2020年12月7日月曜日

こころ 45 「淋しさ」という「死因」

 Kはなぜ死んだか?

 上に確認した諸点を総合して、Kの心理をたどってみよう。


 「襖」と「血潮」の描写が示している象徴性が意味するところは明らかだ。

 「襖」は「二人の心の壁(距離・隔たり…)」の象徴である。つまり襖を開けるとは相手に心を開くことを意味している。

 また「血潮を顔に浴びせる」という隠喩は、平たく言ってしまえば「真情を伝える」ことを意味する。Kの死に際して、作者は明らかにこの暗喩と相似形の構図を意図的に作っている。

 これらの象徴的な意味に従って読めば、Kは自殺に際してもなお「私」と心を通わせようとしていたということになる。

 これは読み間違えようもないほど明白に、作者から読者へ示されている。

 だが「血潮」の象徴性はむろんのこと、「襖」を開けるという現実的な行為の意味についてすら、罪悪感で頭がいっぱいになっている「私」は思い至らない。

 そしてそのことに「私」が気づかないことによって、読者もまたこれほどあからさまな象徴的意味について気づくことが難しくなっている。

 Kは「私」に心を開こうとしている。それゆえにこそKは「たった一人で淋しくって仕方がなくなった」のだと考えなければならない。


 「私」がKの「死因」として思い至った「淋しさ」がどのようなものであるのかは、それについて書かれた五十三章を参照する必要がある。先の引用部分、「私」がKの「死因」について再考する部分の直前は次のように書かれている(プリント参照)。

私は妻からなんのために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。

 これを受けて「Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうか」と「私」は考える。自らの死の間際に辿り着いたこうした「私」の結論は、作者の意図として尊重されるべきだろう。


 ここで述べられているのは、平たくいえば意思疎通の不全だ。「私」は愛する奥さん(かつての「お嬢さん」)に心を打ち明けられないまま結婚生活を送っている。

 この「たった一人」という認識を、Kもまた持ったのではないかと「私」は思い至る。問題はこの「たった一人で淋しい」だ。


 この「淋しさ」を「お嬢さんを失った」+「友人に裏切られた」ことに拠るものだと捉えてしまうのは、作者の仕掛けた「私」の誤解によるミスリードによって誘導された誤読である。「たった一人で淋しい」をそのように解釈したのでは、①「失恋」とかわらない。

 では、Kは奥さんから婚約の件を聞いた時、自分が友人からそれを聞かされていなかったことに衝撃を受け、友人がそのことを自分に話してくれなかったことに絶望したのか?

 いやむしろ、自らが友人の気持ちに気づかなかったことに衝撃を受けたのか?


 だがこれはKの死因を③「たった一人で淋しい」に負わせすぎている。

 「お嬢さんを失った」+「友人に裏切られた」から絶望して死んだのだ(①)という論理を今度は「友人が話してくれなかった」+「自分が友人の気持ちに気づかなかった」から淋しくて死んだのだ(③)と変更するのはいささか単純に過ぎる。

 この単純化によって生じていると思われる読解について、みんなの回答に頻出する二つの論点を以下に取り上げて検討する。


 一つ目の論点。
 「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」をどう考えるか?
 たとえば「もっと早く」とはいつのことか、という問題がこれまでにも議論されてきたことは前にも述べた。いくつかの解答例を挙げてみよう。
 お嬢さんの結婚を知るより前に?
 ただちに思いつく解答の一つだが、こう考えてはならない。Kにとってお嬢さんの結婚が自己所決を後押しする要因になったりはしない。これは死因をA「失恋」と考えるところから生ずる誤読である。だがうっかりするとそのことをつい忘れてしまう。
 では、友人が自分に話してくれなかったという孤独を自覚することになるより前に?
 これも、木曜日より前に、と考える点では同じだ。どちらにせよつまりは奥さんからその事を知らされることがKを死に追いやっているのであり、最初に考えたKの自殺の動機①「お嬢さんを失ったから」と②「友人に裏切られたから」のどちらが主因かを言っているだけだ。
 「もっと早く」とはたかだか二日前の木曜以前を指しているのだろうか?
 では、10日あまり前、遺書を書いた時に?
 これは遺書が所決の12日前に書かれたという解釈の後では、一つの有力な納得の決着点ではある。だが実はこれもまた、問題の木曜日より前に、と考える点では同じなのだ。
 ならば、お嬢さんを好きになるより前に?
 あるいは下宿に来るより前に?
 だがそもそも、Kの問題は下宿に来ることによって生じたのだろうか?
 教科書の部分しか読んでいないとピンとこないが、「私」の言葉によればKは下宿に来る前から「神経衰弱」だったではないか。
 前に書いたとおり、Kの「現実と理想の衝突」はKの理想が不可避的に突き当たらざるを得ない袋小路なのだ。「現実」とは、単にお嬢さんを好きになったというようなことではない。これでは結局「私」フィルターによる錯覚から逃れられていない。

 上の候補は、どれも間違っていないが、どれかと考えると不都合を生ずる。
 だから「もっと早く」とはいつか? と問うてはならない。
 いつか、と考えることは、何より前か、と考えることだ。
 だがKにとって、いつだって「死ぬべき」だったのだ。

 なぜこの問いが生まれるか?
 それは「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」を「もっと早く死ねば良かった」と言い換えてしまうからだ。
 この言い換えはとても自然に行われてしまうので、そこに疑問を抱くのは難しい。
 「もっと早く死ねば良かった」は後悔を表わしている。
 こう言い換えたとたんに、「もっと早く」とはいつより前のことか、が問われる。
 そうではなく、これは素直にそのまま、疑問を表わしているのではないか?
 つまりK自身が、いつなら良かったのかを問うているのだ。
 問題はこの疑問がKの裡に生じた理由と、その疑問に対する解答である。
 それには、「急に」と表現される自殺の決行までに実は経過してた「二日余り」について考えなければならない。

 二つ目の論点はこの「二日余り」をどう考えるかに関わる。
 「二日余り」の間、Kは「私」が正直にこれまでのことを話してくれるのを待っていたのだ、という解釈を述べた者は多い。Kは何も語らない「私」と過ごしながら「たった一人」=「孤独」の中で「淋しく」なっていったのだ、と。
 だがこの解釈には違和感がある。
 たとえば、言ってくれるのを待っていた、というような受動性が、「果断に富んだ」Kに似つかわしくない、とも言える。
 言ってくれるのを待っていたが言ってくれないので淋しくて死んだ?
 こんなふうに考えるのはKの人物像に合致しているとは思えない。

 それよりも根本的な違和感は、それでは察しが良すぎる、という感じがすることだ。
 「私」が言うのを待っていたということは、なぜ「私」が言わなかったのかがKにはわかっていたということだ。本当にその理由が見当もつかなければ、Kは素直に質問してしまうかもしれない。
 だがわかっていたならば「私」が言うはずがないこともわかるはずだ。そこまでの間、ずっと黙っていた「私」が、木曜日以降に話す気になる必然性はない。したがって、この二日間、「急に」話してくれることをKが期待したりはすまい。
 確かに意識下ではそれを期待していたといってもいい。「私」が話していたら、おそらく悲劇は(当面)回避されたはずだ(もちろんKにとって根本的な問題は解決していないが)。
 だがKがそのことを意識して待っていたと考えるのは、Kが奥さんの話を聞いて事態の真相を了解し、「私」が言わないことによって孤独になったのだという解釈から遡って派生した想像である。
 それでは①「失恋」が③「孤独」に変わっただけで、結局「私」主観のミスリードから逃れていない。

 問題の「二日余り」に何があったか。
 Kは何を考え、どのような思いにとらわれていったのか?

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