授業の終了に伴い、更新を終了しました。
新しい授業の記録はこちら「現国教室」で。
最後の「羅生門」との比較は、「通過儀礼」という視点を提示した時点で既に実質的な読解はほぼ完了していると言っていいから、授業時間内における考察の余地がそれほどあるわけではなく、授業時間の残りのなくなったクラスでは割愛した。
それにしても、最初の一章の口語訳朗読を始めてから、既に長い時間を経過している。後期まるまる全ての授業を「舞姫」の読解に費やした。
「舞姫」という、教科書の定番教材であり文学史上は紛れもなく重要な小説と目されていながら、現代の一般読者からするとひどく読みにくくて、そのわりにカタルシスもない小説は、主人公の行為=選択に主題を求めようとすると、重苦しいばかりで面白くもない。
だが小説としての情報密度の高さを信頼してその論理を読み解こうとすると、物語はたちまち魅力的な謎をいくつも提供してくれる。
とはいえそれを楽しむためには、みんなで考えることのできる授業という場が必要だ。そしてそれを成立させるのは皆の姿勢次第で、それが確保されれば、読み進めること自体が楽しい。
そうして読み終えた後で考えるべきなのはやはり、豊太郎の行為の是非などではない。
今回、高校国語科授業の定番といっていい「山月記」「こころ」「檸檬」「羅生門」との読み比べを通して、「舞姫」という小説が、ページをめくるたびに違った相貌を見せる、とび出す仕掛け絵本のように立体的に浮かび上がるようだ、と授業者には思えた。
豊太郎が虎になる物語としての「舞姫」。
第三者の「無作為」の介入によって、主人公が「不作為」になるほかない事態がもたらす悲劇を描いた物語としての「舞姫」。
近代的=西洋的な価値体系と別のもう一つの価値、二つの世界の対立をめぐる物語としての「舞姫」。
主人公を近代日本という秩序に組み込む通過儀礼において起こる「異類殺し」の悲劇を描いた物語としての「舞姫」。
これらは「女か出世かの選択をめぐる、人間のエゴイズムを描いた物語」として捉えた「舞姫」とは随分違った物語だ。
これらの読み方が正しい「舞姫」だと言うつもりは無論ない。そのような物語としての「舞姫」という作品が、価値が高いとか面白いなどとさえ思ってはいない。
ただそのように「読む」ことだけが楽しいのであり、なおかつ高校の国語科授業として意義あることだと思っているのだ。
皆の目にも同様に、めくるめくような「舞姫」の世界が映っていたことを祈って、今年度の授業を終える。
前述の『人身御供論』の中で、大塚は通過儀礼の物語と、「鶴女房」「蛇女房」「猿婿入り」などの民話に見られる「異類婚」のモチーフを結びつけ、〈移行〉期における随伴者としての「異類」の存在を「移行対象」のアナロジーで考察している。
『移行対象(transitional object)』とは、絶対的依存期から相対的依存期の過渡期である『移行期(6ヶ月~1歳頃)』に現れてくる物理的な対象のことである。それは単なる物理的なモノというだけではなく、今まで一方的に依存していた母親のもとを離れようとする幼児の孤独や不安を和らげる魔術的な力を持ったぬいぐるみやおしゃぶり、玩具、毛布、ハンカチなどのことを指す。(「分かりやすい“心理学用語事典・学術用語事典”のブログ!Keyword Project+Psychology」)
幼児は成長する過程で、いったんは「移行対象」に依存し、その後再びそれを捨て去るのであり、これが、「異類」との別離が必須である理由だと大塚は分析する。
先の『千と千尋の神隠し』では、主人公の千尋は、「ハク」と呼ばれる川の精霊に助けられて、異界での〈移行〉期を過ごす。だが、通過儀礼の物語の最終的な段階である〈再統合〉のためには、千尋は「ハク」との別れを経験しなければならない。
そして「異類」との別離は、時として殺害という形で表現されることもある。あるいは主人公によって、あるいは物語そのものの力によって、「異類」は通過儀礼の供儀として殺される
グリム版「赤ずきん」では、森へのお使いが〈分離〉および〈移行〉のプロセスに対応し、帰還が〈再統合〉に対応している。だとすれば、森という異界に住む狼が、赤ずきんにとっての「移行対象」である。ベッドに潜んで赤ずきんを誘惑し、「食べて」しまう狼に性的な比喩を読み取ることは容易だ。つまり狼は赤ずきんにとっての「異類婚」の相手である。そして主人公は「移行対象」である「異類」を殺すことによって、通過儀礼の物語を完遂する。
「羅生門」の老婆もまた、下人によって手荒く蹴倒されることによって、「移行対象」としての役割をまっとうしたのだといえる(そうした観点からは『千と千尋の神隠し』における〈移行〉期の随伴者は「ハク」及び「カオナシ」「湯婆婆」の三者に分離しているというべきかもしれない。子ども向けの作品としては随伴者の殺害といった物騒な展開にするわけにもいかないだろうから、「ハク」とは別れのみを体験させ、「殺害」に相当する闘争の相手として「湯婆婆」を置いているのかもしれない。「カオナシ」の存在はまた奇妙な謎に包まれていて、ここでは分析しきれない)。
こう考えてみると、「舞姫」の物語が、なぜエリスの発狂という、読者にとって不全感を拭いがたい形で完結しなければならなかったのかという疑問にも、ひとつの解答が得られる。
それは「舞姫」という物語が、豊太郎を近代日本という社会に〈再統合〉させる通過儀礼の物語だからなのだ、という答えである。
エリスという「異類」は、そのための供儀として殺されなければならなかったのだ。
通過儀礼とは、当人にとっては共同体への参入の資格を得る機会であり、それが「成長」というビルディングス・ロマンの形式にも比せられる理由だが、一方で通過儀礼を要請するのはあくまで共同体の側である。
共同体は、内部の秩序を成立させるために、異物を作り出してそれを外部に排除する必要がある。「一寸法師」や「桃太郎」における鬼ヶ島の鬼たちも、そうして殺される「供儀」である。
老婆が着物を剥ぎ取られたうえで蹴倒されるのも、エリスが発狂したうえで捨てられてしまうのも、狼や鬼などの異界の住人が当然のように腹を裂かれ討ち滅ぼされてしまうことを考えれば、やむを得ない物語上の要請があったからだと考えるべきかもしれない。
それは主人公による主体的選択などではなく、物語が強いる構造上の必然だ。そこでは登場人物の豊太郎もまた、近代的「個人」として行為の起源を担うことはできない。
「舞姫」と「羅生門」それぞれに、通過儀礼の構造を見つけることは難しくない。
「舞姫」では、豊太郎の洋行がすでに〈分離〉の形式を成していることは明らかだが、さらにここに「母親の死」と「免官」という要素を加えて、鷗外は豊太郎を日本、及びその安定した社会構造から念入りに〈分離〉する。
一方の「羅生門」の下人もまた「主人から暇を出され」ることで社会的秩序から〈分離〉されている。
〈分離〉はまた、異界への越境である。たとえば千尋が神々の世界に迷い込む際にトンネルを通過する場面は、〈分離〉の形式を、「境界を越える」という空間的な移動として象徴的に表現したものだ。
「羅生門」における越境を空間的に展開したのが、もとより境界上に存在する門としての「羅生門」という舞台設定であると一見したところ見えなくもない。
だが下人は千尋のように門を通って都の外へ出るわけではない。そもそも「羅生門」が隔てている「洛中」と「洛外」は、〈洛中のさびれ方はひととおりではない〉以上、それほど明確なコントラストを描いているとはいえない(むしろ初出によれば、下人はこのあと京都の町、つまり「洛中」へ舞い戻るのだ)。
したがってここでの越境は、羅生門の上層へ下人が登ることによって表現されていると言える。
一方「舞姫」における越境について考えるには、「山月記」「檸檬」との比較において考察した「舞姫」の空間把握が参考になる。
すなわち大きなスケールでいえば日本→ドイツが〈分離〉=越境であるには違いない。
だが、豊太郎にとってドイツは異国ではあるが、ウンテル・デン・リンデンに立つ豊太郎はまだ社会的秩序から断ち切られているとは言い難い。豊太郎にとって本当に異界であるのは、ここまでも空間的な対比として捉えてきた、反ウンテル・デン・リンデン的空間であるクロステル巷だ。異界としてのクロステル巷へ足を踏み入れた豊太郎は、そこで異界の住人であるエリスに出会い、エリスに伴われてその家へ足を踏み入れる。
つまり「舞姫」において〈分離〉の形式は、先に「檸檬」との比較で考察した西洋的秩序への忌避感や母親の死と免官といった心理的な〈分離〉とともに、空間的には「ドイツ」→「クロステル巷」→「エリスの家」という入れ子状の「異界」への空間的な越境によって表現されているのである。
こう考えてみると、うち捨てられた死体の転がる羅生門の上層への梯子を登る下人と、父親の死体の横たわるエリスの部屋への石の梯を登る豊太郎の姿が、奇妙に重なって見えてくる。
「異界」は「彼岸=あの世」でもある。二人はともに「異界」への越境という形で、通過儀礼における〈分離〉を果たす。
これまでKや檸檬と対比されてきたエリスは、ここで老婆に比せられる。
二人は豊太郎や下人が〈移行〉期を過ごす「異界」の住人だ。エリスとのつつましやかな同棲生活が豊太郎にとっての、また老婆との会話の戯れが下人にとっての〈移行〉期である。下人はここで本当に、それまで彼を捉えていた「観念」から〈分離〉される。
とすれば、豊太郎と下人の〈再統合〉はいかにして行われるか?
最後に「羅生門」と「舞姫」を読み比べてみよう。
今年度の授業は「羅生門」から始まった。最後の教材「舞姫」の読解を「羅生門」との重ね合わせで終わるのも妙な巡り合わせではある(もちろん普通は1年生の早い時期に「羅生門」を読むので、つまりこの2作品は高校の国語科授業の最初と最後を飾る小説だといえる)。
この読み比べによって期待するのは、なぜエリスはあんなに酷い目に遭わねばならないのかという疑問に対する一つの説明である。この疑問に対する別の解答は「こころ」との比較において考察した、豊太郎を日本に帰すという結末を前提として、豊太郎の性格造型との整合性を持たせるため、という心理的な機制である。一方ここでは文化人類学的な知見を応用した、別の説明を試みる。
さて、両作品を比較する端緒は何か?
共通するキーワードは「通過儀礼」である。
「通過儀礼」 出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。イニシエーションの訳語としてあてられることが多い。(「Wikipedia」)
「イニシエーション」 人類学用語。「成年式」「入社式」とも訳される。社会的に一人前の成人として認知,編入されるための一連の手続きのこと。広義には,ある社会的カテゴリーから他の社会的カテゴリーへの,集団的あるいは個人的加入を認可するための一連の行為体系をさし,秘密結社への加入やシャーマンなど宗教職能者の地位の取得なども含まれる。通過儀礼を伴うことが多い。(「コトバンク」)
長らく国語教育界では「羅生門」を「極限状況において人間が持たざるを得ないエゴイズム」を主題とする小説として扱ってきた。だが今年度の最初に読んだ「羅生門」はそのような小説ではなかったはずだ。
ここでは詳述しないが、授業で提示した読解によれば、「羅生門」とは自らの「観念」から脱却する話だ。とすればそれは下人にとって一種の成長譚と捉えることができる。
そしてこれを通過儀礼の物語として読もうというのが、ここでの読み比べの手がかりである。
一方、「舞姫」を通過儀礼の物語として読む可能性については、前述の前田愛「ベルリン1888―『舞姫』」に言及が見られる。
さて、「舞姫」と「羅生門」を通過儀礼の物語として読むためには、もう少し準備がいる。それは通過儀礼の基本構造を押さえておくことである。
通過儀礼がその構造上、三つのプロセスに分けて考えることができるのは文化人類学の定説である。まず儀礼の当事者は彼がそれまで帰属していた社会的立場から〈分離〉する。そしていったん、彼は日常的な社会秩序から解き放たれ、非日常的な時空を象徴的に生きる。この状態を〈移行〉期と呼ぶ。やがて彼は再び社会に〈再統合〉されるが、その段階では彼はそれまでその支配下にあったのとは全く異なる社会的秩序のものと組み込まれているのである。(大塚英志『人身御供論―供犠と通過儀礼の物語』)
古くからの民俗や習俗にとどまらず、多くの民話・神話、童話やファンタジーなどの物語をこの〈分離〉→〈移行〉→〈再統合〉という基本構造によって分析する試みが、これまで文化人類学や民俗学で行われてきた。
たとえば、旅をモチーフとする、いわゆる「行きて帰りし物語」は基本的に通過儀礼の構造をもつものとして把握できることが知られている。
「桃太郎」「一寸法師」「白雪姫」「赤ずきん」「ヘンゼルとグレーテル」などの民話、あるいは「ナルニア国物語」「指輪物語」「ゲド戦記」「ハリー・ポッター」などのファンタジーにも同様の構造が見られる。
たとえば人口に膾炙した宮崎駿監督によるジブリ・アニメの諸作品も、多くはそうした構造をもっているといっていい。
中でも最も典型的なのが『千と千尋の神隠し』だ。現実の世界では中学生である千尋は、トンネルを抜けて迷い込んだ神々の世界で父母と離れ名前をはぎ取られて(分離)、湯屋の下働きとして働き(移行)、やがて元の世界へ帰る(再統合)。そこには主人公の成長を描こうとする、明瞭に意図された通過儀礼の構造があからさまに見て取れる。
さて、以上の予備知識をもとに「舞姫」と「羅生門」について考察する。
「暴力的な主体化の問題性」というフレーズには、この文章全体で語られる問題群が凝縮している。だから4~5回の授業は、この問いについて考えるだけで終わった。
だが、前々回で示した「暴力」と「主体化」と「問題性」の因果関係の循環構造そのものを岡真理が示したかったとすると、この文章はあまりにわかりにくすぎる。
すなわちそれはこの文章が、それそのものを読者に提示することを目的にしていないことを示す。
読者の方で再構成したのが前回の構造図であって、それを読者に示すつもりなら、岡真理はもっと手際よく、わかりやすく書くはずだ。
つまりこれは岡真理の主張の背景となる認識であって、この文章の主張そのものではない。
では何を主張しているのか?
しかしこれは、今回のシリーズの第1回で言及したように、うっかりすると安易な解釈の罠にはまってしまう。
例えば、「私たち自身の加害者性を隠蔽する」ことが問題だと岡真理は言う。ということは、私たちは自らの加害者性を自覚することが大切なのだ、と岡真理は主張していることになるのか?
それは確かに間違ってはいない。だが彼女はそのように表現されるお説教くさいお題目を唱えたいのか?
あるいは世界のニュースを「他人事のように忘却している」姿勢が批判的に述べられている。ならば、少女についても自分のことのように考えるべきなのか?
だがそのような主張がカメラマンを死に追いやる「文字どおりの暴力性」を生んだのではないか?
「虚ろなまなざし」という奇妙な題名の文章が何を主張しているかということは、実は授業者にとっても難問だった。というか正直に言えば、以前、授業で取り上げる前には、この文章は何が言いたいかわからないと感じていた。
それが腑に落ちたのは柄谷行人「場所と経験」と近い時期に読んで、両者が結びついたときだった。
二人がそれぞれの文章で主張していることは、実は同じなのだと気づいたのだ。
柄谷の主張を端的に言うならば「視たものだけを視たと言え」である。
これを言い換えると「視たものにもっともらしい意味づけをするな」である。
岡真理は何を主張しているか。
「『それ』を恣意的に主体化するな」である。
「それ」の主体化がカメラマンを殺し、私たち自身の加害者性の隠蔽を招いているのである。
両者は同じことだ。つまり 意味づけ=主体化 である。
物言わぬ少女に声を当てることは、恣意的な「解釈」(小林秀雄)である。つまり、声を当てる=「主体化」は、「解釈」=「意味づけ」なのである。
とすると、題名の「虚ろなまなざし=それ」は「場所と経験」では何にあたるか?
いったん比較してみようという目で眺めてみれば、「虚ろなまなざし」の中の例えば〈私たちは「それ」を、この世界の中に、私たちとの関係性の中に―肯定的であれ否定的であれ―位置づける〉などという表現が、「意味づけ」「解釈」などといったかたちで柄谷、小林によって繰り返されていたことがただちに見てとれる。
柄谷は「意味づけ」の動機を〈もっともらしさを確保したい〉と言うが、それを岡は〈まなざしのその「虚ろさ」、意味の欠如、それが私たちを不安にする。〉と強調しながら反復する。
〈そこにあってしかるべき、『恐怖』や『苦痛』といった感情が表明されていないこと〉に耐えがたい我々は〈語れない少女に代わって〉少女の感じているであろう「恐怖」や「苦痛」を語らずにいられない。そうして語ることは、柄谷のいう〈知ったような気になっている〉ということだ。
ということは、〈私たちが読み取り、同一化することのできるような、いっさいの意味を欠いていること〉=〈「それ」がまさに「それ」でしかないこと〉=「虚ろなまなざし」は柄谷の文中の「生きた他者」に他ならない。
「他者」とは「こちらの理解を超えた相手」という意味だ。
つまり「虚ろなまなざし」の持つ「他者性」が、我々に「暴力的」に「トラウマ」を与えるのである。トラウマを負った者は、少女を「主体化」して、その声を代弁することで何とか快復をはかろうとする。「それ」と対峙する不安に耐えられない我々は「暴力的な主体化」によって立ち上がる。「暴力」を受けた者が、その「暴力」を避けようとして、気づかずに「暴力」をふるう側に回る。
そうした「主体化」を拒む者こそ「視たものだけを視たという」者である。つまり岡真理の言っているのは、単純に言ってしまえば、こうした「暴力」に負けずに「それ」を直視せよ、ということだ。
そして〈そこから出発するほかに、どうして「文学」が可能だろうか〉と柄谷が言うように、アラブ文学者である岡真理もまた「それ」を「それ」のままに描くことこそが「文学」だと言うにちがいない(「棗椰子の木陰の文学」はそう言っているのだ)。
柄谷「場所と」や小林「無常と」の中ではこの苛烈さは特に強調されてはいないが、その困難に向かって柄谷も小林も声を上げていることは間違いない。柄谷が「視たものだけを視たと言え」というのも、小林が「解釈せずに思い出せ」というのも「『それ』を『それ』として見ろ」と岡が言うのと同じことだ。それを実行する困難こそ、これらの論者が共通して言挙げしていることなのだ。
ここでもまた、それぞれの文章の主張を同じ型の文におさめることで、それらがそれぞれに違った言葉で、同じことを言っていることが感じ取れる。
これは決して単なる言葉遊びでもなければ牽強付会でもない。こうして語りながら、不断に元の、それぞれの文章との比較によって生ずる違和感を測りながら細かく修正していく。そのとき、読み比べることはそれぞれの原文の真摯な読解だ。
同時に、そうした読み比べによって、始めてこれらの論者の問題意識が確かな手応えで捉えられるのである。
一つのフレーズから文章全体を把握するという方法で「虚ろなまなざし」を読解してきたが、「問題性」の一つとして取り出した「私たち自身の加害性の隠蔽」は、若干立ち入って考察する必要がある。
一方でこれは、文中では殊更に詳しく説明されているとも言い難い。わかる人はわかるはずだ、という、読者に対する筆者の信頼が、余計な説明を省いている。
例えば説明と言うより言い換えにあたるのは次のような表現だ。
他ならぬ私たち自身が「それ」の苦痛の元凶である
これだけの前振りを元に「私たち自身の加害性」を理解するのは難しい。
だがこれより後でもう一度次のように言い換えられる。
南北構造を固定化する世界システムの中で飽食している私たち自身の姿
ここで「なるほど」と思えなければ、もう文中の説明によってはこれ以上この表現を理解することはできない。
つまり問題を「南北構造」で言うならば、豊かな「北」側に属する我々は、搾取される「南」側に属している人々、例えば写真の「少女」に対して、自覚の有無にかかわらず「加害者」なのだ、と言っているのである。構造的な加害ー被害の関係の中で、我々が加害側にいる、ということだ。
これは国語科の問題というより社会科の扱うべき問題だ。
さらに、なぜこの加害者性が「隠蔽」されるのか?
こちらは国語科の問題だ。この文章から読み取らなければならない。
「隠蔽」は「かき消されてしまう」と言い換えられているから、その文の前半「難民の少女に被害者として同一化して、カメラマンを非難することで」がその機制を説明しているわけだが、これがどうして「隠蔽」につながるのかは、またしても読者の理解に委ねられていて、これ以上に詳しい説明はない。
だがむろん、こんなことはわからなければならない。
だが求められる「国語力」とは、これを「理解」することより「説明」することにある。
この点については授業で、想定外の「説明」が提示された。「カメラマンを非難する」からだ、というのだ。どういうことか?
つまりカメラマンを「加害者」として攻撃することで、自分たちの「加害者」責任が転嫁される、というのだ。
だがなぜカメラマンが「加害者」なのか?
つまりこのカメラマンは「傍観者」なのだ。なるほど、傍観者も加害者の仲間だ、などという言い方は、「いじめ」についての言説の中でしばしば目にする。
とすると、私たちもまた「傍観者」に過ぎないという点でカメラマンと同じだったはずなのに、そのカメラマンを非難することで、自らの「傍観者=加害者」性を忘れてしまう、と。
なるほど。理屈は立つ。
だがこれは想定外の「説明」だった。まっとうな「説明」はこうではない。
むしろその前半「難民の少女に被害者として同一化して」の部分こそ、この文章が取り上げている問題である。
この文章の肝は「主体化」だ。
前述の通り「主体化」はいくつもの意味を重ねて含み持つが、さしあたって「少女を語る主体にする」のことだとしよう。
だが実際は少女は語っていない。少女が語っているかのように当てられているのは、実は我々自身の声だ。
つまり我々は少女を「主体化」することで自身を「被害者として同一化して」しまうのだ。自分が「被害者」になってしまうのだから、「加害者」であることは見えなくなる。
これが「加害者性の隠蔽」を生む機制の、端的な「説明」である。
この「説明」に向かって、まっすぐに言葉を組み立てられた者こそ、高い国語力をもっているといえる(それぞれのクラスでそれをなしえた者たちこそ)。
学習とは「わかる」ことではない。「できる」ようになることだ。
「暴力的な主体化の問題性」を考えるにあたって、「主体化」を解釈する上で分岐する3つの意味、「問題性」を解釈する上で分岐する3つの意味、「暴力的」を解釈する上で分岐する4つの意味について確認した。
主体化
①「それ」が私たちを語る主体にする
②「それ」が私たちを行動する主体にする
③私たちが「それ」を語る主体にする
問題性
A.文字どおりの暴力性
B.少女の声の可能性の抑圧
C.私たち自身の加害者性の隠蔽
暴力
ア 「それ(虚ろなまなざし)」→私たち
イ 状況(世界)→少女
ウ 運動(私たち)→カメラマン
エ 私たち→少女
これらはそれぞれ、文章全体のあちこちで反復される。だからどれも無視することはできない。筆者はそれぞれの言葉にそれぞれの意味を含意していると考えられる。
では、問題の「暴力的な主体化の問題性」というフレーズを全体として説明するために、どのような方法が可能か?
アイデアの一つが、これらを因果関係によって継起順に並べてみよう、というものだ。
その際、起点に置くべきなのは主体化? 問題? 暴力?
粘り強くこれらの因果関係をたどってみれば、「暴力」のイがこうした複雑な事態の出発点にあることがわかるはずだ。
イ 状況(世界)→少女
暴力を受けた少女から「それ」=「虚ろなまなざし」が生まれる。
カメラマンがそれを写真に収め、世界に発信する。
それを見た我々がトラウマを受ける。
↓
ア 「それ(虚ろなまなざし)」→私たち
私たちは耐えきれず「それ」を語る主体にする(③)。
だがそれは彼女たちの声を奪うことに等しい。
エ 私たち→少女
B.少女の声の可能性の抑圧
↓
同時に、少女を主体化することは実は私たちが彼女に代わって主体になることに等しい(①)。
かわいそうな少女に代わって語る主体になることは、ただちに彼女を救うための行動する主体になることでもある(②)。
そして、そうした運動の中で、時にはかわいそうなカメラマンを追い詰めてしまう。
↓
ウ 運動(私たち)→カメラマン
A.文字どおりの暴力性
↓
C.私たち自身の加害者性の隠蔽
こうして、すべての「暴力」「主体化」「問題性」を網羅した因果関係をたどった果てに置かれるCは、出発点のイにかえっていく。なぜなら「加害者性」というときの「加害」こそイの「暴力」なのだから。
出発点のイが隠蔽されることで、この構造は解決に向かわずにループする。
「暴力的な主体化の問題性」という一節が示すのは、以上のような循環構造である。
それで、どうだと岡真理は言うのか?
さて、問題の一節で「主体化」に付せられた「暴力的」という形容も、何のことかわかりにくい。
何らかの暴力が存在するとして、その暴力は「主体化」にとってどのような関係になっているのか? どのような関係になっていることを「~的」という形容で表わしているのか?
「的」とは曖昧な形容だ。「暴力」と「主体化」の関係をどのように考えたらいいか。
さしあたってこう考えよう。
その暴力の「方向」(文法でいう「敬意の方向」的な)を明らかにしよう。それは誰の誰に対する暴力なのか。
また、その暴力は「主体化」という変化に対して、「原因」となるのか「結果」なのか、あるいは「主体化」というプロセス自体が「暴力的」と形容するしかないような変化なのか。
授業では、さしあたって三箇所の「暴力」の記述について注目し、それぞれがどのような暴力なのか(誰の誰に対する暴力なのか)を確認した後、その継起の順番を考えた。次の三箇所だ。
a 難民の子どもの、その虚ろなまなざしである。そのような視線にはからずも出会ってしまうこと、それが、私たちのトラウマとなる。そして、私たちを主体化する――暴力的に。
b そのまなざしが、自分の身にふりかかる圧倒的な暴力に対して耐えがたい苦痛を無言のうちに叫んでいるからではない。
c なぜ私たちは、意味づけられない空洞が、かくも耐えがたいのか、一人の人間を暴力的に死に追い込むほどまでに?
それぞれの「暴力」の方向を確認しよう。
aの「暴力的」はその「主体化」が引き起こす結果としての暴力、すなわちcをも指している形容だとも考えられるが、さしあたりcとは別の、原因となる暴力をとりあげている。またcの「耐えがたい」はaの「トラウマ」を生み出す情動だが、ここでの「暴力」はカメラマンを「死に追い込む」ものを指していると捉えておく。
これらの「暴力」は先の「問題性」ABCとどのように対応しているか?
A.文字どおりの暴力性
B.少女の声の可能性の抑圧
C.私たち自身の加害者性の隠蔽
Aはウのことだ。
Bはアイウのいずれでもない。だが「抑圧」と言い、「可能性を全て奪う」という表現で繰り返されているBもまた明らかに「暴力」だと筆者には捉えられているはずだ。これをエとして取り立てておこう。
エ 私たち→少女
Cの「隠蔽」は暴力ではないが「加害者性」の「加害」は暴力を指しているから、Cはつまり暴力が隠蔽されるのは「問題」だと言っていることになる。そしてその「加害」=「暴力」はイのことでもある(ここは直観的に「そうか」と思えることが求められる。同時に、「なぜ?」という保留も必要だ)。
アはABCいずれの「問題」にも対応していないが、この一節の「暴力的」という形容は実はアを最も強く念頭に置いて付せられているとも言える(これは、ここを考える上での本質的な問題なので、後でまた論ずる)。
さて、これらの「暴力」と「問題」、そして「主体化」は、どのような関係になっているか?
「暴力的な主体化」という表現を解釈するために、文中に現われる「主体」「暴力」といった表現を追ってみた。それらは単一の解釈を容易には成立させてくれない。
まず「主体化」という名詞が「主体になる/主体にする」という二つの解釈の可能性に分岐し、それぞれの主語と目的語が2つずつ考えられることから、4つの解釈ができると先に述べた。
だが「AがBを主体にする」ことは「Bが主体になる」ということだから、実はこの「なる/する」は裏表で一つと考えられる。となると問題は主語の二択だ。
そしてどのような行為の「主体」なのかという点で「語る/行動する」という解釈の分岐の可能性が見えてきた。
となると主語の二択と行為の二択で、組合わせはやはり4通りだ。
①「それ」が私たちを語る主体にする
②「それ」が私たちを行動する主体にする
③私たちが「それ」を語る主体にする
④私たちが「それ」を行動する主体にする
このうち④はどのような事態なのかを想定することはできない。したがって、実際に考えられる「主体化」の分岐は①~③の3つだ。
さらに「暴力的な主体化の問題性」を解釈する際には次のような問題がある。
「…問題性とは」に続く部分を段落末まで読んでみる。
すると「…というだけではない。」というフレーズがある。並列を表わす表現だ。そこに並列されているはずの論点の一つ目は明らかだ。
さらに「というだけではない」というだけではなく、そのあとにまた「と同時に」という語句による並列が示される。
つまり「暴力的な主体化の問題性」とは、「 A というだけでなく B と同時に C でもある」といっているのだが、この二重の並列をどう整理するか?
ひとまずは「と同時に」に示される並列を整理してみよう。
B 私たちが恣意的に投影した私たちの声が「それ」の声となってしまうことで、もしかしたら、そうではないかもしれない、ほかのさまざまな声の可能性を抑圧してしまう
C 私たちが被害者として同一化することで、もし、私たち自身が加害者であった場合に、その加害性を都合よく隠蔽することにもなってしまう
「というだけではない」の前の部分をAとし、上記BCの抽象度を高めた表現を考えて、並べてみる。
A.文字どおりの暴力性
B.少女の声の可能性の抑圧
C.私たち自身の加害者性の隠蔽
さて、これらABCの「問題」は、どのような関係になっており、それは「暴力的な主体化」とどのような関係になっているか?
「暴力的な主体化の問題性」とは何か?
まず「主体化」の意味を捉えるために本文の他の部分を参照する。
同じページのここより前の部分に「少女に代わって、少女の恐怖を語る主体になる」という一節がある。
「主体になる」のは誰か?
「私たち」である。
何の「主体」?
「語る主体」である。
そして問題の箇所を前から引用すれば、次の通りである。
「それ」による私たちの暴力的な主体化の問題性
ということは、「それ」が「私たち」を「主体化」するのである。少女の声を「語る主体」にするのである。
ここにどのような「暴力性」を見出すべきか?
文章中の文言の解釈は、前の部分からのみ為されるべきものではない。後ろの部分との整合性もまた保障される必要がある。
次のページには次のような一節がある。
(アフリカの難民の子どもの、その虚ろなまなざし)にはからずも出会ってしまうこと、それが、私たちのトラウマとなる。そして、私たちを主体化する――暴力的に。
ここでもやはり「それ」が私たちを「主体化」する、という。そしてその主体化が「暴力的」なのだ。なにせ「トラウマとなる」のだから。
だがその直後には次の表現もある。
その(少女の)まなざしが、自分の身にふりかかる圧倒的な暴力に対して耐えがたい苦痛を無言のうちに叫んでいる
この「暴力」は少女が状況からふるわれる「暴力」だ。暴力を受けているのは少女だ。
この「暴力」は先の「私自身の加害者性」に通じるように思えるが、そうなると上の「私たちを主体化」することが「暴力的」だというのとまるで違っているように見える。
だがまた一方でその直前には次の表現もある。
- 私たちを突如、行動する主体へとかりたてる
「語る主体」と「行動する主体」は同じと見なしていいのか?
さらに引用する。
これらは全て「語る主体」のことだが、ここでは語るのは少女である。
さっきは私たちが語るのではなかったか?
そういったそばから次のような表現が頻出する。
ここでは「行動する主体」のことであり、行動するのは「私たち」だ。
いったいどうなっているのだろう?
「暴力的な主体化の問題性」とは何か?
本文は「暴力的な主体化の問題性とは」に続いてその説明をしているのだから、それを適切に捉えればいいだけだとも言える。テスト問題ならば、理解がどうであれ、まとめてしまえば解答は作れる、とも言える。
だがこのことを考えるためには「問題性」の前にまず「暴力的な主体化」とは何なのかを捉える必要がある。それが「問題」だと言っているのだから。
では「暴力的な主体化」とは何か?
だがこれも決して自明なわけではない。
しばらく話し合って、問題点が見えてきただろうか?
こういうときは問題を選択肢のあるような問いに置き直すことも有用だ。
「主体化」とは「主体になる」なのか「主体にする」なのか?
そしてこの分岐はさらに以下に分岐する。
私たちが「主体になる」のか、「それ」が「主体になる」のか?
あるいは、
私たちが「それ」を主体化するのか、「それ」が私たちを主体化するのか?
自分がそこまでしていた「主体化」の説明は、上の4つの選択肢のうち、どれだったか?
こういうときはゆめゆめ、全員がそれぞれの解釈を脳裏に描き、それを提示しあって虚心に検討しなければならない。
自分の考えが曖昧なうちに話し合いに入ると、最初に話し出した者の考えに引っ張られて、それとは違ったふうに考えていた自分の考えが霧散してしまう、ということが起こりがちだ。
4つすべての選択肢について、それを支持する者がいていい。これはそういう問題だ。班の中で説得力のある人の選んだものを「正解」とする必要はない。これは、唯一の正解にあっさりとたどりつくような問題ではないのだ。
その上で、考えるべきなのはどれが正解かではなく、これら4つに分岐した解釈の関係だ。
「暴力的」という言葉は文中ではここで初めて登場する。何を指して「暴力的」と言っているかという把握にも解釈の余地がある。
そこまでに「恐怖」「苦痛」「加害」といった、「暴力的」という表現に結びつきそうな語はある。だがそれぞれが何を指しているかは充分に文脈を捉える必要がある。
以上のような要素の検討に基づいて「暴力的な主体化の問題性」について捉えよう。
岡真理の「虚ろなまなざし」を読む。
岡真理は慶應大や一橋大他、国公立大や有名私立大の出題もある注目の論者。専門がアラブ文学ということで、第三世界に関する、文化的多様性、文化相対主義といったテーマの文章が取り上げられることが多い。
「虚ろなまなざし」もまた、そういった問題を取り上げているのだろうか? 確かにアフリカにおける度重なる紛争の結果として生じた難民問題・飢餓の問題に言及してはいるが、論じている問題の焦点はそこではない。
では何か?
題名の「虚ろなまなざし」とは何を意味しているか?
今回この文章を読むのも、柄谷、小林、鷲田と読み継いできた一連のテーマの流れだ。
とすればこれもまた近代批判? だがどのような意味で?
例えば次のような一節を読み比べるだけでも、岡真理が柄谷と同様な問題意識を射程に収めていることは容易に見てとれる。
「虚ろなまなざし」
私たちが生きる、この地球社会に山積した問題の数々。民族問題、環境問題、南北問題、人権問題……それは、この世界に生きる私たち一人ひとりの問題でありながら、ほうっておいても、いつか、どこかのだれかが解決してくれるかのように、いつもは、他人事のように忘却を決め込んでいる私たち、これらの問題を紹介するテレビや新聞の特集や詳細なルポも、ワイドショーで報じられる芸能人のスキャンダルと同じような情報の一つとして消費してしまう
「場所と経験」
直観的に言えば、我々が新聞やテレビで知るような場所や事件はこういう空間に属しているように思われる。それは近所で見聞する事柄のようなリアリティを持たないし、肉眼で見るような切実感もない。その上、それは妙に国際的である。沖縄、ベトナム、ビアフラ、テルアビブ……これら各地で起こっていることに我々は均質な関心を寄せることができる。なぜなら、それは均質な空間で起こっているからである。
ここに共通する問題意識とは何だろう?
確かに、世界に起こる国際紛争などの「問題」についてのルポルタージュを「ワイドショーで報じられる芸能人のスキャンダルと同じような情報の一つとして消費してしまう」ことが問題であることはわかる。だがそこからこれを、例えばメディアリテラシーの問題として捉えたり、広く世界の問題に目を向けようといった教訓に進んでも、「情報の一つとして消費してしまう」ことや「均質な関心を寄せる」ことにしかならない。
文章を読む目的は、それを「理解する」ことなのではなく、それを「使う」ことにある。ここまで論じてきた「比較読み」も「使う」ために読むことの一つの実践なのであり、「虚ろなまなざし」を、現代社会の問題を考える上で「使う」ことはその意味で妥当な扱いだ。
だが、それは安易にできることではない。
例えば「虚ろなまなざし」から抽出されそうな「我々自身の『加害者性』に目を向けよう」などという教訓は容易く岡真理のいう「キャンペーン」に流れて「消費」されてしまうだろう。あるいは柄谷のいう「真の知識」を得るためには、テレビで観るのではなく事件の現場に行くしかない、などといった見当違いの解釈に陥ってしまうだろう。
それぞれの文章をその内部で読むだけでは、例えば両者が「文学」について語っていることはわからない。「場所と経験」で最後に突然言及される「文学」は唐突に過ぎて何のことかわからないし、「虚ろなまなざし」の本文中には「文学」への言及はない。だが、岡真理が批判するジャーナリズムやその享受者たる我々に対置するものとしてアラブ文学を専門家とする彼女が想定しているのは「文学」のはずである。それは「ちくま評論選」の岡真理「棗椰子の木陰の文学」を読めばわかる。
そしてそれは柄谷が「視たものだけを視たということ」から出発するほかに不可能だと語る、その「文学」である。
さて、こうした「問題」意識を元に読解を進める上で、考察の緒とするのは次の一節だ。
「それ」による私たちの暴力的な主体化の問題性とは、人を時に死に至らしめるほどの、文字どおりの暴力性である、というだけではない。私たちが恣意的に投影した私たちの声が「それ」の声となってしまうことで、もしかしたら、そうではないかもしれない、ほかのさまざまな声の可能性を抑圧してしまうと同時に、私たちが被害者として同一化することで、もし、私たち自身が加害者であった場合に、その加害性を都合よく隠蔽することにもなってしまうだろう。
この一節の「暴力的な主体化の問題性」とは何か?
「近代/非近代」という対立構造で文章を読む練習として、2011年センター試験出題の鷲田清一「身ぶりの消失」を読む。鷲田清一は去年のテストや、今年度に入ってからも「ぬくみ」で読んできた。
だが対比のラベルは「近代/非近代」では抽象度が高すぎて、いろいろな要素が入りすぎる。
「する/である」も、シンプルなのは良いがやはり多くの要素、複数の面があって使いにくい。丸山真男は単純な近代批判をしているだけではない。丸山の近代批判的論旨が現われているのは「過近代」的問題を扱った部分だ。
使いやすい対比は「均質な/感性的な」だ。ここに「幻想的」を加えてもいい。ただ用語が、言葉の意味合いから直ちに捉えられるというわけではないので、柄谷の論の主旨が適切に把握されている必要がある。とりわけ「幻想」が把握しにくいことは確認した。
その上で、この対比構造は様々な文章を読解する上で強力な手がかりになる。スケッチや撮影の構図を決める時のグリッド線のようなものだ。
さて、どう読解するか?
読解という行為自体を自分の判断で行うべきではある。「わかる」に向けて何をどう考えるか、それ自体が問題だ。
その一つの方法として、また授業における考察の交換の便を図るため、こちらで分析の方向を指定した。文中の具体例の対比を確認し、それぞれが「均質/感性」図式にあてはまることを読み取ろう、というものだ。
この文章内での具体例の対比は大きく言って3組半ある。
半?
挙げてみればわかる。
まず一つ目は次の対比。
バリアフリーの空間/古い木造民家を使用したグループホーム
実際には文中にこうした形で切り取れる表現が並んでいないので、こちらでこれらを対比として取り立てないと、こうした対比構造が見えてこない。
この対比が、どのようにして「均質/感性」という対比の構図に対応すると考えられるのか?
直ちに指摘できるのは「バリアフリーの空間」が「抽象的な空間」と表現されていることだ。「場所と経験」の中で「均質な空間」で経験することは「抽象的なもの」だと表現されていた。
これに対して「木造民家」の方が「感性的」だというために、どんな表現を取り上げれば良いか?
「木造民家」でのふるまいは「からだで憶えている」という表現がとりあげるには適切だ。「抽象的」が「頭でわかっている」ということだと考えれば、対比は明確。
だがすんなり腑に落ちにくいのは「抽象的な空間」に「人体の運動に合わせた」という形容がついていることだ。対比の両辺に「からだ=体」が出てきてしまう。どういうことか?
これも「人体の運動に合わせた」と対比的な要素を右辺に設定しよう。これもまた明示されていないので、こちらが文中から読み取って対置する。
どこのクラスでも、「物や他者との関係」が対比的な要素として挙げられた。これが「人体の運動に合わせた」と対比的であるとすると、その時イメージされる「人体」とは、文中の言葉で言えば「単独の」「孤立」した人体だということになる。
つまり「バリアフリー」とは「単独の人体の運動」にとって「自由」だということだ。とすると、むしろ「物や他者との関係」を「からだで憶えている」ような場所=感性的な空間では、人はむしろ制約がある=不自由だということになる。
二つ目に挙げられる対比は「遊園地/原っぱ」である。
これは「特定の行為のための空間/行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインする」という対比として語られる。「ではなく」で対比が明示されているから、ここは見つけなければならない。「あらかじめ/創っていく」という対比もみつかる。
さて、「行為と行為をつなぐものそれ自体をデザインする」は「物や他者との関係」の変奏であることを見てとることが可能だ。
だが「特定の行為のための」がなぜ「抽象的」と結びつくのか?
三つ目の具体例対比は「ホワイトキューブ/工場」である。
ここには「抽象的/物質的で具体的」という明確な対比が読み取れるから、「均質/感性」の対比に対応させることは容易だ。
だがやはり腑に落ちにくいのは、「工場」が「明確な特性」をもっている、と言っていることだ。左辺に「特定の行為のための」があり、右辺に「明確な特性」がある。紛らわしい。
三つ半とは、左辺に置かれるべき「現在の住宅」が、一つ目の「木造民家」と対比的だからである。
ここでは「現在の住宅」の「目的によって仕切られてしまった」という説明が、「遊園地」の「特定の行為のための」の変奏であることが見てとれる。
ここまで以下の三つ半の対比が「均質/感性」の対比に対応することを確認してきた。
バリアフリーの空間/古い木造民家
遊園地/原っぱ
ホワイトキューブ/工場
現在の住宅/古い木造民家
だが「工場」は「使用規則・行動基準」が「キャンセルされている」と語られているのに「木造民家」は「キャンセルされていない」という。
また、上で確認したとおり、「木造家屋」は「不自由」だが、「原っぱ・工場」は「自由」だ。
同じ右辺なのにこうした不整合をどう考えたらいいのか?
ここがこの文章の最大の考察しどころなのだが、簡単に結論を言おう。
「特定の行為のための」は「目的によって仕切る」であり、それこそが「使用規則・行動基準」である。これらがなぜ左辺「均質な空間」の特性なのか?
このことは「場所と経験」を参照するとわかりやすい。
柄谷は均質な空間で経験したことは「たんに経験したような気になっているに過ぎないので、だからこそ意味づけが性急に要求される。」と述べる。
この「意味づけ」こそ「特定の行為のため」であり、「目的によって」であり、「使用規則・行動基準」である。
つまり「抽象的」な「バリアフリー」の空間こそが「意味づけ」を要請するのである。無限定な「自由」は、逆に制約=不自由を自ら必要としてしまうという逆説的な事態に陥るのだ。ここが「場所と経験」が他の文章の読解に有効活用できる最も重要な点だ。
逆に「物質的で具体的」な空間=「感性的な空間」では、人はその「手がかり」を元に行為を「創っていく」。それこそが、その空間が「感性的」に把握されているということだ。そこでは「意味づけ」は不必要な制約だ。それがない「原っぱ・工場」こそ「自由」である。
左辺の「バリアフリー」の「フリー」と右辺の「自由」の違いは、このように理解される。
では右辺の「使用規則・行動基準」とは何か?
これは「物や他者との関係」によって決まっている「からだで憶えている」ふるまいのことだ。これが「感性的な空間」の「歩いたことがあるから場所を実質的に感ずる」に通ずることはわかる。
だがそれだけではなく、ここには「幻想的」な意味合いも含まれている。
柄谷の言う「幻想的」とは「感性的=物質的」に対する「非物質的=観念的」という意味合い以上に、「感性」=個人/「幻想」=共同体という要素が重要であることは以前解説した。「木造民家」におけるふるまいを決定しているのは「物」でもあるが、「他者」でもあるのである。「和室の居間で立ったままでいることは『不自然』である」という一節は、「幻想的」の意味合いを説明するために柄谷が言及した「タブー」と同じく、そうした感受性が共同体の習慣に根ざしていることを表わしている。
そしてこれが後半で語られる「文化」にも通じることを読み取ってほしい。「文化」とはまさしく、共同体の成員に共有された「幻想」でもある。
このように「均質/感性/幻想」という三項対立は、多くの文章の問題を読解する上で強力な枠組みとして参照が可能である。
だが現実の空間が、こうした「均質な/感性的・幻想的」という構図のどちらであるかを論ずることは生産的ではない。
例えば学校という空間はどちらか?
現実にはどちらの要素も含んでしまう。「学校」という空間は間違いなく近代において設立した「均質な空間」である。だが、現実の学校は、そこに生活する子供たちにとって「感性的」であり、「幻想的」でもある(まさに幻想的な空間としての「校長室」があるように)。
つまりこの対比は、世界観の対比であり、それをどのようなものと見なすかという考え方の枠組みの対比なのである。
そのような、考えるための補助線として強力な武器となる対比なのだ。
「無常ということ」「場所と経験」に共通する、左右の対立とは何か?
これは何のことやらわけのわからない問いに感じるかもしれない。漠然としてとっかかりがつかめない。
だがこのように訊くことの必然性があるのだ。
それは、この対立が初めて触れるものではないからだ。
対立的な対比といえば、皆の頭に最も想起されやすいのは「である/する」という対比だろう。
また?
冗談ではない。そうなのだ。
だがそもそもこの対比は何の対比だったか?
また例えば「過去から未来に向かって雨のように伸びた時間」を「均質な時間」のことだと言ったとき、連想されるものはないだろうか?
内山節の「不均等な時間」である。この題名に覚えはないだろうか?
この文章における対比のラベルは、題名から素直に導き出せる「均等な時間/不均等な時間」である。
これらの対比は、どんな対立を示しているのだったか?
ここで「近代/非近代」という対立構造が想起できた人は素晴らしい。
昨年度の「『である』ことと『する』こと」から「南の貧困/北の貧困」へつなぐ読み比べ、今年度に入って鷲田清一から斎藤環、平野啓一郎へつなぐ読み比べでも、問題は常に「近代/非近代」だった。
そして柄谷行人も小林秀雄も、同じことを問題にしているのだ。
近代は「均等な時間」を成立させた。時計の刻みにしたがって、速さも濃度も一定の時間が流れていく。
だが本来、我々が生きているのは「不均等な時間」だと内山節は言う。時間はその中身によって速かったり遅かったり、部分的に濃かったり薄かったりする。それが自然の、また人間の生の営みの時間なのだ。
これはそのまま、柄谷が空間について言っていることと同じだ。我々が住んでいるのは地図のように均質な空間ではない。小さな円同士はつながることなく点在する。間には何だか怖い場所がある。通ってはいけないタブーの地もある。
均質な空間/感性的な空間
記憶・解釈する/思い出す
する/である
均等な時間/不均等な時間
これらはどれも左辺を、近代に成立した世界観だとみなすことができる。小林の「蒼ざめた思想=現代における最大の妄想」はそうした近代的世界観を激しく糾弾している。
そしてそれに対立する右辺こそ本来の在り方であり、またそれを志向する姿勢だというのだ。
みんなそのことを言っている。
丸山によれば「近代化」とは端的に「する」化である。「『である』ことと『する』こと」は「する/である」を様々な変奏によって対比するから、ここでそのうちのどれを取り上げるかに迷うが、小林、柄谷、鷲田、斎藤、内山らに共通する「である」価値と言えば「かけがえのない個体性」だろう。
みんな、その重要性を、その喪失の問題を語っているのだ。
近代化による「する」化は、逆に全てのものを交換可能にする。「交換可能」と「かけがえのない」は文字通り対義的だ。
ここに斎藤環の「全てが偶然教」を付け加えてもいい。
そうした世界では「キャラ」が必要とされる。
これが「意味づけ」であり「解釈」である。内山ならば「経済価値」であり、丸山ならば「機能」だ。
全てが均質の世界で、交換可能になったものたちには、「意味づけ」が必要になってしまうのである。鷲田清一も「ぬくみ」の中で、現代の社会では「資格」「条件」が必要だ、と言っていた。
みんな、そのような世界観と、そこで行われる「意味づけ」を拒否する(丸山真男と平野啓一郎はそれぞれ別な動機で、必ずしも他のメンバーとは軌を一にしていない)。
こうして、昨年度の年明けから今年度にかけて読んできたいくつもの文章が、「近代批判」もしくは「近代への反省」という文脈で共通していることが一望できた。
これは世界中の様々な分野で提起されている問題であり、多くの評論文に共通するモチーフである。
そうした認識が、読むための「枠組み」として有効であり、世界を視るために必要なのだ。
「無常ということ」と「場所と経験」を読み比べる。
もちろん思考のガイドとなるのは、それぞれの文章の対比図である。
どのように照らし合わせると、どのようなことが「わかる」のだろうか?
「場所と経験」では、結局「感性的/均質な」という対比に重心が移って文章が閉じられることを確認した。この主要な対比を「無常ということ」の対比と比べてみる。
個々の表現の印象の類似性もあるだろう。「意味づけ」と「解釈」が似ていることを指摘する声があちこちから聞こえたが、これこそ最も重要な対応なので、その類似性が感じ取れているのはとても好ましい状態だった。
だが一方で解釈はいかようにでも変えられる、ということもある。「子どもらしい」という形容が肯定・否定、どちらのニュアンスでも解釈できてしまうように。小林秀雄の文章がそもそも「解釈」の不安定性を批判していた。
だから表現の印象の類似性にも目を配りつつ、対比全体の構造を比較する。
すると、次の「場所と経験」の対比と「無常ということ」の対比の左右がそれぞれ対応していることがわかる。
この対比の左右が揃っていると見做せるのはなぜか?
どちらの文章でも、左辺を否定して右辺を推しているからである。
こうして並べてしまえば、あとはいかようにも言える。上の配置図に挙げられた表現をつかって、二つの文章をこんな風にコラージュしてみよう。
柄谷が、自分が直接に見たものの「リアリティ・切実感」からしか「真の知識」は得られないのだというように、小林は、「心を虚しくして思い出す」ことでしか、我々を「動物的状態」から救う、美しい「常なるもの」は見い出せないのだと言っているのである。
「新聞やテレビ」で知った「国際的」な事件は、多くの歴史家の頭を充たす、歴史についての「記憶」と同じものに過ぎない。そうした経験に我々は「意味づけ」をして、「もっともらしさを確保する」ように、現代人はそうした歴史の記憶を「解釈」してわかったつもりになるのである。
「解釈を拒絶して動じないもの」こそ「真の知識」であり、そうした認識にいたった鷗外や宣長こそ、歴史の魂に推参した「文学」に到達したのである。柄谷が「生きた他者」からしか「人間」について知ることはできないというように、小林は「死んだ人間」こそが「まさに人間の形をしている」というのである。
「生きた他者」=「死んだ人間」!
小林の「生きている人間」を柄谷の「生きた他者」と結びつけてしまうと、対比の対応関係がまるで逆転してしまう。「死んだ」と「生きた」こそが対応しているのだと納得するためには、文脈の論理を捉える必要がある。
「生きた他者」=「死んだ人間」とすると、両者の共通点は何か?
「どちらも~」と言い出してみて、続く言葉は何か?
両者の共通点を積極的に言うことは、実は難しい。こういう時には対比の考え方を使う。対比される側に「ではなく」を付けるのだ。斎藤環のいう「否定神学」だ。
両者はどちらも、こちらの解釈=意味づけを拒むものだ。
こうした意味合いは、言葉のニュアンスからも捉えられる。
例えば評論を読む際に必須の認識として、「他者」という言葉は単なる「他人」の意味ではなく、「こちらの解釈を拒絶する存在」を意味していることを知っておく必要がある。そうした認識があれば、「死んだ人間」こそ「生きた他者」であるという奇妙にねじれた帰結をも受け容れることができる。
柄谷を経由して初めて、小林の「解釈する」と「記憶する(だけ)」が、同じように「思い出す」の対比として並列されるわけが納得できる。
柄谷は言う。
われわれは日々多くのことを経験しているが、そのほとんどはたんに経験したような気になっているにすぎないので、だからこそ意味づけが性急に要求される。事件が不可解だからではない。意味づけることで、もっともらしさを確保したいからにすぎない。
これは「頭を記憶でいっぱいにしている」「多くの歴史家」こそが「歴史の新しい解釈」という罠に囚われてしまう事情を端的に述べている。
そしてその「解釈」と「意味づけ」こそ、小林と柄谷が厳しく拒否しようとしているものである。
こうした対比によって、「無常ということ」でも最大の謎といっていい「過去から未来に向かって飴のように延びた時間という蒼ざめた思想」について、ようやく考えることができる。
過去から未来に向かって飴のように延びた時間
を柄谷の文章で翻訳すれば
ここからあそこに向かって地図のように伸び拡がった空間
とでもいうことになる。
これは端的に柄谷「均質な空間」にならって「均質な時間」のことなのだ。
数直線上に均等に配置される史実によって成立する歴史、というイメージこそ、柄谷の言う「地図のように均質な空間」でさまざまな出来事が起こるこの世界、というイメージに重なり合う。
つまり、「場所と経験」の「場所=空間」を「時間」に置き換えたものが「無常ということ」なのである。
結局これらの文章は何が言いたいのか?
柄谷は、世界を「均質な空間」だと捉えているだけでは、そこでの経験を擬似的なものとしてしか受け取れないといい、小林は、数直線上に並んだ歴史を「記憶するだけ」では、「常なるもの」を見失った「動物的状態」から逃れることはできない、と言っているのだ。
あるいは、柄谷は、出来事を「意味づけ」をしてわかったつもりにならずに「生きた他者」を見ることでしか「真の知識」を得ることはできないと言い、小林は、歴史を「解釈」してわかったつもりにならずに、ただ「心を虚しくして思い出す」ことでしか「常なるもの」は見い出せない、と言っているのである。
こうしたまとめも、基本的には先ほどのコラージュの変奏だ。
ただしこれをきいて「ああなるほど」と思うことはまるで無駄だとは言わないがそれほど意味のあることではない。
それよりも自分でやってみることだ。それをやってみることによって、これらの文章の言っていること、筆者の考えていることが血肉化される。
全体の対比をとり、考察の必要な受け取りにくい「部分」に考察を加え、さてでは小林秀雄はこの文章で何を主張しているのだろうか?
それは明らかになったのだろうか?
対比を整理することは、文章の、思考の論理を整理することだ。
対比構造を対立項毎に左右に振り分けて、その差違線から輪郭を明確にするとともに、左右それぞれの領域を通観することで、そのまとまりも意識しよう。
縦に並んだ両辺のグループをひとつなぎに関係づけられるだろうか?
それぞれをつなげてみる。
左辺
現代人は、多くの歴史家のように頭を記憶でいっぱいにして、歴史を新しく解釈することに汲々とした挙げ句に常なるものを見失って、一種の動物にとどまっている。
右辺
鷗外や宣長のように、心を虚しくして巧みに思い出すことによってしか、解釈を拒絶して動じない常なるものを見出すことはできない。
つまりこれは全体の趣旨を要約しているわけだ。
これでかなり全体を俯瞰することができた。だがこれでもまだ、必ずしも「わかった」という実感、いわゆる腑に落ちるという感じに繋がるとは限らない。
例えば「思い出す」とはどういうことか?
それが小林によって推されていることはわかるが、それがどのようなことであるのかは自明とは言い難い。言葉としてあまりに日常に埋没しているがゆえに、ここで特別な意味を担わされているらしいこの言葉の意味をうけとりかねるのだ。
一方で「思い出す」の対比として「解釈する」と「記憶する」が並置されているのはどういうわけか?
一般に、「解釈する」とは対象への主体的な対峙であり、「記憶するだけ」にはそうした主体性を抑制した客観的な態度である(ような感じがする)。むしろ「解釈する」と「記憶するだけ」こそ、対立した概念ではないのか。にもかかわらずどうしてこれらが同じく「思い出す」に対置されるのか?
こうしたことを考えるのは、もう「無常ということ」の内部では限界である。内部の論理の整序による読解だけではこれ以上は先に進めない。自家中毒的な「迷路」に迷い込むばかりだ(「美学」の意味がこの文章内では決定できなかったように)。
文章内の構造分析は、必ずしも「わかった」という実感を保証しはしないのだ。
いや、むろんあるレベルでは、こうした対比構造の把握をする前よりもよほど「わかった」という実感はあるはずだ。「わかる」という感覚は常にある段階での、その前の段階との差異によって訪れる感覚だ。「場所と経験」を「幻想的/感性的/均質な」という構造に整理することも、「無常ということ」を「記憶・解釈する/思い出す」という構造に整理することも、あるレベルでの枠組みに情報を当てはめる=理解することに成功しているのだとは言える。
だからその先、である。
授業者にとって、次の段階の「わかる」という感覚が訪れたのは、「無常ということ」と「場所と経験」、二つの文章が同時に意識に上ったときである。あるとき、二つの文章が主張していることは同じだ、と突然気付いたのだ。その途端、両者が「言いたいこと」の感触がにわかにはっきりしたものになった。これは、後で考えたところによれば、二つの文章が、互いに枠組みとして機能したのである。
この感触は一瞬にして訪れたのであり、それを自覚的に跡付けることも、他人に説明することも、その一瞬の正確な再現ではない。しかし、それを他人向けに図式化して言語化することが、自分自身にとってもそれ以上の考察を可能にする。
授業という、一人で思考するのとは違う「場」が、こうした考察を可能にする。
この部分の解釈には個人的な思い出がからんでいる。
「無常ということ」が長らく教科書に載り続けている文章で、前述の通り授業者もまた高校生のときにこれを授業で読んだ。この部分の解釈にまつわる不一致は、実は高校生の時の授業者の体験に基づくのである。
どこまでも神妙に授業を受けていたとは言わないが(しばしば授業とは別の本をこっそり読んでいた。国語以外の教科の授業はむしろ寝ていた)、国語の授業の内容は比較的追っていたと思う(起きていたので)。
そして、この部分について先生が語る解説に違和感を覚えたのだった。
何がどう違っているかはわからないが、その違和感は看過しがたく、遠慮がちにそのことを表明してやりとりするうち、かろうじて先生の説明と自分の解釈が食い違っているらしいことがわかってきたのが問③のEFだった。
授業1時限費やしてもこの議論は決着をみなかった。そうして、授業担当の先生も当時の授業者も、意見を変えることなく終わるしかなかった。
この理由は、つまりこの問題に「正解」がない、つまりどちらかを「正解」とする根拠が、この文章からは導けないということだと現在の授業者は考えている。
最初から「正解」はない、と言っているのはそのためだ。
ただ、この授業の担当教師は、年度末の最後の授業でこの事件に触れて、授業の内容に質問を投げかけてくることさえ稀なのに、まして先生の言うことは違っているなどと言ってくる生徒は本当に珍しく、面白かったと言った。その柔軟な姿勢に心を打たれた本授業の担当者もまた、生徒からの異論反論を心から歓迎するものである。どうか曖昧に飲み込むことをせず、授業で感じた違和感を表明してほしい(その異論を容赦なく叩き潰してしまうようなことは控えるよう心がけよう)。
それ以来、自分で授業をする中で生徒と考えているうち、問①②についても、排他的な選択肢の形で示される解釈のバリエーションがあることに気づいて、論点としてとりあげてきた。
長い議論に寄り添った経験からすると、これらの選択肢はいずれも、それ自体では、明確な根拠を挙げてどちらかを否定することができない。それをただ否定しようとする議論は拙速に終わる。思い込みを排して考え直してみると、決定的な否定の根拠は驚くほど存在しないのだ。したがって、全体として整合的な解釈を提示することで個々の選択肢の妥当性を支持する、という形でしか議論できない。
議論をすればするほど、ある意味では理解が深まる。同時に議論すればするほど、結局わからなくなる、とも言える。
それほどに、この部分の解釈はすっきりと腑に落ちることがない。
ただ、選択肢にした問いのうち、③だけは結論を決定できる。
だがそれは、この文章内の情報では不可能である。その意味では①②と変わらない。
③についての結論はEである。だがそうだと言いうる根拠はこの文章の論理にあるわけではなく、例えば「無常ということ」という連作の別の文章、「当麻」の次の一節に拠る。
僕は、無要な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何の疑はしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」 美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩す現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遙かに微妙で深淵だから、彼はさう言ってゐるのだ。
この中の〈美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。〉はとりわけ人口に膾炙した一節で、よく引用される。
ここからは次の対比が抽出できる。
「花」の美しさ/美しい「花」
観念/肉体
そしてここに書かれていることは「無常ということ」にそのまま通じている。「解釈する/思い出す」の対比である。
つまり、「美学者」はありもしない「観念の曖昧さに就いて頭を悩ま」していて、それは「化かされている」ということなのだ。「無常ということ」の「多くの歴史家」である。
とすれば、小林が「美学には行きつかない」というのは、E「行くつもりがない」ということなのだ。
30数年前の先生はこのことを知っていたのだ。だがF「行き着けない」という意味で解釈していた授業者には、その説明は受け容れ難いものだった。
だが今ではEの解釈の妥当性を認める気になっている。
これはつまり他の文章を読むことによって得た小林の「美学」に対する見解が枠組みとしてはたらくことではじめてEの解釈の確からしさが保証されるということだ。だからFの解釈に整合性を持たせる①②の解釈は、それはそれで可能なのである。筋が通ってさえいれば、それを不正解などとは言えない。
その上で③をEとして、そこへ向かっていく論理を構築する。
現在の授業者の納得はBCEである(この支持者はどこのクラスでも少数派もしくは皆無だった)。
「子どもらしい疑問」がB「幼稚で取るに足りない下らない疑問」だから、自分は「迷路」に押しやられる。ただ、その疑問の元になっている「美学の萌芽とも呼ぶべき状態」=C「美しさをつかむに適した心身のある状態」には「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」。だから「押されるままに、別段反抗しない」。
つまりCで解釈する「美学の萌芽」こそ「上手に思い出す」ことができている「状態」である。
だが、「美学の萌芽」とも呼ぶべき状態への信頼と、「美学」という行為は別なのだ。「美学」は、そうした「状態」を観念によって分析しようとする。それが「迷路」だ。そんな「化かされている」ような連中に筆者は与するつもりはない、と宣言しているのがE「美学に行きつくつもりはない」というわけだ。
となると「美学/美学の萌芽」という対立は「解釈する/思い出す」の対立に連なっているということになる。
この部分はまだ小林自身が手探りで論を進めているところで、対比すら明確ではないから、唯一の正しい解釈には「行きつかない」し、それは全体の解釈にとってどの程度重要かもわからない。
だがこの授業展開は毎度盛り上がる。
それは決して無駄なエネルギーの浪費というようなことではない。
学習とは議論の過程そのものであり、結論を知ることではないのだから、議論によって思考が活性化している状態でありさえすればいいのだ。
さて、「部分」の解釈をもう一箇所。
本文第三段落後半は、全体として「わからない」この文章中でも、最もモヤモヤが集中する部分だ。
あれほど自分を動かした美しさはどこに消えてしまったのか。消えたのではなく現に目の前にあるのかもしれぬ。それをつかむに適したこちらの心身のある状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかもしれない。こんな子どもらしい疑問が、すでに僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見つけ出すことができないからである。だが、僕は決して美学には行きつかない。
ここに感ずるモヤモヤを分析し、解決ができそうか検討してみる(先回りして言ってしまうと、実は結局解決しない。それでも構わない。解決が目的なのではなく、そこを目指した考察と議論が目的だからだ)。
問題点を抽出し、分析し、妥当性を検討する考察にはいくら時間があっても足りない。
なおかつ解決できる見通しがあるわけでもないので、議論は時間的に限界を決め、まず論点を整理して提示する。
この部分からは「子供らしい疑問」「途方もない迷路」「美学の萌芽」あるいは、なぜ「少しも疑わしい性質を見つけ出すことができない」のか、なぜ「できない」ことが「別段反抗はしない」の理由になるのか、といった数々の疑問が浮かぶ。
重要なことは、これら一つ一つの問題箇所を個別に説明しようとする問いは有効ではないということだ。例えば「美学の萌芽」とはどういうことか? といった形で問いを立てても、結局決着点が曖昧だから思考を集中しにくい。
「どういうこと?」という問いは基本的に「正解」をもたない。説明という行為自体が本来、問う側と答える側のコミュニケーションでしかないからだ。
だからここではむしろ排他的な選択肢のある問いの形が思考を活性化させる。もちろん、答えがどちらであるかが重要なのではないことを常に思い出しながら、とりあえず結論に向けて目も耳も口も頭も総動員するのである。
そしてその選択肢のどちらを選ぶかが、上記の疑問についての考察を押し進める強制力になればいい。
問①「子どもらしい疑問」とは次のどちらのニュアンスに近いか。
A 「純粋で無垢な疑問」という肯定的ニュアンス
B 「幼稚でとるに足りない下らない疑問」という否定的ニュアンス
問②「そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態」とは次のどちらを指しているか。
C 美しさをつかむに適したこちらの心身のある状態
D 「子どもらしい疑問」によって迷路に押しやられている状態
問③ 末尾「だが、ぼくは決して美学には行きつかない」とは次のどちらのニュアンスに近いか。
E 美学に行きつくつもりはない
F 美学には(行きつきたいけれど)行きつけない
これらは問うてみると、必ず見解が分かれる選択肢だ。その組み合わせを考えると、単純には2の3乗で8通りだ。教室の雰囲気が付和雷同に流れなければ、本当に皆の立場は8通りに分かれる。
そしてそれぞれが納得のできないわけではない、といった解釈を成立させているのである。
問①「子どもらしい疑問」ではまず「こんな」と指示されている部分がどこなのかも問題になるが、これはまあ前の4行全体を指していると考えればいいか。
その上で筆者を「途方もない迷路」に「押しや」る「子どもらしい疑問」は肯定的なのか否定的なのか?
例えばA肯定的と考える根拠は「押されるままに別段反抗しない」からだ。
だがそうして押しやられる先は「迷路」だ。これが否定的な比喩であるとすれば、そこに自分を押しやる疑問も悪いものに違いない。とすればBだ。
つまりAであることもBであることも、それなりに妥当性の根拠は挙がる。
となれば、後に続く論理をどう構築できるかという問題だ。
問②の「そういう」は「美学」にかかっているわけではない。前の部分で「美学」が何を指しているかがわからないからだ。したがって「そういう」は「状態」にかかっていると考えるべきだろう。
つまり「そういう『美学の萌芽』とも呼ぶべき状態」だと読めるのだが、では何を指して「美学の萌芽」と呼んでいるのか?
「そういう」という指示語が、直近の文脈を受けていると考えるのはごく自然な読解作法だから、まずはDの解釈が発想されるはずだ。
Cの解釈は、もう少し文脈を広く把握しようとしたときに「状態」という語の共通性から発想される解釈の可能性だ。
ここでも既に両説の妥当性の根拠が挙がる。
となればどちらが「美学の萌芽」と呼ぶべき状態なのかを論理づける解釈が必要だということになる。
ある解説書では「美学の萌芽」を次のように説明している。
自分の美的経験に関する素朴な疑問と考察は、哲学的体系との整合性に配慮しつつ論理化された学問としての美学ではないが、美学とその出発点は同じくしているということ。
何を言っているかよくわからないが、「素朴な疑問と考察は」とあるのは、Dと解釈しているということだろう。
「ぼくは(迷路に)押されるままに、別段反抗はしない。」ことの理由として「美学の萌芽」に「疑わしい性質を見つけ出すことができない」と述べられているわけだが、Cに「見つけ出すことができない」のと、Dに「見つけ出すことができない」では、どちらが「反抗しない」ことの理由として納得できる論理を形成するか?
問③のEでは「美学」が否定的なものとして捉えられ、Fでは逆に肯定的なものとして捉えられている。
「美学の萌芽」が「疑わし」くないから「美学」も信用されるべきなのか、「萌芽」は「疑わし」くないが、「美学」は「疑わしい」のか。論理的にはどちらも可能だ。したがって、まだEともFともわからない。
全体の構図が見えてきたところで「部分」の解釈をする。
「鷗外・宣長/多くの歴史家」という対比は意識的に並べなければ、文中では対比的に配置されているわけではない。むしろその近辺では「考証家」がどちらであるかをめぐって議論が繰り広げられたりする。
そこでその一節について「部分」的な読解をする。
歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と映ってくるばかりであった。新しい解釈なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられるような脆弱なものではない、そういうことをいよいよ合点して、歴史はいよいよ美しく感じられた。晩年の鷗外が考証家に堕したというような説は取るに足らぬ。あの膨大な考証を始めるに至って、彼はおそらくやっと歴史の魂に推参したのである。
上記の「晩年の鷗外が考証家に堕したというような説は取るに足らぬ。」とはどういうことか?
まずは「考証家」の意味を確認したくなるだろうし、「堕した」と「取るに足らぬ」で表現された論理をたどる必要はある。
誰かが晩年の鷗外を「考証家」と呼び、それは「堕落」だと言っているのだ。そして小林はそれを「取るに足らぬ」と切って捨てる。
すると、明らかにすべきなのは次の2点だ。
「考証家に堕した」と評されるような鷗外の晩年の活動がどのようなものであるか?
「晩年の鷗外が考証家に堕したというような説」を唱えているのは誰か? またそれはどんな意図によるものか?
晩年の鷗外が歴史小説に傾斜していったことは、外部的な知識として補う必要はある。それは「場所と経験」にとっての「共同幻想」などと同じく、この文章の当時の読者にとって常識だが、現在の高校生にとっては知っている方が特殊であるような知識だ
だがそれがどのような小説なのかは、この文章の論理から明らかにされなければならない。
「誰か」については二つの可能性が考えられる。
文学畑の人だとするとその潜在的な対立項は「考証家/小説家」だろうし、歴史畑の人だとすると「考証家/歴史家」だろう。授業者は1を想起していたが、かつての生徒から提起された2の案でも論理は成り立つ。両方考えてみよう。
ここでも、「部分」の解釈は「全体」の把握と相補的だ。「記憶・解釈する/思い出す」という対比に基づいてここを解釈するのだ(だが、この対比が既にこの「部分」の解釈の結果として抽出されたという側面もある)。
少なくとも鷗外の歴史小説がどのようなものであるか、この対比からすれば、「解釈」をしない、史料を淡々と書き写したようなものだということになる。そうした歴史小説を書く鷗外を「考証家に堕した」と評するのはなぜか?
文学畑の人だとすれば、虚構を創造することこそ文芸の営みだと考え、創作的な要素のない鷗外の歴史小説はつまらないものに感じられる。鷗外氏は「考証家に堕した」のだ。
この場合は自分たちの文学という営みの方が高尚なものであると捉えられているわけだ。
一方歴史畑の人が唱えている説だとすると?
彼らからすれば素人の鷗外氏が、自分たちの畑に入ってきて、やっていることといえばただ史料を書き写してそれを「小説」と称して発表する。そんなものは、自分たちのやっている歴史学からすれば、単なる考証に過ぎないように映る。
むろんこの人たちにとって「歴史の新しい解釈」こそが高尚な歴史学だということになる。
「場所と経験」について、対比図を画いて全体の論理構造を捉えても、結局のところ、柄谷がこの文章で言いたいことは何か、というあたりはまだ曖昧である。「腑に落ちた」という状態にはほど遠い。
これは、先の宿題である「理念」「意味づけ」が「均質」に、「生きた他者」「見たものだけを見たということ」が「感性的」に属するという認識に実感がともなわないからだ。
作者が何を言いたかったのか、といえば「視たものだけを視たということでしか真の知識は得られない」などということになるが、こんなふうにまとめても、柄谷が何を主張したいのか、さっぱりわからない。
だが、これ以上「場所と経験」だけを読んでいても、それがわかるようになったりはしない。
それは、こうした論理構造を当てはめるべき「枠組み・型」が何なのかがわからないからである。
一方の「無常ということ」は先に一度考察したとおり、そこらじゅうが「わからない」文章だ。
それをいささかなりと「わかる」に変えるためにできることは、文章内の論理の整理整頓と、外部的な「枠組み・型」へのあてはめである。
そこでまずは「対比」である。
だが、いわゆる「論文」の体をなしていないこうした随筆から、明確な対比構造を抽出するのは容易ではない。その困難は「場所と経験」の比ではない(だからこそこの文章が「難解」に感じられるのだし、授業で扱う価値があるのだ)。
この文章では、文中に明示されている対比をラベルとして設定し、そこにそれ以外の要素をはめこんでいく、というような手順はとれない。
それでも、人間の思考が何事かの輪郭をそれ以外のものとの差異線に沿って描くことでしか成立しない以上、明示的であれ暗示的であれ、対比構造のない思考はない。
ここでも粘り強く、文中の対比を捉えてみよう。
文中の対比は、語義的な解釈で対比であることが判断できることもある。
例えば「死んだ人間/生きている人間」は語義的に対立している。
また、「無常/常なるもの」も語義的な対立から対比として抽出できる。
それだけではなく、「場所と経験」で考察したように、文脈の論理から、対比項目であることを判断できる(しなければならない)こともある。
例えば「一種の動物」は「生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」という一節からすると、上の対比の右辺に配置される。
一方、「この世は無常とは決して仏説というようなものではあるまい。それはいついかなる時代でも、人間のおかれる一種の動物的状態である。」という一節からすると、「動物」側に「無常」がこなければならない。
したがって、何気なく挙げた上記二つの対比は、次のように整列されなければならない。
生きている人間/死んだ人間
一種の動物/
無常/常なるもの
ここにはさらにいくつかの対照的な形容が付されている。
/動じない・動かしがたい
脆弱/はっきりしっかり
しかたがない/のっぴきならぬ
鑑賞に堪えない/美しい
これらの形容は、はっきりと筆者の姿勢・評価を示している。この文章の主張を探る上で重要な形容だ。
さて授業では、対比を抽出するにあたって、二つの系列の対比がある、と言った。この二つの系列はもちろん関連しているが、最初から同じ対比軸上に並べていいわけでもない。
比較的皆が見つけるもう一つの系列の対比として、挙がりやすかったのは次の組合わせだ。
歴史/解釈
「歴史」がこのように対比的に読めるのはわからないでもない。
だが「解釈」は「解釈する」という動詞になる、つまり行為だが、「歴史」はその対象となる観念だ。これを対比として並べるのは不全感がある。
したがって「歴史」を現段階で対比のどちらかに置くのは控える。
ではもう一つの系列の対比とは?
比較的挙げられていたのは次の対比。
記憶する/思い出す
これは文脈上は対立であることが容易に見てとれる。ただし語義的には共通性が意識されやすく、対立要素がないから、どういう対比なのかはにわかには腑に落ちない。考察する必要がある。
この対比にはそれぞれに対応する具体例が挙げられる。
文末から挙げられるのは次の対比。
現代人/なま女房
そして「記憶する」のは「多くの歴史家」だ。この「具体例」には対応する例が文中から指摘できる。「鷗外・宣長」である。
多くの歴史家/鷗外・宣長
この対比が取り出せた人は広い視野と強い論理把握力がある。
鷗外も宣長も「歴史の解釈」をしなかった人たちだ。したがって、対比の左辺に「解釈する」が配置されることになる。
すると「思い出す」に対して「記憶する」と「解釈する」が並列的に対比されることになってしまう。
記憶する=解釈する?
これを納得するためにはどう「解釈」したらいいのだろうか?
これが「無常ということ」を読解する一番のポイントである。
さて、「解釈」が配置されたことで先ほどの「歴史」をどう考えるか?
つまり次のような対比になっているのである。
歴史を解釈する/歴史を思い出す
したがって「歴史」それ自体はニュートラルな語句としてもまずは捉えておこう。
「歴史」は、「場所と経験」の「経験」「人間」「知識」のように、対比軸の一方にのみ属するのではなく、それを軸のどちらかに置く条件や形容が対比的なのだと考えよう。
もちろん、こうした対比図が完成した後では、「歴史」を、その本質において右辺に属するものとして小林が捉えているのだと考えてもいい。六段落における「歴史」などはほとんどそうした意味で使われている。そこだけを見ると確かに「歴史」を右辺に属するものとして主張したくなる。
だが「歴史」は、さしあたってそれをどう捉えるかという問題意識の対象となっていると考えるべきである。
柄谷の「知識」も「人間」も、対比が明らかになった後には、柄谷がどちら側に置きたいかは明らかになっている。小林の「歴史」もそうなのだ。
次の一節は明らかな「ではなく」型の対比を示しているにもかかわらず、どのクラスでも挙がらなかった。
思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんながまちがえている。僕らが過去を飾りがちなのではない。過去のほうで僕らによけいな思いをさせないだけなのである。
ここが挙がらないのは、「ではない」の前後が揃っていないからだ。対比させるには、両辺を揃えなくてはならない。「歴史/解釈」を、そのままでは対比に取り上げられないのも、概念の位相が揃っていないからだ。「解釈」は「解釈する」という動詞=行為であり、「歴史」はその対象だ。
上の一節では「ではない」の前後で、主語と目的語が入れ替わっている。これをどちらかに統一して、その述語をとりだしてみる。主語は「僕ら」と「過去」とどちらがいいか?
これは、全体の対比の構図を想定すればいい。「記憶する・解釈する/思い出す」の系統である。つまり「僕ら」である。
それでも単に受身形にして「飾りがちなのではない/よけいな思いをさせられない」と並べれば良いというわけではない。まだどのように「対立」しているかがわからない。
「対立」型の対比は、一方の項に「ではなく」が付加されることが前提されている。「解釈する〈のではなく〉思い出す」のように。
さらに「よけいなこと」の連想で次の一節が思い浮かべば、それを言い換えに使おう。
よけいなことは何一つ考えなかったのである。
ここまで考えれば、上記の対比的一節から「飾る/余計なことを考えない」の対比が抽出できる。
これは「解釈する/思い出す」の言い換えのバリエーションである。
さて、これらの二つの系統の対比はどういう関係になっているか?
左右は意識して揃うように並べてあるが、といって一つの対立軸だとは言えない。それぞれ別の系統だと感じられる。
しばらく考えていると、これらの関係がわかってくる。後者が前者に対する姿勢・スタンスを表わしていて、前者はその対象の捉えられ方の違いを表わしているのである。
そしてその接点に「歴史」がある(というとD組K君は、上は「歴史」が主語になり、下は「歴史」が目的語になる対比だ、と表現した。秀逸である)。
対比図によって論の全体構造が掴めたところで、「その二つ」に決着をつける。
私は東京で計六回引っ越したが、どの土地もA住んだ家の周囲数百メートルにしかなじみがない。Bそれより先はよくわからないのだ。むろんC(その場所は)地図を見ればわかるし、頭ではわかっている。だが、その二つはすこしも実質的に結びつかない。歩いたことがなければ、場所を実質的に感じることはできないのである。
解釈の候補は三つ。
①A「なじんでいる内」とB「わからない外」
②B「わからない外」とC「わかる外」
③A「なじんでいる」とC「頭でわかる」
結論を言えば、この問いに「正解」はない。どの解釈を完全に否定することもできず、どの解釈も可能であることを認めざるを得ない。
だが、それぞれを支持する論理は明らかにしておきたい。
①「内と外」の解釈の妥当性を説明する説得力を持った議論は次のようなものだ。
Bに続くCの文は「むろん」で始まっている。そしてそれを「だが」で受けて「その二つは結びつかない」と続く。
この「むろん~。だが~」は、いわゆる「確かに~。しかし~」構文と同じニュアンスであり、そこでは「むろん・確かに」の後は予想される疑問・反論として置かれているだけで、最初から否定するための当て馬だ。
つまりCの扱いは軽いのである。ABこそ「その二つは結びつかない」と言明されるべき本命なのである。
これは細部のニュアンスを丁寧に汲み取った鋭い解釈だ。
だが①を推す論拠にはさらに強力なものがある。
「その二つは少しも実質的に結びつかない」の後、一文を挟んで「結局私が知っている場所は、いわば数多くの小さい円から成っていて、その間には何のつながりもない」と続く。
間に入るのが「歩いたことがなければ、場所を実質的に感じることはできない」という一文であり、「感じられない」ことが、円同士の間が空白地帯になる理由を述べている。
つまり「内と外」が「結びつかない」から、「結局」円同士が「つながらない」ということになる。
この論理展開は緊密で、間然するところがない。
授業の展開上は後から浮上した③は、しかし話し合いの推移にしたがって、むしろ最も支持を集めたようだった。
地図を見て「わかる」こと(C)は、「歩いたことがなければ実質的に」「わかる」=「なじむ」(A)にはならないのだ、と言っているのである。これは本文全体の趣旨に照らしてみても実に納得の解釈である。
だが授業者の私見を言えば、③は比較的支持できない。
それは書き手の心理から言えば、間の一文を跳ばしてAとCを「その二つ」と指示するのは、読者に伝わりにくいと考えるのではないか、と思えるからだ。
直前のCと並列したいのがBではなくAだとすると、むしろ「その二つ」という不明確な指示語ではなく「歩いてなじむことと、頭でわかることは(実質的に結びつかない)」というような明示をしたくなるのではなかろうか、と思う。
では②「外と外」を支持する論理とはどのようなものか。
①「内と外」型の解釈は、この「二つ」を、物理的に分割された別の空間として捉えている。そしてその一方が「感性的になじみのある空間」、一方が「感性的になじみのない空間」である。。
つまり「感性」が分割の根拠として強調され、両者が「つながらない」といっているのである。
一方、②「外と外」型の解釈では、「その二つ」とは、結論を言えば「感性的な空間」と「均質な空間」である。
Bの「わからない外」を「幻想的な空間」であるとする解釈が話し合いの中で語られているのを散見したが、これは全く文脈を捉え損ねている。「わからない」のは、私がそう感じているだけだ。つまり個人的な「感性」のみがそれを「わからない」と感じさせている。したがってBもまた「感性的な空間」なのである。
それに対してC「地図を見ればわかるし、頭ではわかっている。」は地図の比喩で明らかなとおり、「均質な空間」としてそれが捉えられている。
もちろん文脈上、「均質な空間」にはじめて論及されるのはここより三段落後の「だから~」の段落の、「ところで、第三の空間がある。それは~」である。したがって「その」という指示語で指し示される対象に「均質な空間」を想定するのは適切か、という疑問は可能だろう。
だが、文章を書いている、またそれを読む読者の思考はそのような単純な線状性に限定される必要はない。柄谷の中には、「幻想的/感性的」という対立を提示した時点ですでに「均質な」という対立も想定されていると考えられる。ただそこに言及するには線状性による制約があるというだけだ。
「外と外」型の解釈は、物理的には同一の空間を、「感性的になじみのない空間」でもあると同時に「地図には載っていて、頭ではわかっている空間」=「均質な空間」とも捉えている様子が描写され、それらの捉え方が全く違ったものであることが述べられているのだ、というものである。
こうした、同一の対象が、捉え方によって違ったものとして感じられる例として、柄谷は後の段落で、「登山客が地元民にとってはタブーの地を平然と通過すること」という例を挙げている。「登山客」にとって「均質な空間」であるところの登山ルートを、「地元民」は「幻想的な空間」であるところの「タブーの地」と捉える。同一の対象を、両者は違ったものとして見ている。
同一の対象であっても、捉え方の違う二つの空間は、それぞれの認識の中では別のものである。それが自分という単一の主体の中で起こったとしても、やはりその認識像は「結びつかない=重なり合わない」。
A「なじんでいる」は感性的な捉え方で、C「わかる」は均質な捉え方だ、と整理してみれば、③もまた「感性/均質」が「結びつかない」と言っているのだ、ということになり、これは文章の最終的な主張を先取りして述べていることになる。
①の解釈は前後の文脈の論理展開から最も整合性が高く、②③は文章全体の趣旨に適合する、と言えようか。
三項対立となる対比図を画いた。
これで文中の論理構造は一望できたが、だからといってこの文章の主旨が「わかる」というためには、もう一歩踏み込んだ考察が必要である。
この文章のわかりにくさは、まず対比のラベルとした「感性/幻想/均質」がどのような対立要素を持っているかが、語義的にはまるでわからないことによる。
どう考えたらいいか?
対比する項目同士は、必ず対比を可能にしている共通の土俵と、対比軸を構成する対立要素(「差異」といってもいい)をもっている。
例えば「感性」の「実質的」「リアリティ・切実感」と「均質」の「擬似的」「抽象的」と並べれば、「感性」と「均質」の対立要素は明らかだ。これは語義的な対立がわかりやすい。
だが、同じように「生きた他者」と「理念」、「見たものだけを見たということ」と「意味づけ」を並べて、その対立要素を考えようとすると、これは難しい。だからこそ、そもそも文中から抽出することが難しかったのだ。
また、この文章での最終的な議論は「感性的/均質な」の対立軸を巡って展開されるので「幻想的」にそれほど踏み込む必要はないのだが、実は高校生にとって最も厄介なのは「幻想的」の概念の理解のはずなのだ。
「幻想的」とはどういうことか?
「幻想」という言葉はわかる。耳慣れない言葉ではなく、難解でもない。
皆にしてみれば「幻想的」とは、それと対比される「感性的」の属性である「実質的」の対比で、「実質的ではない・実体がない」などということだと捉えればいいと思えるだろう。
だがこれは、間違っているとは言わないが、充分とも言えない。
「均質な」の属性は「擬似的」「抽象的」である。
「擬似的」とは「本物に似せた」だから、その対比は「本物・実物」ということになる。「抽象」の対義は「具体」だ。
これらの性質は「感性的」の「実質的」に対応している。「均質/感性」がそのような対立を形成しているのに、「幻想」はこれとどう違うのか?
「均質」とも対立要素をもつ領域として「幻想的」を捉えるには、単に「幻想」という語義からの解釈では不十分なのだ。
実はここにはある「常識」の決定的な欠落がある。そればいわば時代的なものだ。この文章が書かれた時には、読者にとって常識であり、それがいまや「知る人ぞ知る」になってしまったのだ。
それが「幻想的」という言葉の意味を高校生が捉え損ねる重要な原因なのである。
「場所と経験」が雑誌に掲載された昭和47(1972)年の読者にとって「幻想」という言葉は、「共同の幻覚」の柳田国男などよりよほど自明なものとして、「共同幻想」という言葉を想起させたはずだ。それは完全に当時の言論界にとっての「常識」だったのだ。
「共同幻想」は1968年に刊行された吉本隆明の『共同幻想論』の流行に伴って完全に人口に膾炙した言葉だった。当時の言論人も大学生も、当たり前のように「共同幻想」という言葉を使っていたのだ。
つまり「幻想的」という概念の理解にとって重要なのは、「幻想」という語の含意する「実際には存在しない」などという意味合いとともに、それが共同体の成員に共有されたものである、という点である。
つまり「幻想的」とは、実体はないが皆が信じている、という意味なのだ。
とすると「幻想的/感性的」の対比を成立させる対立要素は何か?
「幻想的」が「共同体の成員に共有されたものだ」という意味だとすると、対比軸を挟んで、「感性的」にどういう意味を見出すべきか?
「個人的な」という意味である。
ではそうした観点から「均質な」の意味をどう捉えるべきだろうか?
「幻想」の「共同体・国家」という例から連想されるのは「国際的」である。
だがこの「国際的」も、何やら含みのある言葉らしいという感触を察知すべきだ。
それに続く文脈から判断するとこの「国際的」は否定的なニュアンスを担っているらしいのだ。
結局、「幻想的/感性的/均質な」という対比は
という対立要素としてだけでなく、
とでも表現すべき対立としても捉える必要がある。
「均質」のもう一つの形容「抽象的」という語は「実質的(感性)」との二項対立が意識されやすい。「抽象的/具体的=実質的」という対立が想起されるからだ。
だが、「共同体(幻想)/個人(感性)」との三項の対比関係の中で考えるならば、ここでの「抽象的」とは「共同体の枠を越えて誰にでも適用されるがゆえに、逆に誰のものでもない=国際的」といったような意味合いを担う用語なのである。
捉えにくい(しかも捉え損ねていることが意識されにくい)「幻想的」という語の意味合いを考察することで、三項がどのような対立要素を含んだ対比なのかが明らかになってきた。
この「幻想的」という概念は先述の通り「場所と経験」の主旨からすると比較的重要ではないのだが、「社会と個人」をテーマとする文章などと読み比べるときなどにはきわめて重要な概念である。
例えば政経の授業で紹介される「想像の共同体」などという概念にも通ずるものとして、「幻想的」の意味合いも捉えておきたい。
「部分」の解釈から入ったが、実はここでこの問題に決着をつけない。何度も繰り返すように、「部分」の解釈の妥当性は「全体」の解釈と相補的だからだ。
一度「全体」解釈へ歩を進める。
論の骨子を掴むためのメソッドは対比構造を明らかにするのが定番。
いつものように、対比を構成する「具体例・比喩」「抽象語・概念語」「形容」をマークしていく。いくつか文中に挙がったら「ラベル」としてどの言葉がいいかを共有する。
「場所と経験」の大きな対立構造を読み取ることは、それほど難しいことではない。文中に明示されているからだ。まず「幻想的な空間/感性的な空間」が対比され、続いて「均質な空間」が対比される。
つまり、この文章は珍しい三項対立になっているのである。
これは「情報流」の「プレモダン/モダン/ポストモダン」の三層対比とは違う。これは時間軸上で直線に並ぶ。だが「幻想的/感性的/均質な」はそれぞれが二項対立を作りうる拮抗した三項だ。
そこでいつもの直線一本で対比軸を書くのではなく、Y字に三つの領域を区切って、そこに文中の語を配置していく。
挙げるべき語句は、文中の重要と思われる語句、いわゆるキーワードとは限らない。ここを誤解してはいけない。
例えば「人間」や「経験」などの語句が気になる。これらはいずれもこの文章を語る上で最重要のキーワードだが、そのままただちにどこかの領域に配置されるわけではない。これらは決定的に重要なキーワードである「場所=空間」が「幻想的」「感性的」「均質な」それぞれの形容を冠してどの分野にも属してしまうのと同じように、それ自体はニュートラルな語だといっていい。
すなわち「人間」に対して「感性的」に直面することもできる一方で「均質な」空間にいるものとして捉えることもできるし、「感性的な空間」における「経験」もあるし、「幻想的な空間」における「経験」もあるのである。それぞれの例を文中から指摘することが可能だ。
あるいは「知識」も目を引くらしく、皆がとりあげたがる語句だ。
だがこれも「真に『知識』を持つこと」という形で「感性的」に配置できるものの、それは「擬似的な『知識』=もっともらしさ」との対比において初めて意味をもつのであるに過ぎない。つまり「知識」そのものをとりあげるよりも、それを「真」たらしめる条件の方が重要なのである。
ここでも対比的なのは「真の/もっともらしい」という形容である。
さて、上記「人間」「経験」「知識」が文中に登場するのは終わりの三段落だ。この部分の読解は、前半ほど容易ではない。
まず、この三段落が同じ論理展開の反復になっていることに気づくだろうか?
こうした把握には、段落を一掴みにする感覚が必要だ。一掴みにした感触が、次の段落、その次の段落とよく似ている。
これができたら、三つの段落が相互に参照可能になる。
「我々は多くのことを知らされ~」の段落では「均質」と「感性」の対比であることが見て取れる。とりあえずそのままその二つの語が文中に登場しているからだ。
この対比を「私は『人間』について~」の段落にあてはめると、「理念」が「均質」に、「生きた他者」が「感性」に属することで対比を成すことになる。
こうした読解は、前の段落の「均質/感性」という対比が明確に意識されていないと難しい。「生きた他者」も「理念」も、この言葉自体の意味合いが「均質」や「感性」といった言葉と結びつく妥当性はない。文脈の対比構造から「生きた他者」と「理念」がそれぞれ「感性」と「均質」に配置されることがわかるのだ。
同じように「我々は日々多くのことを経験しているが~」の段落では「意味づけ」が「均質」に、「見たものだけを見たということ」が「感性」に属する。これも、三つの段落の論理展開が同じであると見なすからこそ可能な読解である。
さて、文中にマークした語句を、先ほどのY字で区切られた領域にそれぞれ配置していく。これができれば、この文章の全体の構造が一望できる。
「その二つ」とは「家の周囲数百メートル」の円の①「内と外」か、②「外と外」か? ③どちらでもないのか?
人数比はクラスによるが、皆の意見はそれぞれにバラける。
こういうわかりやすい対立点があると授業が盛り上がって面白い。
解釈の妥当性の根拠を巡って議論を繰り広げてほしいのだが、その前に、まずはそれぞれ、互いの解釈がそれなりに成立することを納得してほしい。
そして振り返ってほしい。自分が考えたどちらかの解釈は、そうでない解釈との比較検討の上で選んだものではないはずだ。それぞれ自然に、ある一つの解釈が脳内に成立して、それで納得していたのだ。先に引用した解説書の執筆者もそうだったのだ(授業者もまた当然そうだった)。
思い出してほしい。「永訣の朝」の冒頭で語り手が室内にいるのか庭先にいるのか、解釈が分かれたのも、それぞれの解釈は両者を比較して選ばれたものではなく、自然と一方の解釈がそれぞれの読者の頭に浮かんだのだ。
我々は通常、他者の存在がなければ、それとは違った解釈が可能であることなど想像しない。
授業者もまた、かつて授業でこの問いを発したときには、ある解釈をしていて、そうでない解釈をする生徒の答えを最初は一蹴していたのだ。ところがそうした答えが別のクラスでも相次いで提出されることで改めて考えてみて、初めてその解釈もにわかには否定できないことに気付いたのだった。
授業という場でなければ、こうしたことが起こっていることに気づくことはなかった。
他人と互いの考えを交換することで初めてこうした解釈の違いが表面化したのだ。
文脈の中で「その二つ」と指示される対象は、「内と外」「外と外」どちらの解釈の可能性も排除できない。自分はなぜ「自然と」そのどちらかの解釈をして、なんら違和感を感ずることもなかったのか? 相手はなぜ違った解釈にたどりついたのか? 自分の解釈の妥当性を主張し、それ以外の解釈にはどんな不整合があるのかを、相手にどう説得したらいいのか?
議論を進めると問題点がわかってくる。
問題の箇所、
私は東京で計六回引っ越したが、どの土地も(A)住んだ家の周囲数百メートルにしかなじみがない。(B)それより先はよくわからないのだ。むろん(C)地図を見ればわかるし、頭ではわかっている。だが、その二つはすこしも実質的に結びつかない。歩いたことがなければ、場所を実質的に感じることはできないのである。
において、「その」といって指し示せる候補が文脈上、下線を付したABCの三箇所ある(それより遠くなってしまうと「その」という指示が曖昧になってしまう。だからちょっと遠い「幻想的」と「感性的」といった目立つ対比を指していると考えることはできない)。
ABを指しているのだと捉え、Cをいわば括弧に括っておくのが「内と外」という解釈だ。一方「その」に近いBCを指していると捉えるのが「外と外」という解釈だ。
どちらの解釈も、文脈上は成立する。
クラスによっては①と②以外に③を主張する者が現われる。
指示していると見なせる候補が三つあるのだから、組合わせは3通りだ。
残る組合わせはACである。つまりA「なじんでいる円の内側」とC「地図でわかっている円の外側」が「結びつかない」というのだ。
なるほど。
それぞれの指示内容に応じて「実質的に結びつかない」のニュアンスが変わる。
①「内と外」では「繋がらない・連続しない」といったニュアンス。
②「外と外」では「重ならない・一致しない」といったニュアンス。
③「内と外」では?
後に続く文脈はどうなっているか?
続く「歩いたことがなければ、場所を実質的に感じることはできないのである」はBが「よくわからない」と言っていることを受けた説明だ。したがってABの組合わせでもBCの組合わせでも、後に続く文脈は成立する。
ACの組合わせでは「歩いたことがなければ」Cの「わかる」がAの「なじんでいる」にはならない、と言っていることになる。
これ以外にも考えられないわけではない。
④ABとC
⑤AとBC
これらは一体どういう解釈だと考えればいいか?
①から⑤まで、それぞれに可能な解釈ではある。
果たしてどう考えるのが妥当なのか? 柄谷行人は何と何を指して「その二つ」が「結びつかない」と言っているのか?
精読は先に「場所と経験」から行う。こちらで「枠組み」の見当をつけてから「無常ということ」に戻る。これは「である/する」のように、枠組みとして汎用性のある、シンプルで使いやすい用語が、「無常ということ」よりも「場所と経験」の方から抽出できるからだ。
枠組みの抽出のために行うのはテキスト内情報の構造化だ。
お馴染みの対比図づくりである。
だか今回はこの前に、興味深い「部分」の読解から始める。
取り上げるのは三段落の中頃の次の一節だ。
私は東京で計六回引っ越したが、どの土地も住んだ家の周囲数百メートルにしかなじみがない。それより先はよくわからないのだ。むろん地図を見ればわかるし、頭ではわかっている。だが、その二つはすこしも実質的に結びつかない。歩いたことがなければ、場所を実質的に感じることはできないのである。
この中の「その二つ」とは何と何を指しているか?
こういう時には頭の中で考えるだけでなく、必ず書かなければならない。
単純な指示内容を問うているだけなのに、ここは複数の解釈ができる。皆の意見は一致していない。
だが曖昧に考えたまま話し合いに入って主張の強い人の意見を聞くと、最初からそう考えていたかのように記憶を修正してしまうことが起こるかもしれないのだ(無意識の認知的修正=合理化!)。
皆はそれぞれ、どう答えをまとめただろうか?
黒板に円を描く。
「その二つ」とは、円の「内と外」か? 「外と外」か?
人数比はクラスによるが、皆の意見は必ずそれぞれに分かれる。それだけではなく「いずれでもない」という立場を主張する者もいる。
かつてこの文章を収録していた二社の教科書の解説書は、それぞれ次のように説明している。
① 住んだ家の周囲数百メートル以内の感性的になじみがある場所と、それより先の地図では理解できるが、よくわからない場所。
② 家の周囲数百メートルから先の「感性的」に「よくわからない」空間と、地図上で理解した知識(地図を見て頭で理解している地理)。
①は「内と外」、②は「外と外」である。
なんと、それなりに文章が読めるはずの人たちが、違った説明をしているのだ。
こういうことは、大学入試の選択問題でさえ起こる。出版社・予備校によって、提示される正解が分かれる。
さて、どう考えたらいいか?
第1回の定期考査から第2回の定期考査まで、またいくつかの評論を数珠つなぎに読み比べていく。そしてその数珠は、ここまでの「自己論」ともまた無縁ではない(そして尚且つそれは後期に読む「舞姫」にもつながってくる!)。
まずは教科書所収の、小林秀雄「無常ということ」を読む。
さほど長くはない。といって長い文章の一部というわけではなく、これだけで完結している。
戦時下の1942年に書かれ、長らく高校教科書に載り続けてきた文章で、授業者もまた高校時代にこれを教科書で読んだ。いわゆる「人口に膾炙(かいしゃ)した」文章である。
とりあえず読む。
おそらく、何のことやらわからないと感じるはずだ。
少なくとも高校生の時の授業者はそう感じていたし、後に教壇に立ってこの文章を扱うようになっても、相変わらずよくわからない、と感じ続けていた。今も考えるたびに、こうかも、と思ったり、やはりよくわからない、と思い直したりし続けている。
2013年のセンター試験の大問1に小林秀雄の文章が出題され、国語の平均点が過去最低になった。あまりに「わからない」文章を出題したことで世間からの批判も多かった。
そもそも「完全な理解」などありえないのだし、「完全な無理解」もない(とりあえず日本語としては読める)。
そうはいっても実際に「わかる」とか「わからない」とかいう感覚はある。その手応えを素朴に言えば、やはりこの文章は、高校の教科書などで読む文章としては相対的に「わからない」と感じる部類の文章に違いない。
「わかる」とは、入ってきた情報が既存の認識構造に位置付けられるときに起こる感覚だ、というのが授業者の定義だ。
予めある枠組み・型に、今わかろうとする情報をはめこむ。それに成功すると「わかった」という感覚がおとずれる。
それは感覚だから、他人からはその位置付け・はめこみが不適切だと思われても、本人は「わかった」と感ずることもある。いわゆる勘違い・誤解だ。
また、それは「わからない」状態に対する相対的な変化によって起こる感覚でしかない。「完全な理解」などないのだ。
だから、「わかる」ことは必ずしも「正しい」ことを意味しない。充分であることも意味しない。
ともあれ我々は、とりあえずは「わかる」ためにテキストを読む。その際、認識構造・枠組み・型が豊富に用意されていることと、情報の整理によってその型にはめこむ技術の総合力が、いわゆる読解力だということになる。
小林秀雄の文章は総じてどれもわかりにくい。これは上の「型」が、にわかには見当つかないことと、文章中の情報の整理が困難なことによる。
まず文章内の論理が追えない。あちこちに飛躍があって、どうつながっているのか、どういう関係になっているのかが掴めない。
同時に、それを位置付けるべき枠組みが見当たらない。
それは当然かもしれない。小林秀雄に言わせれば、既に読者がわかっていることを言っても意味はないのだから、自分が言っていることは読者が初めて出会うような認識なのだ、ということかもしれない。そうならば「わからない」のは当然だ。
だが上にも言ったとおり「完全な理解」がないように「完全な無理解」もない。わかるとかわからないというのは程度問題であり、それはそこにかける思考の時間によって変化する相対的な感覚だ。
可能な範囲で情報の整理を進め、同時にこの文章が位置付けられるべき枠組みが何なのかを探る。
この、情報の整理と枠組みへの位置付けは相補的に機能するもので、それはよく言っている「全体」と「部分」の理解が相補的であることと類比的・相似形だ(ここでもそのモデルは入れ子状のフラクタル図形的イメージ)。
文章内の情報の整理は毎度の「対比」などのテクニックを駆使して行う。
そして枠組みを充実させるのが、読み比べである。
授業者にとって、長らく「わからない」と感じられていた「無常ということ」が、いささかなりと「わかった」と感じられたのは、授業で別の、ある文章を読んでいた時だ。不意に、ここで言っていることは小林が「無常ということ」で言っていることと同じだ、と思ったのだった。そのいわゆる「腑に落ちた」感覚は、鮮烈な体験として記憶されている。
その文章が柄谷行人の「場所と経験」である。
戦前戦後を通じて小林秀雄が思想界に対して強い影響力をもっていたように、1980年代における柄谷行人はカリスマだった。後に東大総長となる蓮実重彦とともに、何か「別格」的な扱いだった。
ただその文章は、文章の外部に対する参照事項が多く、同時に小林秀雄の文章に通ずるわからなさがあって、高校の教科書には載りにくいし、大学入試にも出題されにくい。正解・不正解が言えないからだ。ただ、時々「わかった」と思えたときの爽快感と、全体として「何だかこの人はすごいことを言っている」感がカリスマ性の源泉だった。
「場所と経験」は、全体として文章の外部に対する参照事項が少なく、短く完結した、高校生にも読めなくはない、と感じられる文章であり、柄谷にしては数少ない、教科書に収録された文章だ。
だが同時に、議論が抽象的に過ぎて結局のところ何が言いたいのかはわかりにくい文章でもある。
この言い方は正確ではない。「わかりにくい」と感じていたわけではないのだ。ただ、振り返れば「それがどうした」という感じでもあったのだ。「わかった」という感じがおとずれた後になってみると。
その感じは、「無常ということ」が「わかった」と感じたのと同時だった。
つまり二つの文章は、互いに相手を、それぞれを理解させるための「枠組み」だったのだ。
それは同時にまた、よりも大きな「枠組み」として、それ以外の文章を理解することに有効な「枠組み」でもある。
まとまった文章を書かせたい、と去年から言っていた。読み進めたい文章が目白押しで、なかなかタイミングがとれなかったが、今回思い切ってここに挿入する。
第1回定期考査の大問3に出題した小坂井敏晶の文章は、1年の「国語総合」の教科書にも収録されていたので、みんなは初めて出会うわけではない。その、1年の時に読んだはずの「自律という虚構」から今回の論述問題を設定した。考査の問題は早稲田の入試問題であり、こちらは中央大法学部で出題された文章だ。
どちらも、「近代的個人=自律した理性的主体」という考え方をひっくり返している点で、今年度これまでに読んできた「自己」論の流れを受けている。とりわけ西垣通の「情報流」や、考査大問2の同じく西垣の「個人とは何か」との相似は濃厚に感じられる。
本文は、小坂井の専門の社会心理学の実験を例に、「合理化」という機制を用いて「自律した理性的主体」などという「個人」観が虚構であることが述べられている。
設問①は、一つ目の実験から、人間が認知的整合性を維持するために行う「合理化」の論理を読み取り、それを二つ目の実験に応用する問題。
「正解」が一つに定まるので、オリジナリティや発想のユニークさより、考察・論述の正確性・論理性が問われるタイプの論述問題だ。
二つの実験に共通するのは、望まないことをさせられるというシチュエーションだ。
実験1 反対意見を書かされる
実験2 バッタを食べさせられる
同じ論理を、バッタを食べる実験2における、味の印象の修正にそのまま応用する。
実験1 報酬が 多い←→少ない
実験2 実験者がA優しい人←→B嫌な人
上のような対応関係をメモとして書き出せば、結論は明白。こういう図式化は大事だ。
説明のための論述も、実験1についての説明を使って、対応する部分を実験2に置き換えればいいということに気づけば勝ちだ。
ABが正しく選択されたうえで、説明の論理の的確さ・明晰さを評価しよう。
Aを選んでいたら基本的には致命的だが、そこまでの説明が正しくて、AかBかの部分が、純粋にケアレスミスだと見なせるようならそれなりに評価してもいい。
また「合理化」の機制について正しく理解したうえで、Aであることを充分に論理づけていると見なせれば、3点以下でそれなりに評価しても良い。
逆にBを選んでも、その説明が不適切ならば不可とする。
以下、解答例。
「中略」部分の原文はこう。
好きな人のためならかなりの犠牲を払うことも厭わないが、嫌な人のためには何の努力もしたくないのが人情。バッタを食べるのは気味の悪い経験だけれども、優しい実験者の頼みならば、彼に喜んでもらえるならば、努力のしがいもある。反対に、嫌いな人のためであれば、どうしてまずいものを無理して食べなければならないのか、なぜこんな人のために苦労するのか、理解に苦しむ。したがって、嫌悪感を覚える実験者に請われてバッタを食べた場合のほうが、好意を持つ実験者に依頼されて食べた場合に比べて矛盾が大きい。とすれば、バッタを味見したという事実は動かせない以上、矛盾を緩和するためには結局、バッタが思っていたほどまずくはなかったと思い込むほかはない。したがって、意地悪な実験者の条件の方がバッタの味の印象が向上する(という予想が立てられる。そして実験結果は実際そのとおりになっている。)
「向上する」までで343字だが、ABの略称を使えばもう少し字数は少なくなる。
使う言葉もあれこれ入れ替えて書き直してみよう。
良い人のために嫌なことを我慢することに比べ、嫌な人のために嫌なことをしたというのは納得しがたい事実だ。バッタを食べるのは気が進まなかったが、Aならば、優しい実験者のために我慢したのだという納得ができる。一方Bの場合、そんな嫌な人のために、嫌なことを我慢したのだいうことになり、認知的不整合は相対的に大きくなる。そこで「我慢」したわけではないのだ、バッタは思ったよりまずくはなかったのだと、バッタの味の印象の方を修正して、認知的整合の回復を図るのである。したがって、Bの方がバッタの味の印象が向上する
これで250字。
設問②は①よりも解答の自由度が高いが、それでも書き手の独自性が問われるわけではない。本文の的確な理解と、明晰な論述が問われている点では①同様に、ある種の「正解」の方向性は決まっている。
「合理化」を説明するのだが、当然「合理的」との対比を明確にすることが有効な手段であることを意識すべき。
「原因と結果とが転倒している」を明らかにするように、という条件が難しく感じられたかもしれないが、実はそこを使わずに「合理的」と「合理化」の違いを説明しようとすると、同語反復的な、もやもやした説明になってしまう。合理的というのは理に適っている状態で、合理化というのは理に適った状態にしようとすることだ、などという。そりゃあそうだが、だから何だ?的な。
最大のポイントは「原因」と「結果」がそれぞれ前の文中の何を指しているかを見極めることだ。
原因→結果
意志→行為
上記の対応が「合理的」な状態。
だが実際は逆の
結果←原因
意志←行為
であるのを転倒させて、上の「合理的」な状態であると思い込む。そのような転倒を「合理化」と言っているのである。
ここでも図示が有効。
さらに設問は「合理化」とは何かを説明せよ、と言っているので、記述が、それを明らかにする方向に収斂しているかどうかも評価する。
また条件として「実験などの具体例を用いずに」とあることにも注意。
解答例1 (307字)
ここでいう「合理的」とは、理性に基づいた「意志決定」が為され、それに基づいて「行為」を遂行している状態である。つまり「意志」が「原因」であり、「行為」が「結果」である。
だが実は、我々は外部からの影響によってまず「行為」し、それを理由づけるもっともらしい「合理的」な「意志決定」の過程を後から捏造しているのだ。とりわけその行為に何か矛盾が生じた場合、矛盾を解消しようと、意志決定過程についての認識に無意識に修正を加えてしまう。つまり「行為」こそ「原因」であり、「意志」はその「結果」なのである。だが、自律の感覚を保つため、因果関係を上記のように逆転して認識する。そのような転倒を、ここでは「合理化」といっている。
解答例2 (239字)
我々は合理的な「意志決定」に基づいて「行為」を為していると思い込んでいる。つまり「意志」が「原因」であり、「行為」が「結果」である。これが本文でいう「合理的」な行動モデルである。
だが実は人間はまず何かをしてしまい、その理由を後から考える。つまり「行為」が「原因」で、その「結果」として「意志」による決定の過程が後から捏造されているのである。したがってここでいう「合理化」とは、記憶の中で「意志」による決定過程を修正して「合理的」に見えるように因果関係を転倒させることである。
授業1回でやるには難しすぎる設問だ。時間が足りないだけでなく設問そのものが難しい。
ただ、間に10分間の相談時間を設けたことで、「正解」を共有することはできるから、そこから後の各自の論述力が問われるように、と課題設定した。
この10分間をいかに有効に使うか。問われるのは読解力や論述力、論理的思考力だけでなく、口頭での情報交換力、いわゆるコミュニケーション能力でもある。
最後に用意した「情報流」は充分な時間がとれなかった。「内閉化する『個性』」と「情報流」にそれぞれ1時限を使えたクラスが一つだけあったが、どちらの考察も1時限を使ってさえ、まだまだ深めることができそうだという手応えだった。
これまでの読み比べ同様、切り口によって、さまざまな分析が可能だ。
ただ、西垣通の「情報流」の比較は、ここまでの3編とは違った難しさがある。抽象度の違うところに土俵を設定する必要があるのだ。
ここまでの鷲田、斎藤、平野、土井は、言わば「自分」論だ。主観的な自己意識の様相について、その背景からの分析を述べている。
それに対し、「情報流」は言わば「人間」論であり、その図地一体となった「社会」論である。「人間」についてのある見方が提示されていて、上の諸氏の論は、それらの見方の内部で、それらの人々が「自分」をどう捉えているかという主観が問題にされている、と言える。
どのような「人間」観が提示されているか?
対比構造は明確だ。
孤立した個人/情報流の一部
ここに時間軸を持ち込んで、三層の対比図を画く。
プレモダン/ モダン /ポストモダン
共同体の一部/孤立した個人/情報流の一部
この、近代(モダン)的「個人」観が、鷲田の言う「自由な個人」であり、斎藤・平野・土井らの言う「本当の自分」の幻想につながってくる。
それに対して西垣の描く「個人」は、「情報システム」の一部だ。そこでは「個人」は、周囲の世界の構造の中に置いて捉えられ、「個」と「群」が入れ子状のフラクタル図形的イメージで描かれている。身体も精神も社会も、それぞれ「情報流」のアナロジーで捉えられている。
とすれば、「情報流」の考え方による「個人」は、平野の言う「分人」や、土井の言う「社会的個性指向」につながってくる。
つまりみんな「近代」的人間観に対する反省や批判としてそれぞれの論を構築していると言っていいのである。
一方「『である』ことと『する』こと」は、特に前半部の「非近代」批判においては、正しい「近代」を目指すべきだと言っている。それは自律した個人が集まって作る社会のイメージだ。丸山にとって「近代」はまだ明るく輝く未来だったのだ。
それは「『市民』のイメージ」にも共通している。アメリカの陪審員制度をモデルに日野啓三が描きだす「市民」は、西垣の言う「神の理性を分有する」「個人」である。新興国アメリカをモデルにすれば、近代もまだまだ新鮮な理想と見える。
そこに「自由や責任」が生ずる。そしてそれは同時に「つながっていたい」という寂しさをも生む。
一見したところ無関係に見えるそれぞれの論が、「近代」を接点としてあらたな相貌を見せる。
土井隆義の「内閉化する『個性』」を読む。
土井氏は筑波大教授の社会学者で、2016年のセンター試験に「キャラ化する/される子どもたち」が出題された。どこかで聞いたような題名だ。
2018年には、河合塾と筑波大学の「オーサービジット事業」で本校を訪れた。
ここでも取り上げられている著書の一節が本文で、慶應大学の入試に出題された文章でもある。
分析のために対比をとる。
対比らしき記述が登場するのは30行を過ぎてからの次の記述。
現代の若者たちは、自分をとりまく人間関係や自分自身を変えていくことで得られるものをではなく、生まれもったはずの素朴な自分のすがたを、そのまま自らの個性とみなす傾向にあります。彼らにとっての個性とは、人間関係の関数としてではなく、固有の実在として感受されているのです。
ここにみられる2度の「ではなく」が対比を表わしているのは意識すべきだ。
固有の実在/人間関係の関数
文中の出現順を入れ替えたのには訳がある。
対比に付けるラベルとしては、言葉が揃っていた方が整理しやすいので、探していけば次の用語が見つかる。
内閉的個性指向/社会的個性指向
ここに、文中からあれこれの言葉を抜き出して配置する。
身体/言葉
内発的衝動/社会関係
刹那的・断片化/持続性・統合性
そしてこの文章では、今までの文章と共通する「キャラ」「本当の自分」という言葉が、左辺に配せられる。
さて、この左と右の配置は、ここまで読んできた文章との対応を見易くするために敢えて文中の登場順を入れ替えてある。
固有の実在/人間関係の関数
といった対比を「である/する」と対応させると、斎藤の次の対比が同じ向きで並ぶことになる。
必然/偶然
固有性/匿名性
キャラクター/キャラ
記述不可能/可能
「固有」が左辺にくるという対応が認められるし、斎藤の「キャラ」は土井の言う「人間関係の関数」によって成立していることも一致する。
右辺では「言葉」が人格の「持続性・統合性」を保障するのだが、これは斎藤の「キャラ」は「記述」することで自己同一性を維持する、という認識に対応する。
その上で土井は右辺を肯定的に評価し、斎藤の描く右辺的若者像は悲劇的な色合いを帯びている。
「偶然」や「匿名」も土井の論との対応がよくわからないが、無理矢理言えば、「社会関係の関数」で個性が決まるということは、そうした自己は入れ替え可能な「匿名性」を帯びたものと捉えることができるかもしれないし、そうした認識の背景には「全てが偶然教」の信仰があるということも、全くできないわけではないかもしれない(曖昧な言いよう!)。
まあ、二人の対比軸が同一のものだという保証はないので、こうした齟齬はやむをえまい。
平野の論ではどうか?
内閉的個性指向/社会的個性指向
を連想させるのは「キャラ/分人」の対比だ。「キャラ」は「インタラクティブでない」し、「分人」は人間関係によって生ずる。
その上で、生まれついた「固有の存在」を「本当の自分」と見なす左辺的認識を否定して、「分人」こそ自分の「個性」だという右辺的人間観を提示しているという点で、平野の論と土井の論は一致している。
上記のような分析は別に「正解」というわけではない。
「分人」も上のように言えば右辺だが、「断片化」した「寄せ木細工」のような自己イメージは、複数の「分人」の集合を「自分」と考えるイメージに近いように見える。「断片化」は左辺だ。
そもそも「分人」は「キャラ」と対比されているわけではなく「個人」との対比だ(そしてこの「個人」が問題になるのが次の「情報流」との読み比べだ)。
それぞれの論の対比軸が揃っているわけではないから、分析の切り口によって、それぞれの論はさまざまに分析できる。
斎藤と平野が、他者とのコミュニケーション(相互作用)によって、「自分」というもののある側面が作られているという認識で一致していることは認めていい。だがそれ以外の相違点は結局何なのか?
そしてそうした相違はなぜ生じたのか?
さらに、みんな自身は、そのどちらに賛成したいのか?
ここから先は正解のない考察になる。それぞれがどう自分の考えをまとめるかが問われる。
だがそれも、元になるテキストの読解をねじ曲げて良いわけではない。その適否を判断するのはとても難しかった。
前回取り上げた、
平野 「本当の自分」には実体がない
斎藤 自らの「固有性」には根拠がない
が、共通性よりもむしろ相違を表わしているという解釈、
平野 「本当の自分」はない
斎藤 「固有性」はある
は、「ない/ある」という対立が相違を表わすように併置してあるのだが、そもそも「本当の自分」と「固有性」が等置できるのかに疑問の呈されたクラスもあった。
また、前回の鷲田と平野の比較からわかるように、「誰がそれを語っているのか」を明らかにしないと、それらが対立するかどうかも明らかにはならない。
例えば平野は自分の意見としてある考えを表明しているが、鷲田や斎藤は「~と若者は考えている」と言っている部分も多い。だから、平野と、鷲田や斎藤の描写する「若者」の意見が相違しているとしても、それに対して鷲田や斎藤がどう考えているのかはそれと切り分けて慎重に検討しなければならない。
それでも平野と斎藤はやはり対立しているのだろうか?
斎藤は「キャラ」を否定的に捉えているように見えるし、平野は「分人」を新しい人間観として肯定的に提案しているように見える。
それはもともと次のような相違から導かれている。
斎藤環
人にはおそらく〝幸福の才能〟というものがある。偶然の成功体験を、これは必然の運命だったと自分に信じ込ませる才能のことだ。そうした必然性への〝信仰〟が、自らを取り替えのきかない固有の存在であるとみなす確信の基盤にある。
平野啓一郎
私たちは、唯一無二の「本当の自分」という幻想に囚われてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。
自らの「固有性」を信じることが〝幸福〟だという斎藤に対し、「本当の自分」を信じると「苦しみとプレッシャーを受け」ると平野は言う。
だがこれも、斎藤は、信じられれば〝幸福〟だが、信じられないので「キャラ」を作ることになり、それは悲劇的だと言っているわけで、どこかにある「本当の自分」の幻想こそ不幸のもとだから、すっぱりと「分人」を信じましょうという平野の提案は、むしろ斎藤の現状認識に対する処方箋になっているとも言える。
斎藤がそれを受け容れることはないのだろうか?
実際、みんなの中でも平野の考え方に共感する者が多かった。わかりやすいしハッピーなイメージがある。
ただし、「分人」は全て「本当の自分」だ、という捉え方には違和感がある、という意見も出た。さまざまな「分人」の中にはそれぞれの濃淡があり、その中にはやはり「偽りの」自分だと感じられるものもある、と。
単純に「キャラ」=「分人」という前提も成立しているかどうか怪しいし、「キャラ」全否定、「分人」全肯定というわけにもいかない。
「キャラ」という概念と「分人」という概念の関係についてもさまざまな見方が提示された。それぞれに有益な議論だった。
それでもやはり1975年生まれの平野と1961年生まれの斎藤の世代差は、読者にも感じられる。鷲田・斎藤の認識を乗り越える視座を平野は提示しているのではないか、と。
一点、耳目に入りやすい平野の論についての異論を提示しておく。
平野の描写する「分人」と斎藤の描写する「キャラ」、それぞれ誰をモデルにしているか?
平野の「分人」の発想は、自らの実感を元にしている。
一方、斎藤の分析は「若者」をモデルにしている。これは精神科医として接してきた患者や、大学教授として接する悩める大学生がモデルということではないか?
そう考えてみたとき、平野の提示する「分人」モデルは、あまりにうまくいきすぎているのではないか、という疑問が生じないだろうか?
斎藤の言及する「不本意なキャラ」や、「キャラ」を喪失することの恐怖は、平野の論では言及されない。「キャラ」を「降りる」ことはできないと斎藤は言うが、平野は「降りればいいじゃん」と言うだろう。だが、それは誰にも可能なことなのだろうか?
この点をめぐって「極めつけの難問」と言う斎藤の「精神科医としての困惑」は、少なくとも平野の論の記述からは解消しないように思える。
「分人」という珍奇な造語によって、相手との相互作用によって生じた自分の、ある側面を肯定的に捉える概念を提起する平野に対し、斎藤の、「キャラ」という言葉の若者による使い方から見えてくる病理を描写する斎藤は、もしも面と向かって対談することがあれば、この点をめぐって対立するのだろうか?
ちなみに鷲田清一はどう言うだろう?
(若者が他者とのつながりを求めているのは)なんの条件もつけないで「このままの」自分を認めてくれる他者の存在に渇くということだ。上手に「条件」を満たすさなかに、もしこれを満たせなかったらという不安を感じ、かつそれを(かろうじて?)上手に克服している自分を「偽の」自分として否定する、そういう感情を内に深く抱え込んでいる
他者との関係の中で「条件」を「上手に克服している自分」とは、斎藤の「キャラ」であり、平野の「分人」のように見える。とすると、それを「『偽の』自分として否定する」のは、「キャラ」を否定的なニュアンスで語る斎藤の認識に近いと言っていいだろうか?
いや、「否定する」のは若者であって、鷲田ではない。鷲田が、否定すべきだと言っているわけではない。
とすれば、積極的に「分人」を認めるべきだという平野の主張と対立するわけではなく、むしろ平野は若者が「否定する」ように追い込まれているような前提そのものに対する異議を唱えているのだから、そうして苦しんでいる若者を見つめる鷲田と斎藤は同盟者なのかもしれない。
とすれば、斎藤と平野の主張も、前回の「抽象化」のように相違しているわけではないのかもしれない。
例えば、前回、共通認識として提出された次のフレーズについても検討する余地がある。
平野 「本当の自分」には実体がない
斎藤 自らの「固有性」には根拠がない
「本当の自分」と「固有性」が対応するとしても、平野の「実体がない」と斎藤の「根拠がない」とを、同じだと見なしていいかどうか。
「根拠がない」は「つまり記述不可能だ」と言い換えられている。これは、記述できるような形で根拠を指し示すことができないというだけで、裏返して言えば、記述のできない「固有性」は、その存在が前提されているということだとも言える。
とすればこれは共通認識と言うより、むしろ相違点を示しているのだ、という意見が出たクラスもあったのだった。
平野 「本当の自分」はない
斎藤 「固有性」はある
同じだということも違うということも、表面的な言葉の比較だけですぐさま判断できるわけではない。
その中で、それでも二人の主張には違いがあると言える部分はどこか?
ここに平野啓一郎「『本当の自分』幻想」をぶつける。
1学年の「国語総合」の教科書に収録されていた文章だが、授業で詳細に読解したというわけでもないらしく、皆、見覚えはあるが内容はどうだったか、といった曖昧な反応だった。
題名の通り、これは「自分」論だから、鷲田-斎藤ラインには載ってくるが、丸山真男にはやや縁遠い。とはいえ「である/する」は考える/語る枠組みとして使い回せばいいのだ。
対応関係を探るというのが毎度のパターンだが、読んでみると、今回は相違点が意識されてこないだろうか?
特に主張の方向性が見易い斎藤「『キャラ』化した若者たち」と比較したい気がする。
とはいえ「相違」として意識されるのは、共通した土俵で比較するからだ。だからまずは共通点、共通認識を明らかにして、その上で相違点を探る。
共通点/相違点、どちらも抽象化の能力が問われる。それぞれの文章の言葉のままでは、同じとも違うとも言えない。
むしろ、同じ言葉が使われていても、それが文中の使われ方によって定義される意味合いが違えば、そのままで「相違」とも言えるし、だからといって主張が「相違」しているとは言えないのだ。
例えば平野は
キャラという比喩は…インタラクティブでない印象を与える
というが、斎藤は
「キャラ」を維持させてくれるのが、コミュニケーションの力なのである
という。
「インタラクティブ(相互的)」と「コミュニケーション」を同じ趣旨だとみなすと、まるで正反対のことを言っているように見えるが、これは見解が相違しているというより、「キャラ」という言葉の文中での使い方が違うのだと感じられる。
平野の文中から、上の斎藤の言葉に近い意味合いの一節を抜き出すなら「分人は…相手との相互作用の中で生ずる」だろう。
ここでは「コミュニケーション」と「インタラクティブ・相互作用」を同じものとみなしているのだから、斎藤の「キャラ」と平野の「分人」が対応していると考えられるわけだ。
上の認識の前提として、次の記述を共通性として挙げた班があった。
平野 「本当の自分」には実体がない
斎藤 自らの「固有性」には根拠がない
そこから次の認識に至るわけだ。
平野 「分人」は他者との相互作用で生ずる
斎藤 「キャラ」は相手とのコミュニケーションで維持される
ここでの抽象化とは、文型を揃えて、そこで対応する成分を交換可能と見なせるかどうかを検討するということだ。
これらの対応を認めるならば、まずは二人には共通した認識があるということになる。
さてその上で相違点をどう抽象化するか?
平野 「分人」は流動的・可変的
斎藤 「キャラ」は同一性の維持こそが目的(固定化を指向する)
平野 「分人」こそ自分自身
斎藤 「キャラ」は偽の自分
さらに平野は「分人」という概念を肯定的に提起しているが、斎藤は「キャラ」の負の面を描写している。
まずはこうした共通点と相違点の把握が妥当なものかを疑うことも必要だ。抽象化の過程で、不適切な言い換えをしていないか?
そのうえで、これを認めるとして、次はこの相違について、皆の賛否を問いたい。
もちろん心情的な共感というだけでなく、それぞれの論の論理をたどり直して、その適否を問題にするのである。
そこに何が見えてくるか?
さて、大きな認識の枠組みとして、斎藤・鷲田・丸山に共通する構造があることを見てきた。
近代化する中で見失われそうな「自己」への不安が、他者とのコミュニケーションを求める。他者の承認によってかろうじて「自己」が確かめられる。
そうした「自己」を安定させるコミュニケーションを、斎藤は「再帰的コミュニケーション」と呼ぶ。
再帰的コミュニケーションがキャラの同一性を維持するとはどういうことか?
そもそも「再帰的」とはどういう概念か?
なんとページを捲った22ページに語注がある。なぜ初出の20頁に置かない? 余白の問題だろうか。
ともあれ、ここには「自己言及的なコミュニケーションのこと」とある。辞書的な説明はそうだ。
だが「自己言及的」も同様にわかりにくいのではなかろうか。語注のそれ以降の説明もちょっと怪しい。
付属の解説小冊子でも、「再帰的自己同一性」について「他者とのコミュニケーションの中で自らそのキャラを演じ続けるという自己言及」などと説明しているが、これが間違っているとは言わないが、どうも「自己言及的」の「自己」を、演じる本人、「自分」のことだと思っているんじゃないかという感じもする。怪しい。
「再帰的」も「自己言及性」も、昨年の「山月記」で触れている。李徴が「虎になった」メカニズムを説明する際に使った概念だ。各クラスでこれをすぐに想起できたのは数少ない人たちだけだが、学習が定着していて嬉しい。
補助線として「鶏が先か、卵が先か」のパラドクスや、フラクタル図形の作り方を「再帰的」の例として参照することもヒントとした。
「再帰的」「自己言及性」「鶏が先か、卵が先か」「フラクタル図形」の四つに共通する性質を2点挙げる。
こういう時に必要とされるのがまたしても抽象化の能力だ。
上の四つに共通する性質は次のように表せる。
結果が原因に帰って循環する。
結果が原因に「帰」って、「再」び原因となる。原因も結果もそれ自身の一部だから、それを指して「自己」と言っているのであり、原因が結果を一部として含んでいることを「言及」と言っているのだ。
卵から鶏が生まれるのだから卵が「原因」、鶏が「結果」だが、その鶏が卵を産むのだから、鶏が「原因」で卵が「結果」だとも言える。循環の中ではどちらもが原因とも結果とも言える。
図形の細部に、図形全体と同じ形のミニチュアが描き込まれている。ミニチュアの細部にはさらに小さな全体図が描き込まれている。どれが元(原因)なのかコピー(結果)なのか決定できない。細部にそれ自身の全体が再現されている(自己言及)。フラクタル図形とはそのような図形だ。
このメカニズムを上記の「キャラの同一性」に適用する。
あるふるまいを相手に「お前って陰キャだよね」と言われる。そうか、と自分でも思う。そうするとその相手には「陰キャ」としてふるまうようになる。そうするうちに「お前って陰キャだ」と言われ…。
ふるまいが先か、キャラ認定が先か。
「山月記」の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」もそうした再帰性をもった循環をつくる絶妙な設定だった。尊大だからこそ臆病になるのであり、そうした羞恥心が自尊心の満足を阻害する。互いが互いの原因であり結果であり…。
再帰的コミュニケーションがキャラの同一性を維持するという仕組みを、スッと受け取るためには、こうした理解が予め必要であり、斎藤環はそれを読者に要求している。
これは読者に対して不親切か?
いやむしろ読者への信頼かもしれない。
対比図を画くことは、思考や議論の整理のためにきわめて有益だ。
文中の語をマークするのは、文章を読み返す便を高めるが、ノートなどに書き出してレイアウトするのにはまた別の便益がある。全ての論理操作を頭の中だけでやろうとするのは無理がある。とりわけ、他人との議論においては、共有できる視覚情報があると便利なのは間違いない。
そして、これは自分で画かなければならない。対比図を画くこと自体が学習だからであり、できあがったものは、まあそれを「使う」ならば良いが、それを「理解する」などというのは国語学習の目的ではない。したがって、黒板に画かれるのを待ってノートに写すなどというのは本末転倒である。
さて、丸山の「である/する」図式は、左から右への移行を「近代化」と捉えていて、この推移は鷲田にも斎藤にも共通だ。
尤も斎藤がそれを「近代化」と呼ぶ保証はない。文中では「多くの若者が(必然性への)〝信仰〟を捨てつつある」「諸般の事情から『すべては偶然』教の勢力が優勢である」という言葉で、左辺から右辺への移行を表現しているが、これを「近代化」と見なすのはこちらの解釈の仮説だ。
「ぬくみ」の対比図と「『キャラ』化する若者たち」の対比図が、同じ軸に基づく対比なのだと見なせるなら、2人の認識は共通していると考えていいわけだ。
例えば「キャラ」とは、友人との関係における「資格・条件」なのだと言えるのでは? 免許という資格があることによって自動車の運転が許されるように、ある人は「いじられキャラ」認定という「資格」を得ることで友人関係への参加が許されているのかもしれない。
対比図とその対応が見渡せたことで最初の問い、二つの文章の主旨が共通していることが言えるかどうか、あらためて考える。
両者が共通していることを示すため、同じ言い方で両者に適用できる表現を考えてみる。
上の二つの、原因は何か? なぜ「つながりを求めている」のか? なぜ「キャラ」化しているのか?
もちろん「近代化」が原因だといえば共通していることになるのだが、「近代化」だと抽象度が高すぎて、まだ距離がある。「近代化」と上の二つの文をつなぐ抽象度の表現を考えたい。
話し合いの断片を聞いていると、どちらかの文章の言葉をそのまま使っていて、「どちらでもない・どちらでもある」ような共通した表現にならない人もいるようだ。
両方の文章の論理を辿って「つながりを求める」「『キャラ』化する」の直前に、共通する状況を表現してみる。次のような表現が想起できれば良い。
安定した自分の存在を見失っているから。
「自分の存在」を「自己」「自我」「アイデンティティー」などの言葉に置き換えてもいい。
こうした表現を案出する抽象化の能力は、思考力の重要な要素だ。
もう一つ。上の二文に表われた鷲田と斎藤の認識が共通していることを示すため、それぞれの文が、実際にどのような「症状」の相似があるかを言い表してみよう。
この問いは趣旨がわかりにくい。答えを一つに絞るような問いの形を提示できない。考える皆も、何を言えばいいか迷っている。
「つながりを求める」「『キャラ』化する」が似ていると読者が感じるのはなぜか?
読者は「近代化」という背景が共通しているから似ているなどと考えるわけではあるまい(そもそも斎藤は「近代化」などと言っていない)。2人の筆者が捉える若者の姿に、ある共通した気配を感じるから、2人の言っていることが共通していると、まず感じるはずなのだ。その相似に潜む共通性を言葉にしてみる。
たとえばこんなふうに。
他者の承認を通じて自分の存在を確認しようとしている。
実際にこれが二つの文章のどのような表現から読み取れるのか?
「ぬくみ」でいえば「他者の意識の宛先として自分を感じる」「『自分の存在』を、私を私として名ざしする他者との関係の中に求める」といった一節が指摘できる。
「『キャラ』化する」でいえば、「コミュニケーション」という語の頻出がそれを表わしている。「コミュニケーション」によって「自分の存在」を確かめようというのは、他者を通じた自己確認だ。
これはひっくり返して言えば、どちらも、自分の存在を自分自身では確信できずに不安になっている、ということだ。これが「近代化」によって人々が陥っている状況だという認識において、二人は共通しているのである。
鷲田の言う
若者は他人とのつながりを求めている。
と、斎藤の言う
若者は「キャラ」化している。
は、共通した認識を示しているのだろうか? また、それを「である/する」図式で語ることは可能だろうか?
例えばこれらの文を「つなげる」ことはできる。言い換えたり、「つまり」「なぜなら」などの関係を示したりすれば、両者は容易につながる。
だがそれが「つなげる」ことを目的とした恣意的な変形でないと、なぜ言えるのか? 関係づけることが自己目的化した短絡かもしれないではないか。
一方で、それぞれの文章の論理をそれぞれの文章中の言葉で語ったら、それらは別々でしかない。表われた外見は違っている。確かに。
だがそれらは本当に、単に関係のない別々の認識を示しているだけなのだろうか? 同一の構造の、別の断面を示している可能性はないのだろうか?
例えば、上の二つの文の背景は、それぞれの筆者にどう把握されているか?
それぞれの文を「症状」として見たとき、その「病因」はどのように語られているか?
「ぬくみ」については、「『である』ことと『する』こと」との比較によって、その背景について、ある程度把握している。問題は今回読む斎藤だ。
斎藤は「『キャラ』化する若者たち」で、若者たちが「キャラ化」するのはなぜだと論じているか?
問題を構造化しておくと考えが整理され、語り合うためにも便利だ。
ということで「『キャラ』化する若者たち」の対比をとろう。
最初の2頁の見開きから、目立つ対比的キーワードを3組探そう。
さらに、その対比軸にそって、いずれかの領域を特徴付ける形容や条件を挙げる。いつもの対比図作りだ。
まずは3組。
必然/偶然
固有性/匿名性
キャラクター/キャラ
これは文脈の論理から、いわば機械的に抽出できるはずだ。できなければならない。
ここにさらにこの対比を特徴付ける形容を加えていく。一方に特徴的な形容が文中から見つかったら、もう一方は対義的に補う。
取り替えきかない/きく
記述不可能/可能
世界が一つ/複数
これ以外に「運命/確率的」というのが対比的ではないかとの意見が各クラスで出た。離れたところにある二つの言葉なので、これを対にして挙げた者は論理の把握力が強い。これらは言葉の意味的にはまるで対義的な言葉ではないが、確かに文中では対比的な意味合いで配されている。
一方「根拠がない/ある」と「信仰」も候補に挙がった。これらは冒頭で左辺を特徴付けるように読める。しかし次頁まで読むと、「いずれの信仰にも根拠がない」と言っているので、左辺/右辺によらないのだと読むべきだろう。
もう一つ、気がつく者が少ないが、取り上げたかった言葉がある。各クラスでこれを挙げた者は誇って良い。
幸福/不幸
である。
本文では「必然」を信じられるのは「幸福」だと言っている。つまり右辺は「不幸」なのだ。
さて、みんな薄々気づいているだろうが、この対比図は、「である/する」の対比だと理解することができる。
とすれば「ぬくみ」の対比図とも、向きを揃えて並べることができるということになる。
コンテキスト/自由な個人
このままの自分/資格・条件
対比図を整理したら、鷲田と斎藤の認識が共通していることを語るのも大分楽になったはずだ。
「このままの自分」は「『である』ことと『する』こと」の「かけがえのない個体性」との共通性を確認した。これはこのまま「取り替えのきかない固有性」と同じだと見なせる。
「自由な個人」が「全てが『偶然』教」とどう共通しているのかは、にわかには語れない。が、そこに通じるものがあることは感じ取れるだろうか?
また、「キャラ」と「資格・条件」が対応していることには容易に気づくが、それをどう変形していくと両者の共通性が示せるか?
鷲田清一「ぬくみ」を、丸山真男「『である』ことと『する』こと」の枠組みを援用して読み解いてみた。
ここに、「ちくま評論選」から、斎藤環の「『キャラ』化する若者たち」を加えて、さらに問題を考察してみよう。
鷲田と丸山の論考の大きな違いは何か?
見解の相違ということではなく、論点の重心の違い、といったようなものである。
前項の通り「丸山=モダン/鷲田=ポストモダン」という相違がまずある。
それ以外に、丸山が論じているのは社会の仕組みであり、鷲田の論じているのは個人の内面についてだ、という相違も挙げられる。
この「社会/個人」という相違は、丸山が政治学者であり鷲田が哲学者であるという専門分野の違いからすればなるほどな感じがする。
さて、斎藤環は何者か。精神科医である(ついでに筑波大の医学群の教授でもある。サブカルにも堪能で、もちろんエヴァ論もある)。
ということでまずは当然鷲田の論との近親性が感じられる。
だが、何事かを語るには「である/する」図式がやはり便利だ。言葉がシンプルで、かつ包括的だからだ。そうなると丸山との関係も視野に入れる必要がある。
そして「近代」についての認識が共通していれば、それをベースにそれぞれの認識を比較することができる。
さて、読み比べれば、様々な方向で、様々な切り口で、様々な論点について考察できる。たっぷり時間をとって話し合いをさせて、なるべく多くの発表をききたい。どこにどんな可能性があるか、それらをつぶさに見たい。
が、共通した論点を示さないと授業としてはまとまりが悪い、とも言える。話題がそれぞれにばらばらでは噛み合わないかもしれない。
そこでこちらで問いを立てる。
「ぬくみ」を次のような一文で表現してみよう。
若者は他人とのつながりを求めている。
同じく「『キャラ』化する若者たち」を一文にする。題名をそのまま文章の形にする。
若者は「キャラ」化している。
もちろんこれは斎藤の論の入口に過ぎず、文章全体の趣旨を充分に酌んでいるとはいえないが、一文という限定の中ではまずまずの表現だろう。
さてこれら二つの文を「つなげて」みよう。どちらから出発してもいい。言い換えたり、「なぜなら」や「つまり」で前後を補ったりしていくと、もう一方の文にたどりつくだろうか?
それができるということはつまり、それぞれの一文で示された認識は、表われ・切り口は違うものの、同じ認識を示していると考えていいのだろうか?
「ぬくみ」と「『である』ことと『する』こと」の語句の対応関係が出揃ったところで、「ぬくみ」の趣旨をもう一度「である/する」図式で語りおろしてみよう。
近代は封建社会にあったさまざまな社会的コンテキストから人々を解き放った。そこではかつて「である」論理に人々を結びつけていた中間世界が消失して、人々は「自由な個人」となる。だが自由な社会で「資格・条件」といった「する」価値が求められるようになった人々は、かえって「このままの」自分の「である」価値を認めてもらいたくて、他人との「つながり」を求めるようになる。
前項で挙げていない「中間世界」を使ってしまったが、これは何か?
何の「中間」かといえば、社会と個人の「中間」ということだ。「中間世界」が社会と人々を結びつけていたのだから、これは「社会的コンテキスト」の言い換えであることがわかる。
具体例は?
「社会的コンテキスト」は例えば「地縁・血縁」なのだから、村落共同体や親族、職種毎の組合組織(古い起源の農協や漁協、職人組合)、宗教組織(教会や檀家)などを考えればいいだろう。
つまり「社会的コンテキスト」=「中間組織」は、そこに所属することで人々にアイデンティティーを保障していたのだが、それが消失すると、「個人はその神経をじかに『社会』というものに接続させるような社会になっていった」。そのような個人は「漂流する」。
こうした事態において何が起こるか?
次の一節は、やや読みにくい印象もあるので、考察してみよう。
この部分を「である/する」図式にあてはめるとどのように言えるか?
そういう「自由な個人」が群れ集う都市生活は、いわゆるシステム化という形で大規模に、緻密に組織されていかざるをえず、そして個人はその中に緊密に組み込まれてしか個人としての生存を維持できなくなっている。つまり、自分で選択しているつもりで実は社会のほうから選択されているという形でしか自分を意識できないのだ。社会の中に自分が意味のある場所を占めるということが、社会にとっての意味であって自分にとっての意味ではないらしいという感覚の中でしか確認できなくなっているのだ。
「『自由な個人』が群れ集う都市生活」は、丸山が「赤の他人」が集まっていると表現する近代社会のことだし、社会が「システム化という形で大規模に、緻密に組織されてい」くというのは、「する」化しているということだと考えていい。
なのにそこで起こる「つまり」以降のような事態は、奇妙に「である」論理に見えてこないだろうか?
「自分で選択しているつもりで実は社会のほうから選択されているという形でしか自分を意識できない」も、わかったようなわからないようなモヤモヤ感がある。
例えばここに、後から言及される「資格」の問題をからめて説明してみる。
どんな資格を取るかは個人の自由な選択に任されている。だが、実は資格とは社会がその人の能力の適否についての決定権をもっているということなのだ。どのような能力を「資格」として認定するかも、どのような能力を求めるかも、社会側の都合だ。個人はそれに合わせるしかない。だからどの資格をとるかの選択権が個人の自由だとしても、結局は資格によって個人の価値が定められることは、「社会のほうから選択されている」ということなのだ。
この、「する」化の果てに見えてくる光景がなぜ「である」社会のように感じられるのか?
「自分で選択しているつもりで実は社会のほうから選択されている」の「つもりで」が逆接であるとすると、「自分で選択している」が「する」論理なのだから、「社会のほうから選択されている」が「である」なのではないか、それに「選択されて」という受身形も「である」論理っぽい、と言ったのはH組のYさんだ。鋭い指摘だ。
丸山の「である」論理とは、封建的な身分制に代表されるような、既存の社会システムが所与のものとして人々にもたらされる状態を言っていた。そこに「安住」することなく、「不断の行使」によってそれを実効性のあるものとして機能させることが「する」論理だ。そこでは社会は創造したり変革したりするものとしてイメージされる。
鷲田が上の一節で描写する社会のイメージは、そうしてみると随分と「である」的だ。社会が「する」論理になるほど、個人にとって社会は「既存・所与」のものであるような「である」的なものとして立ち上がってくる。
このねじれはどう考えたらいいのか?
これは、この部分の全段落の「中間世界の消失」からの論理の流れを読み取る必要がある。
「中間世界の消失」は、個人に、直接社会と対峙することを強いる。
そのとき、複雑化し、巨大化した社会は、個人にとって動かしがたい支配的な存在となる。そこには個人の自由はない。こうした「支配的」で「不自由」な存在は、かつての封建制や身分社会、村落共同体のように「である」論理によって人々を抑圧する。
とすれば、そこに組み込まれていかざるをえない「社会システム」は、確かに「する」原理によって構築されていったはずなのに、個人から見ればやはり既存の存在であり、「不断の努力」などで我々「市民」が作り上げていくようなものではない。
とすれば、これは「封建的」な「身分制度」に替わる、新たな「である」システムなのだと言ってもいいのかもしれない。
こうした論点は「『である』ことと『する』こと」には見られない。
それは、丸山がモダン=近代の問題を論じているのに対し、鷲田がポストモダン=現代の問題を考察しているからだと考えてはどうだろう。
つまり、近代はプレモダン=前近代的「である」論理から「する」論理への移行を目指したが、その末に新たな「である」論理が台頭しているのが現代の状況なのだというのが鷲田の認識だと考えればいいということかもしれない。