四十三章の夜のエピソードを「Kが自殺しようとしていたことを示す」と解釈する、仮説Aを共有した。
仮説Aの問題点を検討しよう。
素朴な疑問としては、この晩に自殺しようとして実行に至らなかったとして、その後実際に自殺するまでの12日間(月曜から翌週の土曜日まで)をどう考えたらいいのか、という問題がある(授業でも「間、空き過ぎじゃね?」という声がそこここから聞こえてくる)。
この晩は「私」が目を覚ました。では翌日以降もKは同じように襖を開けて「私」の眠りを確認したのだろうか?
これはありえない。なぜか?
翌晩以降もKが同じように「私」の眠りを確かめるべく声をかけたのなら、そのうちいずれかの晩には「私」は目を覚ますはずだ。そうしたらそのことが記述されないはずはない。記述がないということは、そのような事実が小説内に存在しないということだ。
それよりも、そもそも「私」が目を覚まさなかった夜があったとすると、上記の論理からいえばKはその時点で自殺してしまうはずだ。例えば翌日にでも。
とすると、次にKが襖を開けたのは自殺を決行した12日後の晩ということになる。
この12日間の空白は何を意味するのか? この間、Kは何を考えていたのか?
あるいは、次のように反論もできる。
襖を開けて名前を呼ぶのは「私」の眠りの深さを確かめるためだということは、つまり裏返せば自殺の実行にあたっては「私」が目を覚ますことは不都合だということだ。
ならば、わざわざ襖を開けて、隣室で眠っている者の名を呼ぶのは、むしろ目的に反している。眠っていてほしいのに、なぜ起こすのか?
眠りの深さを確かめるだけなら、襖を閉めたままでも確認はできる。三十八章(185頁)では「私」とKは襖越しに会話を交わしている。
この反論に対しては、Kの自殺の決行が、「私」が目を覚ますかどうかに拠っていること自体に、Kの迷いを見てとる解釈を提示することができる。つまり、目を覚まさなかったら決行していたが、むしろKは「私」が目を覚ますことで決行を延期することを(つまり「私」に止めてもらうことを)どこかで望んでいたのである。
この解釈は、もしも「私」が目を覚まさなかったら、Kはこの晩に自殺してしまったのではないかという魅力的な解釈を補強する。
一方でこの解釈は「覚悟」という言葉の強さと不整合にも思える。「覚悟」は「ないこともない」が、やはり迷いもあるのだと考えればいいか。
だがそれではKの声が「普段よりもかえって落ち着いていた」という形容との間で新たな不整合を生ずる。
ところで、この仮説Aには亜種がある。
Kの行動を「いずれ自殺するための準備として、まずは隣人の睡眠状態を確かめた」ものだというのである。
これならばこの夜の訪問が自殺と関係のあるエピソードでありうるし、自殺の決行がここから12日後になった理由もつく。Kはそもそもこの晩に自殺しようとしていたわけではなく、様子をみたのだ。そして「私」が簡単に目を覚ますことを確認して、しばらくは決行を延期したのだ。翌朝の「近頃は熟睡ができるのか」とかえって向こうから問う意味ありげなやりとりとも符合する。
ただしこの解釈では、もしも「私」が目を覚まさなかったらKはこの晩のうちにでも自殺を決行していたのだ、という魅力的な解釈を諦めることになる。
Kはこの晩に自殺するつもりだったのか、この晩はあくまで「偵察」だったのか?
両説は、議論の中で必ずしも区別されているとは限らない。だからみんなの意見を聞いても、どちらが最初に発表されるかはクラスによってまちまちだ。
実は文学研究者や国語教師の間でも、あまり区別されてはいないと思われる。
敢えて比較するなら前者の方が魅力的で、後者の方が整合性が高い。
そこでいっそ、上記の説を融合してしまえばいいのでは?
つまり、Kはこの晩自殺しようとしていたが、迷いもあった。「私」に声をかけることで、止めてほしいとさえ思っていた。はたして「私」は目を覚まし、Kは実行を思い止まったが、引き続き機会をうかがう意味で「近頃は熟睡できるのか」と訊いた…。
これならば劇的な想像を諦めることなく、整合性がとれる。
だが実はまだ解決はしない。
結局「覚悟」「落ち着いていた」と「迷い」の不整合は解消されない。
それに、Kが「私」の睡眠の深さを、自殺の完遂のために必要な条件だと考えていたとすると、実際にKが自殺した晩にKが襖を開けたままにしている理由がわからない。
その晩、Kは襖を開けた後、「私」の名を呼んだのか?
また、わざわざ熟睡の程度を確認してまで、それが障害になるかもしれないと考えるくらいなら、そもそも「私」の寝ている隣室で自殺などしなければいいのである。
名を呼んだこの晩に「私」が目を覚ましたというのに、遂に自殺を決行した土曜日の晩には結局、隣室で、しかも襖を開けて事に及んだのでは、この「偵察」が無意味になってしまう。
あるいは翌日以降に所決の決行が延期されたとしても、それがなぜ12日後には実行に移されたのか、その条件が不明だ。
つまり、このエピソードを「自殺」に関連させて解釈するだけでなく、むしろ、12日後の土曜の晩にはなぜKはそれを実行したのか、なぜ隣室で、なぜ襖を開けたまま自殺したのかという問題を、このエピソードの解釈と関連させて考えなければならないのである。
12日後の土曜の晩、Kはなぜ「覚悟」を実行に移すことにしたのか?
なぜその時、襖を開け、開けたままにしたのか?
そして、そうした疑問とともに、四十三章で襖を開けて「私」の名を呼ぶKの心理を考えなければならない。
ここでもやはり、二箇所の解釈は、その整合性とともに互いの妥当性を支え合っている。
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