2020年12月11日金曜日

こころ 番外編 第3回定期考査

  定期考査も3回目、漢字テキストから出題する例の問題形式にも慣れたろうか。

 こうした出題の趣旨については一度書いたことがある(7月15日記事)。

 メッセージをシンプルに言うと、ただ覚えようとしないで考えろ、ということだ。

 漢字の意味を考え、共通する部分のある漢字と結びつけ、連想の働くようにしつつも意識的に区別する。

 問われているのは暗記力や単なる努力ではない。語彙力、すなわち言語的思考力と日常の言語生活、つまりは国語力だ。


 「こころ」文中の語彙の意味を選択する問題は、意外に正答率が低い。上記語彙問題とともに、返却後にしっかりと見直すべし。


 さて最後の記述問題について少々。

 5点満点の評価をしたのは6クラス240人中、4人。B組のTMさん、HAさん、D組のKMさん、H組のYAさん、以上。

 あの時間内に的確にその趣旨を読み取って、そのことを的確に表現するのはかなり難しかったはずだ。素晴らしい。


 やがて夏も過ぎて九月の中頃から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事になりました。Kと私とは各自の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。私がKより後れて帰る時は一週に三度ほどありましたが、いつ帰ってもお嬢さんの影をKの室に認める事はないようになりました。たしか十月の中頃と思います。私は寝坊をした結果、日本服のまま急いで学校へ出た事があります。穿物も編上などを結んでいる時間が惜しいので、草履を突っかけたなり飛び出したのです。その日は時間割からいうと、Kよりも私の方が先へ帰るはずになっていました。私は戻って来ると、そのつもりで玄関の格子をがらりと開けたのです。するといないと思っていたKの声がひょいと聞こえました。同時にお嬢さんの笑い声が私の耳に響きました。私はいつものように手数のかかる靴を穿いていないから、すぐ玄関に上がって仕切の襖を開けました。私は例の通り机の前に坐っているKを見ました。しかしお嬢さんはもうそこにはいなかったのです。私はあたかもKの室から逃れ出るように去るその後姿をちらりと認めただけでした。私はKにどうして早く帰ったのかと問いました。Kは心持が悪いから休んだのだと答えました。私が自分の室にはいってそのまま坐っていると、間もなくお嬢さんが茶を持って来てくれました。その時お嬢さんは始めてお帰りといって私に挨拶をしました。私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかるような人間だったのです。


 下線部、履物についての言及がなぜあるのか、という問い。

 「いつもと違うことが起こることを暗示している」は、出来事を小説内の機能という面から捉えようとする読解は、それなりに授業の学習効果の賜物とも思えるが、ここでは考えすぎ。この出来事がそれほど特別なものとはいえない。

 「私が急いでいた(焦っていた)ことを表わす」は、間違ってはいないが、あまりにそのまますぎて、ほとんど意味のある説明になっていない。

 上記いずれも、記述に挑戦する心意気は買うが、この問題については0点。


 「急いでいたので、Kが休んでいることを確認していないことを表わす」は、後の「Kよりも私の方が先へ帰るはず」「いないと思っていたKの声が」などと関連づけてある分、「意味」があると感じられるが、これでは履物の種類にまで言及することの「意味」が充分には立ち上がってはこない。2点。


 「読解」とは、テキストの複数箇所(あるいはテキスト外の何らかの情報)を結びつけることで、あらたな「意味」を読み取る(有意味化する)行為だ。


 さて、問題部分は、実は出題のために原文をいじってある。難易度を上げるために太字「いつものように手数のかかる靴を穿いていないから」を省略した。

 意地悪だ。ここがあればわかった人も増えるに違いない。

 草履だったことは、玄関からKの部屋へ上がるのに時間がかからなかったことに理由を与える。このことを述べた人は、これがどのような「意味」を持つか、についての予想ができている。ここまでで3点。

 これと「私はあたかもKの室から逃れ出るように去るその後姿をちらりと認めただけ」「私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌けた男ではありません。それでいて腹の中では何だかその事が気にかかる」を結びつける。

 お嬢さんは単にお茶の用意をしに台所に行っただけかもしれない。だが「私」はそれを「逃げた」と捉えてしまう。

 それはお嬢さんをKの部屋に見たタイミングが微妙だったからだ。

 玄関から上がるのに時間がかからず、お嬢さんが「Kの室から逃れ出るように去る」のを見る。ということは、もしも玄関で履物を脱ぐのに時間かかっていたならば、お嬢さんは完全にKの部屋を出てしまっていたかもしれない。そうなれば「私」はお嬢さんがKの部屋にいたことを知らないままだった。

 この可能性がかえって、お嬢さんはKの部屋にいたことを「私」に隠そうとしたのではないか、という疑念を「私」の中に芽生えさせてしまう。隠そうとするということは、すなわち…と。

 玄関で靴紐を解く時間がかかっていて、なおかつお嬢さんがそのままKの部屋にいたとすれば、いたことをことさらに隠そうという意図がないのだと感じられる。

 思いがけず玄関を上がる時間がかからず、かつお嬢さんは微妙なタイミングで部屋を出たという偶然が、この疑念を生んでしまう。


 履物についての言及が、朝の時点での「私」の何らかの心理を表わすという視点から解釈することももちろん場合によってはありうるだろうが、ここでは上記のように考えた時により大きな「意味」をもつ。

 朝、履いたのが草履だったのは偶然であり、その偶然は明らかに作者の意図的な仕掛けだ。

 このような解釈をするためには、「登場人物の心理」だけでなく、「作者の意図」といった視点が必要だ。

 一連の「こころ」読解においては、しばしばこうした視点を用いて、テキストの示す「意味」を捉えてきた。

 その応用問題である。

 こうした趣旨を読み取って的確に表現した上記4人、誇っていい。


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