ここで一度、仮説を整理しておく。
問1の仮説A Kがこの晩既に自殺しようとしていたことを示す。
問2の仮説a 自殺の準備として「私」の眠りの深さを確かめようとした。
問1の仮説B 物語を展開させるはたらきをする。
問2の仮説b Kの言葉通り、特別な意味はない。
問1の仮説C 「襖」の象徴性について手掛かりを与える。
問2の仮説c 「私」に話しかけたかった。
仮説Cでもなお充分でないと考えられる点はどこか?
先に挙げた次の三つの謎めいた記述が、まだ充分には解決していない。
①「彼の声は普段よりもかえって落ち着いていたくらいでした」
②「近頃は熟睡できるのか」と問う
③「Kはそうではないと強い調子で言い切りました」
「上野から帰った晩」に「私」は「Kが室へ引き上げたあとを追いかけて、彼の机の傍に座り込み」「取り留めもない世間話をわざと彼に仕向け」る。するとKは「迷惑そう」にしている。宵の口には「私」を疎んずるKが、なぜ夜中には「私」に話しかけたくなったのか。またなぜそのときの声は「落ち着いていた」のか。この変化はなぜ生じたのか。仮説Cは①を説明しない。
また、話がしたかった(c)とすると、③と矛盾する。特に話題が想定されていたわけではないとすれば「そうではない」と否定することに矛盾はないが、それにしても「強い調子で」という形容をする理由はやはり説明がつかない。
②についても、仮説Cから腑に落ちる解釈を引き出すことはできない。
仮説Bとともに、仮説Cも、間違ってはいない。このエピソードは物語を展開させる機能をはたしているし、「襖」の象徴性は明らかに意図的だから、そこに注意が向けられるのもこのエピソードに因ってである。
だがいずれも充分ではない。そういう役割は確かにはたしているが、それだけでは上記の様な疑問を放置していいということにはならない。
「エピソードの意味」はまだ明らかにはなっていない。
仮説Aについては疑問を提示したまま保留にしているが、ちなみに、授業者はこれを支持していない。「覚悟」を「自己所決の覚悟」だと解釈することには確信があるが、だからといってKがこの晩にそれを実行に移そうとしていたとは考えない。
なぜか?
この段階でKが自殺しようとしていたという「真相」は、物語がこの後、お嬢さんとの婚約の事実を知ってからKが自殺するという展開にいたるドラマツルギー(作劇法)の必然性と整合しないと考えるからだ。Kがこの晩すでに自殺を実行に移そうとしていたのだと考えることは、その後の「私」の裏切りにいたる物語の展開の「意味」を無効にしてしまう。
だからといってそれは、Kの自殺が「私」の裏切りによるものであることを(一般的に考えられているようには)意味しない。Kの自己所決の「覚悟」は、とうにKの中にある。それはこの日初めてKの中に生じたものではない。この日は、それがあらためて「私」に対して宣言されただけだ。
もちろんそれは軽い出来事ではない。一度口から発せられた「覚悟」は、今までとは違った重さでKにのしかかることになる。
だが「覚悟」とは、いざとなったらそれを実行に移す「覚悟」であり、ただちに実行に移す「決意」や、条件が整い次第実行に移す「計画・予定」ではない。「覚悟」とは、自己矛盾にけりを付けるために自己所決という手段を胸に秘めているという自覚を語った言葉であって、ただちに実行するつもりだ、と言っているわけではない。Kはこの時点ではまだそれを実行するに至る契機を得ていない。
「覚悟」はこの日のうちにKの中で確認されている。だがそれを決行するには、Kが奥さんから「私」とお嬢さんとの婚約の件を聞き、なおかつその後「二日余り」沈黙のまま過ごすことが契機として必要なのである(この「二日余り」については後で考察する)。
上記の「ドラマツルギー」とはそのことだ。
それでは、これが「覚悟」=「自己所決の覚悟」という言葉がKの口から語られた晩のエピソードであるという展開上の必然をどう考えればいいのか。
それは次に考察する第4の仮説において明らかにする。
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