2020年11月17日火曜日

こころ 25 「私」とKの認識の違いを対比的に捉える

 「精神的に向上心のないものはばかだ」「僕はばかだ」というやりとりを「私」がどう理解しているかはわかった。

 だが一方で「精神的に向上心のないものはばかだ」という言葉がKにとってどのような意味を持っており、それに対する「僕はばかだ」にはどんな真意が秘められていたかを直ちに表現することは困難である。この考察は、この一連の会話の分析の中でもとりわけ難しい。

 そこでまず、二人の認識のずれがどのようなものであるかを明らかにするために次のような整理をしておく。

 二人の会話における次の四つの「対比」を、ここまでの解釈にしたがって同一の対比軸上に、向きを合わせて並べる。

  

「進む/退く」「強い/弱い」「道/恋」「向上/ばか」


 これらの対比要素は、それぞれ左右のどちらに整理されるか?


 まずは、どれか一つの対比を共通する規準として置いておく。「対比」を考えるときに必要な「ラベル」である。

 どれでもいいのだが、この対比を考え始めるときに目印にした「進む/退く」をラベルとしよう。それに合わせて他の三つの対比を同一軸に並べるとすると、「強い」と「弱い」はそれぞれ左右のどちらに書かれるべきか?


 もちろん、これだけの指示では足りない。そのことに気づけば、ここまでの学習が把握されているということだ。

 一体誰にとっての「同じ向き」のことだ?

 つまり「私」とKでは逆になる項目があるのである。

 そこで中央に「進む/退く」を書いて、それを規準に上下に「私」とK、それぞれにとっての対比を書き込む。


 さて、こんなふうになっていれば、ここまでの考察を正しく把握している(授業の板書では上下に並べているものをここでは左右に並べる)。


  ○「私」にとって

     ばか ←→ 向上

      恋 ←→ 道

     強い ←→ 弱い

  ―― 進む ←→ 退く ――(←共通項・基準)

     強い ←→ 弱い

      道 ←→ 恋

     向上 ←→ ばか

  ○Kにとって


 真ん中の「進む/退く」は共通で、そこから上が「私」の認識、下がKの認識である。

 もちろんどれを基準に並べてもいい。例えば「向上/ばか」を共通項として整理し直してみよう。


  ○「私」にとって

     退く ←→ 進む

     弱い ←→ 強い

      道 ←→ 恋

  ―― 向上 ←→ ばか ―(←共通項)

      道 ←→ 恋

     強い ←→ 弱い

     進む ←→ 退く

  ○ Kにとって


 「向上/ばか」という対比が「道/恋」という方向に把握されていることは、二人の間で違いがない。「強/弱」「進/退」が逆なのだ。


 こうした考察は「進む/退く」以降の読解の結論に基づいて単に論理的な操作によって解答を導き出せる問いではある。

 だがこの問いの目的は単なる論理操作にあるわけではない。考えようとすれば、「私」とKの思考内容を想像し、彼らの心情に共感しようとすることで考察を前に進めているはずである。

 特にKの心理(思考と心情)に同調しようとすることが、ここでの考察の肝だ。「私」の心理はそのまま語られているが、「私」の解釈を通していないKの心理は、意識的に整理しないとわからないからである。


 さて、こうした図式によれば「僕はばかだ」は「私」とKの間でどのような違いとして把握されることになるか?


 上の整理にしたがえば、Kの「僕はばかだ」という言葉は、「私」には「僕は恋に進む」と聞こえるはずである。「私」にとって「進む」ことは「強い」ことである。だから「僕はばかだ」が「居直り盗のごとく感ぜられ」てしまう。

 一方Kにとって「僕はばかだ」は「僕は退く」と言っていることになる。そして「退く」のは「弱い」ことなのだ。だからこそKの声は「いかにも力に乏しい」のである。


 二人の間で「進む/退く」や「強い/弱い」の意味する方向が反対方向であることを示すことで、二人の認識のずれを簡易的に整理して捉えることはできた。

 だがこれらの標識を「精神的に向上心のないものはばかだ」に代入して、その意味の違いを示すことはこれ以上できない。

 それどころか先の対比図は、簡易的に二人の認識の違いを整理してはいるが、実は重大な錯誤を含んでいる。それは授業者による意図的なミスリードでもあるのだが、そこには「私」の根本的な誤解の構造を解き明かしてKの真意に迫る契機がある。

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