ここでいう「可能性」とは、情操教育のための文学教材としてのそれではなく、国語教育の場たる授業のためのテキストとしてこの詩がもつ可能性である。
これはテキスト解釈の可能性を経験することのできる、恰好の題材なのである。
一読してすぐ、最初の問い。
「永訣」とは何か?辞書は引かない。知識を問うているのではない。誰もが知らないという前提で、この詩の内容から推測するのである。
「永訣」などという語は別の機会にあらかじめ知っているのでなければ、高校生がまず知っているはずのない知識である。授業者とてこの詩でしかお目にかかったことはない。
「永」はともかく「訣」とは何か?
とりあえず「訣=決」と措定してみる。「永遠の決意」「永続的決心」「永久の決定」? そうしたあれこれの推測を詩の内容と照らし合わせようとすることが、詩の内容を捉えようという思考に結びつけばいい。
詩には、妹の死が描かれている。これは内容を概観して捉えるべき事柄である。
では「訣」という字で作れる熟語は?
何人かが「訣別」という語を挙げる。まさに上の措定どおり「決別」である。これは「訣」が常用漢字ではないため、慣用的に「決」で代用することがあるのであり、本来は「訣別」と書く。
「訣」は「わかれ」と訓読みできる。つまり「永訣」とは「永遠の別れ」のことだ。
これは妹との「永遠の別れ」=妹の死をうたった詩なのである。
続けて問う。
この詩の中で語り手がしている最も大きな行為は何か?
語り手は詩の中で「空を見上げる」「飛び出す」「茶碗に掬う」「妹のために祈る」「願う」など、大小様々な「行為」をしている。そのうち「最も大きな行為」とは何か。
「妹のためにみぞれを採ってくること」と答えるのは難しくない。ただ、ページをめくって全体を見回し、それが全体に渡って「最も大きな行為」であるかどうかを検討することに意味があるのである。
さてここまでで、「永訣の朝」とは、「妹との永遠の別れ」=「妹の死」に際して、「妹のためにみぞれを採ってくる」という詩であることが捉えられた。これでこの詩を読むための構えができた。
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