2020年7月10日金曜日

山月記 5 李徴にとって詩とは何か

 もう一つ、考える手がかり&条件として、次の点も指摘しておく。
なるほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)欠けるところがあるのではないか
 これはどうみても気になる表現である。
 ここで述べられている、李徴の詩に「欠けるところ」とは何か?
 もしくは、作者はなぜ李徴の詩に「欠けるところ」があるなどと感じさせているのか?

 これら「何?」「なぜ?」もまたさまざまなバリエーションで表現される。いずれにせよ、一貫した説明の中に適切に位置付けられる表現を発想することが肝要である。
 まずはあれこれアイデアを出し合ってみたい。

 最も素直な答えは、李徴の才能がその程度であることが端的に表現されているのだ、という解釈である。
 とすると、なぜ作者はそうであることを読者に伝えているか、という点が問題だ。李徴の才能は「第一流」には届かない。そのような設定は、どのような論理に組み込まれるべきなのか?

 だが、そういうことではない。袁傪が言っているのは、「素質」は「第一流」だが、「作品」が「第一流」には「欠けるところがある」ということだ。
 「素質」が「作品」に結実しない、どのような事情があるのか?

 だが、この謎への解答は、次頁の次の一節が言わば種明かしになっていると考えられるはずである。
おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
 つまり厳しい鍛錬の場にさらされていないのである。本人の才能だけでは到達できない修行の跡が見られないのである。

 さらに、一つの方向性として、李徴が自作の詩の伝録を袁傪に依頼した場面の次の記述から、この問題を考えてみる。
 次の二つの記述からわかることは何か?

  1. 作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。
  2. 恥ずかしいことだが、今でも、こんなあさましい身となり果てた今でも、おれは、おれの詩集が長安風流人士の机の上に置かれているさまを、夢に見ることがあるのだ。

 もちろんここからは李徴の詩への強い執着が読み取れる。
 だがとりわけ後者に注目してみると、その執着の方向について、ある表現ができそうである。これを次のように表現してみる。
李徴にとって詩は  ではなく  である。
 これもまた、対比を用いて捉えるべきことを明確にするメソッドの応用である。
 
 「詩への強い執着」を読み取ろうとすると、  には「夢」「願望」などという言葉が想起されるが、それでは  に入る言葉が思いつかない。そもそも「夢」では強いのか弱いのかもわからない。
 話し合っているうちに、李徴は純粋に良い詩を書きたいと思っていたのではなく、名声がほしかっただけなのだ、といった分析を語る者が表れる。
 適切な分析である。
 これを、このブログの最初の頃の言葉を使って表現するとさあ…、と促すうち誰かが狙いどおりの言葉にたどりつく。
李徴にとって詩は目的ではなく手段である。

 この認識は李徴の詩の「欠けるところ」についての考察にも一つの解答を与える。
 つまり李徴は詩を道具として扱っているのだ。芸術としての詩に真摯に向き合っていない。そうした姿勢が袁傪をして「欠けるところ」があると感じせしめているのである。

 世の中には「山月記」の悲劇を、詩への執着によって心を狂わせた悲劇として捉える論考がある。
 確かに文学者や芸術家が、自死や発狂といった悲劇に向かう例は歴史上数多くある。李徴の悲劇をそれらと並べ、芸術至上主義や、言葉や文字の憑依といった方向から捉え、同じ「古譚」作品群の一つ「文字禍」と結びつける。
 だがそれは「山月記」という小説から遊離した妄想である。
 李徴の詩への執着は、芸術創造への耽溺ではなく、名声への妄執なのである。

 さて、李徴にとって詩が手段であることと次の一節には奇妙な矛盾がある。何か?
自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業いまだ成らざるに、この運命に立ち至った。かつて作るところの詩数百編、もとより、まだ世に行われておらぬ遺稿の所在ももはやわからなくなっていよう。
 李徴の詩への執着という点から見れば、伝録を依頼する事情として読み流してしまいがちだが、問題は「もとより、まだ世に行われておらぬ」という一節である。
 どこに矛盾があるか?

 これはつまり李徴は自らの詩をほとんど発表しなかったということだ。
 これは先に引用した一節とも符合する。李徴は「師に就いたり、求めて詩友と交わっ」たりすることをしなかった。そんな者の詩がどうやって他人に読まれるのだろう。インターネットもない時代に。
 つまり李徴は独りでせっせと詩を作り、それを発表もせずに死蔵していたのだ。
 詩が、真摯な自己表現というより名声を得る為の手段だというのに、である。

 この矛盾の原因を「なぜか」と問うのなら答えは簡単だ。
 「臆病な羞恥心」と「尊大な羞恥心」はそのまま李徴のそうした振る舞いを説明している。詩は「自尊心」を満たすための手段でありながら、「才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧」から、発表ができないのである。
 だがむしろ、このことは、李徴を虎にさせたメカニズムの表れであるとみなすことはできないだろうか。
 つまり、こんなことをしているから「虎になった」のだ。
 どういうことか?

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