は実行に移したのかという疑問に対する答えが③の「たった一人で淋しくって仕方がなくなった」から、ということになる。

 これこそ「遺書を書いたのになぜ実行しなかったのか」という疑問の答えでもある。遺書を書いた時点では③ではなかったからである。

 この「淋しさ」とは何か。この遺書への追加の述懐に込められた心理とはどのようなものか。どのような契機がKを自殺の実行へと駆り立てたのか。


0 件のコメント:

コメントを投稿